漫画編集に関わる方に読んでほしい:薬屋のひとりごとがヒットするためにツッコんではいけないこと
最初に
薬屋のひとりごとを知らない人はいないだろう
ざっくりと言うと
昔の中国で薬の心得がある少女が後宮で働くなかで様々なトラブルがあり、それを持ち前の胆力や好奇心、そして薬学を含む多くの知識で突破口を開く。そしてそれが徐々にスケールが大きくなり壮大な計画にも関わっていく・・・という物語である。
この作品は今時だと「売れない要素」を山のように含んでいるが、それでも未だに愛されている。
が、おそらくだがこの作品はダメ編集にかかれば一蹴される部分多くあるのも事実だ。
最近、漫画編集者によって再起不能にまで追い込まれる作家が後を絶たないのが様々なSNSで散見されている。
この作品に対する姿勢を持ってあなたが漫画編集者であり得るかを確認してほしい。
マオマオ(猫猫)について
フィジカルより頭脳派であり、基本的に万能。人さらいにあってもそれを受け入れ、下人の生まれ(娼館育ち)である故自分のことを他人のことのようにふるまう。序盤では好奇心と知識欲、そして少しの正義感と薬に関すること以外には無気力。怒ると怖い、自覚はないが情に厚いなどの設定が後から出てくるが序盤は基本的にクール。
化粧すれば恐ろしく美人。ぱっと見はちんちくりんでモブレベル。
これはないわーと少しでも思ったあなたは漫画編集に向いていません。
主人公の設定だけを見てあれこれ考えるのは自身の趣味趣向が多く出てしまうため、この子が活躍する場面を想像できないのだ。事実、物語内で彼女は大活躍する。しかも間接的な、からめ手を使うことが多い。非常にしたたかで、一気に状況をひっくり返す。
華があるのは見た目ではなく、行動であるキャラなのだ。
この設定の意味に可能性を見出せる人ではないと物語を作家と共に作るのは難しい。むしろ無理にでも意味を見出すことが仕事である。
そしてこのキャラを動かすためのサポートキャラを作家と作らないといけない・・・とまでたどり着かず、ここでボツを下す。
薬屋のひとりごとは世に出ないだろう。
設定をあとから付け足しやすいという部分を見抜けるかどうかもポイントである。薬の心得があるということはあれも知っているこれも知っているを出しやすい、ということを知っているかどうかでどれだけ様々な作品に触れてきたかどうかが試される。
作家と同じくらい風呂敷が広くないとただの一般人である。
編集という名刺を持っただけで編集者を名乗るのは、作家の人生と会社を破壊するほどであることを再認識すべきである。
また、このキャラクターに速攻で愛着を持つことに全力を出さなければならない。作家がテキトーに作ったキャラではないのであって、編集がテキトーに見てはならない。
作家が出したキャラを愛するのは編集の仕事。本来は身内の目線で可愛がってあげるべきなのだ。
愛するか愛さないかを決めるのは読者だけである。これを忘れている編集者は非常に多い。
壬氏について
宦官。容貌は大変美しく、「天女の微笑み」「花の顔(かんばせ)」などの形容詞で語られるとともに「性別が違えば国さえ傾ける」とも称される。要するに超イケメンでキャリア組だ。めっちゃモテるが、なぜか自分になびかないマオマオに興味を持つ・・・からだんだん好意へと変わっていく。
おそらく序盤は主人公のマオマオより目立つ。
これはないわーと少しでも思ったあなたは漫画編集に向いていません。
まずこのキャラはあくまでマオマオが動きやすくするためのキャラである。グイグイ来る、一定の立ち位置(のちに本来の位と言う名でインフレしたが)ゆえに後宮内に一定でマオマオを上手く引っ張るキャラである。
イケメンを超える美貌なのだがマオマオは全く惚れないのは、「そうしないと引っ張る前にラブストーリーになるだけだから」
今でいうシンデレラ令嬢モノになる。そうなるとマオマオの設定の意味がすべてなくなる。
また、美形や位は都合のいい時に人払いができる設定であり、それ以上でもそれ以下でもない。じゃなきゃ柱に隠れてこっそり見守るなんてできない。
そこを最初から掘り下げるだけ無意味なのでそこにこだわるのは編集として無能。いつ掘り下げるべきかどうかをきちんと見定めるべきだ。
マオマオが彼を雑に扱うことで逆に内面(と言う名のキャラづくり)が出てくるという、あとから面白くなるキャラを最初からキラキラヒーローにするのは意味がない。都合のいい時にホイホイ出てくるのはそういうポジションであって、そこにリアリティや役職があるならなんたらかんたらとツッコむのは無意味であり、生産性はゼロである。
なぜなら、主人公はあくまでマオマオであるからだ。マオマオを掘り下げるためのポジなのだ。
マオマオだけをなぜあそこまで気にするのか?なんてものは物語が進むと壬氏が自動的に行動してくれるところまで信じるべきなのである。
モノローグの多さ
非常にモノローグが多い。推理モノの構成だが、実際この作品は知識と推理が混在する場面が非常に多い。よって序盤にマオマオの活躍はほぼない。ひたすら後宮の設定を語るだけである。才覚を表すのは遠征部隊の食中毒事件での話題を壬氏が聞いたから・・・そこからである。
ここで安直にダレるので短くしろと言う人は編集に向いてません。
だれでも思いつく部分を指摘するのは漫画のプロ編集ではない。むしろ味付けを共に考えるのがプロ編集である。
繰り返すが漫画編集者は漫画のプロなので、忙しいとか作家のお世話係じゃないとかサラリーマンとかそういう揚げ足取りな言葉で型にはめるのはナンセンスである。と言うかリーマンにあるまじき行動をやっているから問題になっているのだ。
例えば忙しいから、もしくは見込みがないからと取引き先(作家や漫画家)とコンタクトやとらなくてそれが許されるリーマンはいるか?と言うレベルだ。しかしそんな非常識を実際にやるもんだから、もう漫画編集者はリーマンではない。よってそんな型にはめるだけ意味もない。
取引きがご破算になったら即座に謝罪に向かうのが一般常識であるがそんなことをする編集者は見たことがない。その上、漫画が打ち切りになると漫画家が力不足でしたと謝罪しているのが何よりの証拠だ。
作家に良い作品を作らせるのが編集の仕事ではないか?
儲けはそのあとについてくるのであって、一足飛びで売れる作品を作るのではなく、良い作品を売れるようにするのが編集の仕事である。
話を戻すが、モノローグが多いというのと、意味もなく多いのは全く違う。構成などを作家にぶん投げするのでは良い作品は生まれないのが分かっているのなら、まず「なぜこのモノローグはここに?」を考えるべきである。
無意味にグダグダな展開にする作家はまずいない。そのことを失念しなければこの考えにたどり着くのは容易である。
キャラデザについて
主要キャラ以外にも娼館にも上級妃にも美女が揃っている。が、壬氏の設定上、美貌は彼女らより上という事になる。
だって国が傾くレベルなんでしょ?と言うアレである。それを無視出来る美女たちをだすならもっと花のあるデザインを…というのは分かるが、漫画である以上3Dアニメではないのでとんでもない華美なデザインは出てこないし、最強のボスクラス美女は絶対に出てこないのである。表現によっては化粧したマオマオが恐ろしく美人であることもある。
そこを一回でもツッコんだら編集者として向いていません。
まず漫画はキャラクターの掛け合いで物語が進む。マオマオと掛け合いをするのは壬氏である。
設定を完全順守すると物語が進まないのは明白であり、この辺は漫画特有のご都合展開を使うべきなのだ。
あの世界ではそういうものなのである。都合によって壬氏以上に娼館の三姫や上級妃は美人であるべきなのだ。
この辺は設定厨の人ほど指摘したがるが、それは読者がやるのは分かるが編集者がやるべきではない。
その舞台、その状況、場合場合で魅せるべきキャラクターは変わるので、それを臨機応変に頭を切り替えるべきなのだ。
また帝は国のトップであるがこの物語では(序盤では特に)最重要人物ではない。モブ顔でも問題が無いのだ。重要人物になった際に威厳を出せるよう演出すればいい。
そこをツッコんだらもうただの読者である。雑誌買って読んどけ。
まとめ
最近、一部の編集者がめちゃくちゃどうでもいいリテイクを鬼のように出して来るというのが問題になっている。
おそらくその人物にかかればこの薬屋のひとりごともボツで終わっている可能性が高い。なぜならリテイクしやすい部分が多いからだ。
マオマオが最初から恐ろしく美人じゃないと人さらいに合わないだろうとかそういうことを指摘するのは想像に容易い。
デザインは華がないとか言い出したらキリがない。
これを指摘しだすと何が「華」なのか分からなくなるのを作家は知っている。
一般的にリデザインは3回がデフォなのはデザイナーがそれを知っているからである。
しいていうならあのデザインは「ひと目でマオマオだとわかる」ためであろう。着飾った際のマオマオは逆にほかの官女に埋もれてしまっていた。それは遠景描写で分かるだろう。
そこまで想像をしないと、この先作家と共に作品を作ることはまず不可能だ。この辺を考えるスキルを持たないものは編集者をやめるべきである。
スポ根脳で編集を行うのは現代ではただの自慰行為でしかない。
そんな編集者でも社員だからと守り、経験のために開花を待つ作家と作品をいくつも潰すことがこの先のエンタメを発展させるのだろうか?
複数の作家の担当でどうたらこうたらと忙しいを盾にする編集者が、作家の子どもであるキャラクターを愛するだろうか?
というかどんな仕事も基本忙しい。堂々と作家(取引相手)に言う時点で社会人なのか?
漫画家や作家に即戦力を求めて一本釣りするのがスタンダードなのかもしれないが、編集者も即戦力の実力者以外、生半可な知識しかないなんちゃって編集者では作家を潰すだけのゴミであるという時代に突入しているのかもしれない。
作家が自前で実力をつけるように、編集者も自前で実力を付けてからなる時代が来ると予想している。作家崩れが編集者になれるわけがないのだ。
少なくとも、ヒット作を出すのは作家の仕事で、窓口業務と面白い面白くないをジャッジするのが編集者の仕事と言う時代は終わりに近いであろう。
そう私は考える。
あと広告に「これ毒です」を利用するのはセンスの塊であり、アレをプロデュースするのは作家には不可能である。その辺を手配するのも編集や広報の仕事である。
いいなと思ったら応援しよう!
