口惜しさ(悔しさ)について
今日は、特に音楽場面で感じた
「口惜しさ」について、
思っていることを書いてみようと思います。
(後に、SNSで感じた「悔しさ」についても書いてみました)
(「口惜しい」と「悔しい」、
自分の中でしっくりくる表記・表現を
優先して使わせていただきました。
以下、最初のパートでは「口惜しさ」で書かせていただいています)
どんなお仕事や取り組みをしていても
誰にでもあると思いますが、
日々
色々
そして、沢山、
口惜しいこと
ありますよね。
音楽、歌を歌っている私にも、
山のようにあるし、ありました。
また、
口惜しさが湧きあがる状況は、
たいてい不意に訪れます。
そのため、衝撃が大きくて、
それが「口惜しいという気持ちだ」ということ、
もっと言うと、
「あなたには価値がないと言われているような悲しい気持ちだ」
ということにさえ、
瞬時には気づけませんでした。
そうですね、一例としては
「○○(ジャンル)をなめてんじゃねーぞ」とか、
「なにも引っ掛かるものがない」とか、
「一からやり直した方がいい」とか、
そんな感じでしたかね。
当時の私は、その1つ1つに、
自分ってダメなんだ
プロ(?)の人が言うんだから、そうなんだ
生徒をとってる人が言うんだから、私にはまだまだ足りないんだ
こんなんじゃ歌っていてはいけないんだ
自分の歌はそういう評価でしかとらえてもらえないんだ…
等々思ってしまい、
ただただ本当に悲しかったです。
それで私の場合、
それが口惜しさや悲しさだと気づくよりも先に
身体に出ていました。
その場を離れる時からすでに頭痛、吐き気。
ビニール袋を握りしめ、
何度も途中下車してベンチで休んだり
見かねた方に席を譲っていただいたりしながら家に帰ったこと、
何度もありました。
それでもやっぱり、歌うことが好きでしたし、
録音を聴くと
皆が評価し、称賛する歌よりもずっと
自分の声が聴いてて気持ちいいなぁ、なんて(^o^;
聴いていて疲れないし
なんなら疲れがとれる気さえしていたので(^o^;
そういう部分が支えとなり、
今まで続けてこられました。
でもやっぱり口惜しかったり、納得いかなかったり。
そんなある時、ボイトレの先生に言われました。
評価されたいんだったら、
評価されるような声になる練習をする必要がある。
そのままの声をより生かしたいんだったら、
そういう練習。
どっち?と。
そうか。
個を生かす、ということは
自身がオリジナルの先駆者、開拓者になるわけだから、
数回や数年くらいで評価されることを期待するのが
そもそも違うんだなと、
そう思いました。
でも、頭ではわかっていても、
人前で歌った後にはやっぱり
気持ちが上下動。
それであるときから、
評価されたり、比べられがちな場からは
一切身を引いてみました。
そうしたら…
気が楽~!
It's a paradise!!
そして、今に至ります。
気にせずに、自分の課題にのみ、日々取り組む。
でも、あのときの口惜しさは忘れていませんよ。
矢沢永吉さんがおっしゃっていたような
「あいつら絶対ゆるさねぇ。それにはとびっきりのスーパースターになることだ」
その気持ちを持ちつつ、
日々、歌と声に向き合っていきたいです。
そして、いつかはそんな私の姿で
色んな評価や比較に委縮してしまったり
自分らしさを出し切れず、悲しい思いをしている人の支えにも
なれたらいいなと、思ったりしています。
*その後、思ったこと*
やっぱり誰しも、
それがその分野である程度以上の収入を得られている人であったとしても
不安はあるし(むしろ、強いか…?)
自分が正しいと思いたいし
マウントをとりたい気持ちもあるかもしれません。
このあたりを
自分の耳やその他の感覚で、
キレイに浄化させたうえで、
自分に必要な部分だけ得ていけばいいですね。
ただ、そのメッセージにも
悪意しかなく感じるけど、実は今の自分に必要なこと
と
好意で言ってくれているのはわかるけど、実は今の自分に不要なこと
があって、
これがどうしても心情的に、受け取るのが難しい…
でもいずれにせよ、
冷静に自分でフィルターを掛け
全てまるっと感謝の気持ちで受け取るか受け流すか…
そうできるように精進します!
*追記*
また、SNSを始めて思ったのですが、
今の世の中は、圧倒的に
「わかりやすさ」
「ちょっとだけ心くすぐられる(鼓舞されるとか、安心するとか)」
「スピードと量」
が求められますね。
(それ以外だと、スルーされてしまう)
我慢・辛抱・忍耐…
沢山の理不尽さ、痛い思い。
世の中はそういうものだと
幼心に感じ、
そういう社会で生きていくために
ずっとずっと磨き上げてきた価値観と
全く違うじゃないかーーーーーーーー!!!!!!!
悲しいというか、
悔しい!!!!!!!!!(←この気持ちは、こちらの漢字)
私と同じような気持ちや
取り残されたような生きにくさを感じていらっしゃる方も
たぶん、少なくないと思います。
そんな思いの私が
この時代の流れ、波での泳ぎ方を新たに身に着け、
両方の価値観を昇華し
表現、発信していくことで
なにか力になれたらと思います。
究極は、
「なんだかよい人生だった」
「ありがとう(素直な胸いっぱいの感謝)」
全ての命がそう思える、この世、世界でありますように。
これからも応援よろしくお願いいたします!!!
お読みくださって、ありがとうございました。
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