【ラマダンのイエメン】誘拐監禁事件!発生?!【最高の時を味わう】
2002年11月、太陽がほとんど山に隠れ、薄暗くなったサナア新市街にある雑貨食料店にいた。レストランが見つからなかったので、やむを得ず、何か買ってホテルで食べようと考えていた。
雑貨店に入ると、食料品、飲料品、生野菜、果物、生活雑貨などたくさん、所狭しとものがならんでいた。
店員は、数名いるようだったが、特に、話しかけるでもなく、無表情で、少し疲れたような、冷たくも感じるくらいだった。日中にいた旧市街の賑やかさと人々の明るさ・優しさがあったので、そう感じたのかもしれない。
店に入って1,2分のこと、店内の狭い通路の奥の棚で商品を見ていると、
突然、ガラガラと大きな音をたてて、入口のシャッターが下ろされた。
「なんだ、どうした」「ああ・・・」「監禁されたのかもしれない!」と、
俺は、直感的に思った。
外国人観光者が誘拐監禁されたというニュース報道を何度か見たことがあったので、その瞬間、悪い想像をした。
ねずみ取りの籠に入ってしまったような、通りすがりの旅人の不安感は、さらに、大きくなっていく。
「まずい、しまった!」、店内の男達の人数が増え、忙しく動き出した。俺の悪い想像は、より大きくなっていた。
風雲急を告げる。薄黒い雲が立ち込めたイエメン・サナアは、日没の時だった。
どうして、こうなったのか、少し、時間を巻き戻してみてみよう。
2002年アラビアの国、イエメンの首都サナアにいた。
日中は、「世界最古の摩天楼・城壁都市」サナア旧市街を歩き回った。
5カ国語を操る語学天才少年とも別れ、賑やかな旧市街から静かなホテルのある新市街を目指した。
午後の日差しは強かったが、だんだんと日は傾き、夕暮れが迫っていた。
新市街へ向かって大きな道を歩いた。城壁に囲まれた狭い範囲に高層ビルが林立する旧市街の人口密度は高かったので、新市街に向かうにつれて、人や車がまばらになって、少し寂しく思えた。
活気あふれる賑やかな旧市街の不思議な雰囲気から、近代的都会的な殺風景な雰囲気を少し感じながら歩いた。
黒いイスラム服を着た人も含めサナアの風景として写真を撮っていると、道ばたに停車していた車の扉が開き、青年が何かを言ってきた。「撮るな」と言っているのか、「自分を撮れ」と言っているのかわからなかったが、少し、緊張した。少し緊張はしたものの、危険な感じはなかった。
比較的安定して、治安も良い時期のイエメンだったが、外国人誘拐監禁事件の発生も報道されていた。そんな時期のイエメン・サナアの街を歩いた。
旧市街から4キロほど歩いて、ホテルに着いた。夕日が隠れる前の薄暗さに、周辺の街灯もつき始め、ホテルのネオンサインも点灯した。
一日、歩き回り疲れたので、ホテルの部屋で少し休むことにした。
ホテル館内に入るとドアの上に、さっきまでいた、旧市街の絵があった。
なぜか懐かしく感じた。
来るまでは、周囲の人に危険だと言われ、少し怖いと思う部分もあったイエメンの首都サナアだが、1日、旧市街を歩いて、出会う人々、街の雰囲気に、実際、危険なところはなく、危険なイメージは払拭された。
2002年のこの時は、内戦停止からかなり経っており、今振り返ってみても、イエメンにとって、平穏な安定した時期であったと思われる。
外国人誘拐事件なども報道されてはいたが、それは、イエメン国内の一部の地域でのことであり、首都サナアは、比較的安全・安定、さらに、新市街は、各国大使館などもあり、サナアの中でもより安全であるという印象だった。
実際、ホテルの近くには、日本大使館もあるとのことで、より安心感をもった地区だった。
ホテルの部屋で少し休み、夕食を食べたいと思った。少し疲れていたので、ホテル内のレストランで食べようかと思ったが、レストランは、まだ、営業していないようだった。従業員もいなかった。
仕方ないので、少し重い足で、ホテル周辺のレストランを探した。
ホテルの周辺は、太陽がほとんど山の陰に隠れ、日没前の薄暗い状況だった。ホテル前の大きい通りを店のありそうな方向へ歩いた。
大きい通りの割に建物はまばらな感じで、レストランらしい建物は見つからなかった。
看板のあるビルに来た。レストランがあるかと近づいたが、病院であった。
この周辺にレストランなど食事を取れるところはなさそうだと感じた。
ふと見ると、病院の数軒隣に、小さな雑貨店があるのに気づいた。
とりあえず、中に入った。日本でいう「コンビニ」のような店だった。
かなり暗くなってきた日没寸前、中に明りが見える雑貨に入った。
雑貨店の店内は、食料品、飲料品、野菜、果物、雑貨類、等々、品揃えは豊富だった。
ここで、何か買って、ホテルの部屋で食べようと、商品の棚を見ていた。
店員らしき人が数人いたが、特に、何も言わず、特段、見知らぬ東洋人客を気にするでもなかった。
店に入ってから1分ほどすると、入ってきた正面入口のシャッターが、大きな音とともに、突然、閉められた。出入り口はひとつしかなかった。
私は、店の奥の商品棚の前にいて、「ガラガラ」という大きな音を聞いた瞬間、なぜ、男達が入口のシャッターを下ろしたのか、店内に俺という客がいるのにどういうことなのか、外に出られないではないか、なぜ、男達は、何も言わないのか、「もしかしたら、監禁・誘拐されたのかもしれない」と、驚きと不安の気持ちでいっぱいになった。
男達は、不安そうに店内にいる見知らぬ客には、気をとめることなく、店内のスペースに段ボールなどを敷くなど、何やら作業をし始めた。
買い物を続けていいのか、支払いを済ませたらどこから出ればいいのかいろいろと思案をめぐらせ心配している見知らぬ東洋人を、気にせず、男達は、黙々と、無表情で作業をすすめていた。
無表情というか、入店してから、ほとんど、何も話さない男達の顔は怖くも見えた。「これは、本当に、悪い奴らに捕まってしまったかもしれない」と、不安感が大きくなった。
数人の男達の作業が数分で終わると、店内のスペースには、いくつかの料理が並べられていた。5人くらいの男達が料理の周りに座り、食事を始めるようだった。
男達の中の一人が、俺に、初めて気づいたかのように、いや、前から知っていたが知らん顔していただけで、今、気づいたんだとばかりに、俺に声をかけ、手招きして、輪の中に加われと言った。一緒に、食べろと言った。
まだ、状況がよく理解できない、俺は、戸惑っていた。
輪に加わるのを少し躊躇した。半ば強引に、俺は、輪の中に入れられた。
男達は、ニコリとした。怖い顔に見えた男達の顔は、とても、やさしく、最初の印象よりもかなり若く見えた。実際、店主と思えた人以外は、青年、少年だったようだ。誘拐・監禁をする悪人ではなかった。
ただ、一緒に食事をするために、見知らぬ客を輪に招き入れたのだった。
店主らしき人は、説明した。
本日からラマダン断食が始まった。朝から何も食べずにラマダンをしたが、日没でラマダンは一時中断し、ラマダンのお祝いと初日が無事済んだねぎらいの意味で、店主が店員に対して、ご馳走をするとのことだった。
約一ヶ月のラマダンの期間は、日の出から日没の間は、何も食べず断食をする。水も飲まない、つばさえも飲み込まない厳格なイスラム教徒もいるらしい。ただし、信仰の篤さ、厳格さには、同じイスラム教徒でも、一人ひとり違いがあったりもするらしい。
食べ始める前に、店主は何かを話し、5人の店員は、お祈りをしていた。
私は、たまたま入った雑貨店で、監禁され、いや、たまたま、日没、閉店時間で、シャッターが下ろされただけだったのだが、そこで、ラマダン断食明けの食事をいただいた。とても美味しく、特別な体験だった。
ラマダン初日の最初の食事ということもあり、豪華な鶏肉入り炊き込みご飯だったが、本来なら、店主が店員のためだけに、準備した料理だったのかもしれない。それにもかかわらず、見知らぬ通りすがりの異邦人を、ラマダン明けの特別な食事の輪に招き入れてくれた。
店のシャッターが閉められた時には、店の人たちを、外国人観光客を誘拐監禁する悪人かもしれないと勘違いした自分が恥ずかしくなった。
そんな悪いところはみじんもない、とても、優しい穏やかな良い人たちだった。
なぜ、イスラム教でもない見知らぬ旅人に、特別な食事を分け与えるようなことをしたのだろうか、とても嬉しかったが、少し不思議にも思えた。
イスラムの教えからだろうか、イエメン人だからだろうか、ただ単に、特に理由もなく、自然にそうしてくれただけで、いろいろと理由を考えたりすることがよくないのかもしれない。
特別な料理をご馳走になったので、お金を渡そうとしたが、店主は受け取らなかった。その代わりとして、歯ブラシやシャンプーなどを買って支払いを済ませ、シャッターを開けてもらい、店を出た。
一人の異教徒の異邦人は、嬉しい監禁から解放された。
お店の人たちは、無事ホテルに着くよう少し心配し、見送ってくれた。
店の外は、完全に日が落ちて、暗かったが、ホテルまでの道は、とても美味しいご馳走をいただいた不思議な満腹感とここちよい満足感を味わいながら、歩いた。不安や怖い、危険と言った感じは一つもなかった。
2002年ラマダン断食月に、私は、イエメンにいた。
国民のほとんどがイスラム教徒のイエメンで、イスラム教においてとても重要なラマダン断食の初日に、たまたま、入った雑貨店のフロアに座って、特別な料理をいただいた。
ラマダンという言葉は知っていたが、そのことを詳しくはわかっていなかった。今でも、本当のところはわからないのであるが、この時、特別な食事をイエメンのイスラム教徒の人と分かち合って、少しは何か理解できたことがあったのではないかとも思う。
美味しい料理を味わったと同時にラマダンの何かを味わった、少し不思議な貴重なイエメン断食月の旅だった。
2024年の今、あの雑貨店での特別な食事の場面を思い起こすと、あの時の5人の店員さんとあの料理を味わいたいと思う。
あの人達は、どうしているだろうか。ラマダンの時には、あの店のフロアで、あの鶏肉ご飯を食べているの店にいるのだろうか。
いつの日か、また、お店にふらりと入ってみたいと思う。
(イエメン2002旅 ラマダン断食明けの特別料理の記憶)