50肩で早期退職【バンコクの一室で痛みを知る】
「40肩」になり、「50肩」で早期リタイア。「60肩」再発症だろうか。
今、着いたばかりのバンコクのホテルの部屋で、肩の痛みを感じた。
6時間の日本からタイへのフライトは快適だったが、エコノミー・シートにじっとしていたので、体が硬く固まったようにも感じていた。
入国審査手続きや空港からここまでの大渋滞もあってか、少し疲れた。
疲れを感じているが、心地よい旅の疲れだ。
先日、日本に居た時、最先端技術満載の車で、ちょっと遠出をした。
500キロ弱ドライブしたが、いろいろな自動運転機能とかいうのがあって、手足は使わず、体を動かすことは少なかった。
手放しでも走ってくれる、前の車にぶつからず、走ってくれる。凄いとは思ったが、100%は信用できないので、人間が監視しなければならない。
すべての人ではなく、慎重な人間である私だけかもしれないが、最先端技術自動運転に任して気楽に運転というよりも、より注意を払い、緊張した、体全体が硬くなった。
体を動かさないので、目的地に着いた時には、肩と首辺りがガチガチで動かないようになっていた。ラジオ体操のような運動をしてなんとか回復した。
目的地での散策を終えて、帰路についた。
また、最先端技術に任して運転したが、完全に任せっきりにすることはなかった。無事、自宅に戻った。最先端ロボットに90%任せ、残りの10%は、固まった状態で監視するような、日帰り500キロドライブで、疲れた。
軽く、肩や首をまわして、緊張をとった。
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今、バンコクのホテルの部屋で、先日の「最先端技術車での日帰り500キロドライブ旅」のことを、noteにメモをしようと、PCを開いた。
10分間ほど、ああだったこうだったと、PCのキーをたたいた。
激痛が走った。左後ろの首と肩の間の筋肉かどこかに大きな痛みが走った。
落雷にあったようなハチに刺されたような痛みだ。
私は、50歳少し手前、40代後半の時に、肩に痛みを感じ、腕が上にあがらなくなることを経験した。所謂「50肩」である。
40代だったので、「40肩」と言うべきかもしれない。
周囲の年配の人などから聞いてはいたが、自分が、「40肩」になるとは思わなかった。そんなもの、自分には関係ないというか、存在すら無関係なので、無視というか、無視する必要もない、ただ、知らなかった。
痛みと驚きと心配で、すぐ、病院に行った。
症状を説明すると、医者は、「多分、50肩でしょう。念のため、レントゲンを撮りましょう」と言った。
レントゲン写真の画像には、骨にも筋肉にも異常はみつからなかった。
「多分、50肩でしょう。特に、問題はない」整形外科医は言った。
私は、「肩が痛くて、腕が上がらないのです。問題あります」と、言いたかった。問題があるのに、異常がないとはどういうことかと、内心思ったが、言葉には出すことはしなかった。
「50肩という正式な病名はありません」「電気マッサージ治療をしますか」「湿布薬と痛み止めを出します。痛みが酷ければ薬を飲んでください」
「まあ、しばらくすれば、自然に治ります」
というような説明を受けた。
現代最高医学、最先端医療技術をしても、50肩が明確にわからない、治療できないとは、どういうことかと不可解だった。
レントゲン検査ではなく、CTとかMRIならば、筋肉と骨の接合部分に小さな異常があるとかなんとかわかるのかもしれなかったが、レントゲンに異常がない、自然に治ると言われれば、それまでだった。
3ヶ月ほど、電気マッサージのため通院した。マッサージと湿布のおかげで、痛みは、徐々になくなり、腕も上がるようになった。
40代のその頃、仕事をしていると、疲れを感じることが多くなっていた。
特に、PCで、文書資料を作成すると、目の疲れ、首や肩のこりなどを強く感じるようになった。
仕事の疲れを癒やすためもあり、休暇を取って、よく旅に出た。国内外いろいろな所へ出かけた。
タイはよく訪れてきた国だ。好きな国と言えば、好きかもしれない。
ただし、タイにはかなりの回数来ているが、ほとんど、バンコクだけしか知らない。
バンコクには、来るのだが、ここから、近隣の東南アジアの国へ飛んだり、さらに、遠く、中東やアフリカ、ヨーロッパの国々へ行く、経由地ということが、多かった。滞在するのも、数日、せいぜい、1週間ということが、多かった。
好きと言ったが、もしかすると、嫌いな方かもしれない。
なぜか、来るたびに、なんらかの事件に巻き込まれたり、問題が発生することが、多かったからだ。
それらも過ぎてしまえば、良き思い出となっているので、まあ、良い国、好きな場所としておこう。
仏教徒が多い、微笑みの国、親日の人も多い、美味しいものもたくさんある、素晴らしい観光地もある、とても良い国です。
タイ・バンコク。そして、ここバンコクを起点として、旅した、数々の国や
良き思い出となった事件の数々も、メモしてあるので、いつか、noteで公開できればと思う。
ミャンマーは、これまで、3回訪れた。いずれも、タイからの飛行機で往復したが、2回目の2008年の時は、事件が発生し、別ルートで、ミャンマーを出た。そんな旅の記憶メモは、また、改めて、noteで公開したい。
50歳目前の頃、タイ・バンコク経由で、ミャンマーへ行った。その時は、2回目のヤンゴン訪問だった。
そこで、ある事件のために、2週間ほど、ヤンゴンに閉じ込められることになるのだが、その時、連泊していたホテルで、リタイアしたおじさん達数人と出会った。
おじさん達は、リタイアして、タイ・チェンマイに長期滞在していたのだが、物価が上がるなどしたので、ミャンマー・ヤンゴンに移ってきたとのことだった。おじさん達の多くは、いろいろな事情で、50歳前後で、早期リタイアした人だった。
仕事のこと、リタイアのこと、タイのこと、ミャンマーのことなど、いろいろな興味深い話を聞くことができた。
その時のこと、閉じ込められるきっかけとなった事件のことなど、詳細については、また、別の機会にメモしてみたいと思うが、その人達と出会い、いろいろな話を聞き、情報を得て、「早期リタイア」について、考えるようになった。
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50歳になった頃。突然、肩に激痛が走り、腕が上がらなくなった。
久しぶりの痛みだった。右腕は動かなくなった。その日は、痛みをがまんしながら、出勤した。
その日の夜、仕事から戻り、夕飯を食べ、肩のマッサージをして、ベッドに入った。夜中に目が覚めた。覚めたというよりも、飛び起きた。
凄い激痛だった。悪夢も見ていた。とても怖い暗い夢を見た瞬間、大激痛とともに飛び起きた。実際には、痛みで、動けなかったので、飛んではいなかったが、悪夢の中では巨大な雷鳴とともに飛び起きたような映像があった。
その日、仕事は休み、病院に行った。
病院に着いた時には、夜中の大激痛は治まっていて、ほとんど痛みなかったが、右腕は上がらなかった。
老整形外科医は、「40肩」の時と同じような説明をして、鎮痛剤と湿布薬を多めに出すと言った。
1週間ほどで、不思議と症状は治まり、右肩もなんとか動かすことができるようになった。まさに、「50肩」だった。
それから、1ヶ月ほど経った日。
私は、「退職届」を職場のトップに提出した。
会社の多くの人は驚き、中には、辞めるのをやめるよう止める人もいた。辞めずにしばらく休職と言う手もあると説明もされた。
私は、もう十分働いた、十二分に仕事をしたと思っていた。
一時、休職して、復職して、働きたくはなかった。
特に、目や肩、首の疲れが出るPCでの文書・資料作成はしたくない、体に悪い、害悪だと敵視するくらいの思いもあり、辞めることはやめなかった。
「50で肩たたき」ではない。自分で言うのはなんだが、この会社に入社以来、かなり、ハードに働いてきた。重要なプロジェクトも成功させたり、会社には相当貢献し、それを通じて、社会にも少しは貢献した。まだまだ、働いてほしいと会社経営幹部も、期待してくれていた。
ハードに仕事をするだけでなく、適切に休暇も取って、海外旅にも出て、バランスの良い、優秀・有能なサラリーマンだったと思う。
40代までは、同年代の人より若く見え、実際に、20歳くらい若い気で、仕事だけでなく、何事もかなり力を入れて、結果も十分だした。
しかし、40後半になり、「40肩」を経験した頃から、やはり、自分も普通の人間で、自然現象として、死に向かって、老化していくのだと実感した。
特に、企画書などの文書・資料などをPCで、作成すると、1時間ほどで、目の疲れ、肩こりが酷いというような、中年以降の誰にでも、起こることが、若いと勘違いしていた自分に起こる、起こったということを知り、
潮時が近いと感じた。
無理して、働き続けること、痛さなどを我慢しながら、職場に残ることも、できなくはなかっただろう。
しかし、つらい顔をして、無表情で、暗い感じで、職場にいる姿を想像するのは嫌だった。「もう十分だ!十分働いた、義務は果たした。十分、会社にも、社会にも貢献した」そう、最終的に、考え、結論を出した。
私は、「50肩で早期退職」を決断した。
肩たたきで辞めさせられたのではなく、50肩が私に肩たたきしてくれた。
現代社会でのきっちりした組織の一員を辞めて、自由な世界へ出たかった。大げさに言うと、世俗社会から出家して、修行僧となることを選んだようなものだった。いや、修行僧ではない、自由僧となりたかった。
事務的な手続きもあり、退職の正式な日は、書類提出から1ヶ月後となったが、私は、25年以上30年近く勤めたサラリーマン稼業を辞めた。
50歳と数ヶ月、「50肩」による早期退職だった。
それ以来、私は、自由というか、できるだけ「何もしない旅」を続けている。
一時期、「早期リタイア・ブーム」が、一部の人の間で、あったようだが、今現在は、どうなんだろうか。
「50肩」で早期退職してから、10年以上経ったが、数年前の世界的コロナ禍等もあり、最近は、旅をすることが少なくなっている。
私の場合は、忙しく働いていたサラリーマン時代の方が、より多く旅をしていた、より多く海外に出かけていたように思う。仕事の関係で海外出張旅もあった。
仕事の疲れ、特に、PC作業後の疲労感が強くなっていたこともあったが、忙しいサラリーマンの時に、より、多く、未知の土地、魅惑の異国に出かけ、魅力的な人に出会い、興味深い話を聞いたり、不思議な体験をしに、旅をしていたように思う。旅が、疲労回復治療薬になっていたようにも思う。
さて、今、バンコクに着いたばかりで、始まったタイでの旅。どんな旅になるだろうか。どんなことがあるだろうか、不思議な出来事が起こるだろうか。よき風景に巡り会うだろうか。美味しいものを食せるか。どんな出会いが待っているだろう。楽しみである。
60肩の痛みが酷くならなければ、旅を続け、メモもしていきたい。
そして、そのメモを、noteに公開できればとも思うが、どうだろうか、
この60肩が悪くならないことを祈りながら、PCに向かっている。
「60肩」の私は、吉田拓郎の「元気です」「人生を語らず」「夏休み」「落陽」などの名曲を聞きながら、今、この旅のメモをしています。
2024年6月雨季に入った暑い日 @タイ・バンコクの部屋
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