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バルカン南下は難化必至💎サラエボ事件💎【マルコ放浪】
2024年6月18日 マルコ先生から非常事態緊急メールが入った。
旅の師匠、旅仲間でもある友人のマルコ先生から1ヶ月ぶりの連絡である。
1ヶ月前のメールでは、イタリアからバルカン半島を南下し、ギリシャを目指す、万事順調だとあった。断片的で説明不足の文章と添付された写真からは、正確にはわからなかったが、魅力的な人々、素晴らしい風景、こころゆさぶる藝術作品など、旅ならではの出会いがあり、なんのトラブルもなく、良い旅だとあった。
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マルコ先生は、山登りも好きで、海外でもいろいろと山歩きをしているようだ
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今回のメールでは、ボスニア・ヘルチェゴビナに入った日、その首都「サラエボ」で、突然、クレジットカードが使えなくなったとのこと。
複数のクレジットカードすべてが使用不可となり、緊急事態の様子。
クレジットカード会社が、マルコ先生のカード利用を停止したようだ。
マルコ先生は、半年位前から「ブルーサファイア詐欺事件」に関して、クレカ会社と見解の相違があり、支払いがペンディングになっていて、銀行引き落としされないように、銀行口座残高を少なくしていたようなのだが、そのことが災いして、カード会社がカード使用停止措置、ブラックリスト入りになったのではと推測された。
そうでなければ、複数の国際クレジットカード全てが使用できないとはならないだろう。
マルコ先生は、多少の現金は持っていると思うが、引き続き、ギリシアに向けてバルカン半島南下放浪旅を続けて行けるのか、少し心配だ。
マルコ先生のバルカン半島南下旅は、難化した。マルコ放浪は、ボスニア・ヘルチェゴビナのサラエボで問題発生、ピンチを迎えた。
マルコ放浪の「サラエボ事件」勃発である。
しかし、マルコ先生のことだ、ピンチも乗り越えてなんとか先に進むのだろう。多分、手持ちの貴金属を現地のお金に換えたりして、急場をしのぐのではないだろうか。それこそ、今回の事件の発端となった「ブルーサファイア」のような宝石を活用するのかもしれない。
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「サラエボ」といえば、私自身は行ったことはないが、その名を聞いて、いつかは行きたくなる、旅心をくすぐられる魅惑の地名である。
世界史の教科書にも載っていた。世界史の先生も重要な地名だと強調していたように記憶している。
「ヨーロッパの火薬庫」と言われたバルカン半島において、第一次世界大戦の発端となった「サラエボ事件」の街である。世界大戦のきっかけとなったのであるから、「世界の火薬庫」と言ってもよいのではと思う。
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1914年6月28日、セルビア人青年により銃撃された「世界大戦のきっかけ」
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レセプション会場から戻る途中、橋の上で、銃撃され死亡とのこと。不明点も多い事件だ。
1984年、旧ユーゴスラビア社会主義共和国時代に、冬季オリンピックが開催された都市でもある。ユーゴスラビアと言えば、チトー大統領が複雑な民族・宗教・文化があるこの地を、巧みにまとめていたという印象も強い。
そして、チトー亡きあと、ユーゴスラビア、バルカンは、分裂、崩壊、紛争が続き、バラバラになってしまった。
サラエボのオリンピック会場も内戦で破壊され、廃墟になってしまったと聞いた記憶がある。
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というイメージがある。マルコ先生は、登山も趣味で、山岳地域にもよく行くようだ。
1990年前後から、ソ連邦、旧共産社会主義陣営の崩壊、バルカン半島の分裂、混乱、内戦等もあり、さらに複雑な歴史をきざんだようにも思う。
その後、分裂した国家もある程度確定し、今現在は、この地域としては、比較的落ち着いた歴史の一時期であるようにもみえる。
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破壊されたが、その後、修復され、今は歴史観光名所になっている マルコ先生撮影
1914年6月28日に発生したサラエボ事件。それから、110年を迎えようとする、2024年6月18日にマルコ先生を襲った「サラエボ事件」
この後、マルコ先生は、バルカン半島を南下して、ギリシャにたどり着くことはできるのだろうか。
最新のネット情報では、ギリシャでは例年以上に暑く、熱波高温のため、ギリシャ国内を観光している人の行方不明や熱中症による死亡者が増えていると伝えている。
気温50度を超えたサウジアラビアでは、メッカへの巡礼で、1000人超の死者が出たとのニュースもある。
旅人にとっては、旅の資金の問題以上に、異常高温による熱中症など健康面についての注意が、より必要かもしれない。
マルコ先生が、引き続き、安全に旅を続けられること、少なくとも、無事に、バルカン半島を南下して、ギリシャに着くことを祈っている。
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【マルコ放浪💎サラエボ事件💎メモ 追記】
2024年6月18日、友人のマルコ先生の非常事態を知らせるメールがあった。そもそも、このNOTEに旅のメモをし始めたきっかけが、マルコ先生が、世界疫病災禍時にアラビア半島の某大国に缶詰になったことだったため、今回のマルコ放浪の重大事件についても、メモしておこうと思い、さらに、公開するのも良いかとの判断から、「サラエボ事件」の発生から110年となる日の1週間ほど前に、メモの公開をします。
ウクライナ戦争が始まった頃、現在の世界情勢は、第一次世界大戦前と似ているとかいや違うとか歴史学者の間で論争があったように記憶している。
ウクライナ戦争の終結は見えず、イスラエルのガザ攻撃も続いている。その他にも、争いの火種は世界各地にある。地球環境変動も戦争同様の悲惨な災害を引き起こしているようにも思える。
かつての「世界の火薬庫」が比較的落ち着いているように見えるが、別の「火薬庫」が引き金になって、大惨事「第三次」にならないことを、願わずにはいられない。
(2024年6月21日 蒸し暑いバンコクの一室にてメモする)