なんと言いますか
とかく世間は生きづらい。
小さい頃から親と言うものを
『当てにならない存在』
と認識してから
常に周りを見渡し、空気を読んで、自分でこなしていくことが生き抜くスキルとして身に付いていた。
それが世の中に出たらどうだろう。
そんなことしてる人、誰もおらん…!
見れば聞けば考えればわかることで
わからないわからない
素直にそう伝えてる人の方が可愛がられてる。
おまけに自分がわからない素振りを見せるのが
『わからないんだね、かわいそうだね』
と思われることが大変癪だったためにどんな時も感情を噛み殺し、心中はパニックで慌てふためいていたとしても、表情は一切変えずにいられるスキルも身に付いた。
私が嘘を付いてもみんな信じるほど。
ランドセルを作る会社に居たとき、ADHD新入社員の後始末をイラつきながらしていたら、自分の指を機械に挟み、血まみれになった時でさえ、一番私が冷静だった。
それくらい、感情を圧し殺してずっと生きてきた。
そうじゃなきゃね、毎日泣いて怒ってなんで?なんで?って、生きてられないですよ。
年よりも落ち着いてるなんてのはもう言われ慣れすぎていて。
『私の生い立ちをあなたも歩んでごらんになっては?』
と言いたくなるよね。
嫌でもなるから。
全く以て不向きな水商売でニヤニヤしながらバカにされたり、もっと可愛げを出せと言われたり、あーどこでも同じだなとボトル握って大暴れしたい気持ちを抑えて励んでるよ。
『年の割に雰囲気が重たい』
『自我が強そうで体も大きいから男が寄ってこないんだね(笑)』
男に可愛がられる女を演じろって言う意味なのは理解してる。
私なりにやってるよ。
乳母日傘のボケてても庇護があったようなのと同じ様になれってのは無理があるよ。
纏う雰囲気、そもそもの見た目、趣味趣向、会話の運びかた…
可愛い子ぶりっこしてるおばさん見て
あー、すごいなと思いながら、それは私のニンじゃないから、自分の出来ることで目の前のお客さんを楽しんで貰えるよう、時給分は持てるものを発揮してる、これは嘘じゃない。
惰性でいるくらいなら早上がりしたい。
年齢で全てが判断できると思ってる人の多さ、その濃度や経験値なんて相対化できないでしょう。
美輪さんが言ってるでしょ。
そもそも三十過ぎて、可愛いと持て囃されるのが美徳とされてる恥ずかしい国に生まれ本当に悲しいですよ。
可愛いなんて子供に言う言葉だと思ってるので。
馬鹿の一つ覚えのように可愛い可愛いって、
なめてる?って思ってしまう。
さっさとこんな茶番劇辞めたいわと毎日ゆううつ。
だけど、その仕事をやめて1人で食い扶持を稼ぐには心許ないこの身の上、
さぁどうするかと思い悩むとどんどん土坪にハマっていくおきまりのパターン。
ずっと、寂しいですからね。
心に大きな穴が開いていて、それを直視しないように大きな布を被せて見ないように生きてきて。
絶対に自分の味方で居てくれる確固たる存在が居てくれたら、と何時だって願ってる。
だけど、実在してる私はパッと見で
無愛想で、壁があって孤高で近寄りがたくて怖い存在。
1人でも生きていかなきゃいけない責任感がもうそういった印象を付けすぎていて今さら払拭できない。
そんな私をまるごと受け入れてくれる人なんていないな、じゃあ延々とこんなイラつく水商売をして自尊心を削られて生き長らえていかないといけないのか…、
こんな思いをしたこともない人だっているだろうに…
という負のループです。
だけどね、未来はわからない。
悪いことも良いことも。
思い描くような人と出会うかもしれない。
出会わず1人で細々生きていくかもしれない。
また違う展開があるかも、それはなったときに初めて分かる。
思うように具現化されるって言うことも声高に言われるけど、世の中そんな風にはいかないです。
だから毎日腐らずに、まだ起きてないことを悲観せず、分かってくれて励ましてくれる数人の人の言葉や思いを胸に、
自分に恥ずかしくないように、生きていくこと。
ただね、人の痛みがわからない人がこの世には大勢居るってことが、良くわかってきた。
そんな人の冷たく鋭利な言葉で傷付いていたら身が持たないのも知った。
みんなはどう自分を守ってるんだろう。
私の最近の課題はそれ。
庇がある場所で育った人は、庇がない場所でも泣けば誰かが傘を差し出してくれる術を知っている。
私はずっと、ずぶ濡れの気分だよ。
ではまた。