同じ世界なんだけど
今年は様々なことを考えることがあった。
仕事の概念とか、楽しむとか、楽だとか、ゆるすとか、自分の求めるものとか。
自分と向き合うことはしてきたつもりだけど、ゆるく向き合うことは初めてだったかもしれない。
いつも『しなければならない』思考に雁字搦めに『自分から』していたことに、ハッと気づいて。
お坊さんの『どんな自分も等しく認める』ということはこの概念かなぁと、思えたような。
誰にも叱責されてる訳じゃないのに、いつも私は自分を痛め付けていた。
『だめなこと、足りないこと』ばかりに注視していた。
だから自信もなくて、そんな取るに足らない、みんなが私を褒めたりすごいって言ってくれる言葉が嘘臭くて仕方なかった。
だけどそれは違ったことを、あることで気付く事になる。
それはタイミーという仕事の仕方。
スキマ時間にサッと働いてサッと去る。
諸行無常に通じる働き方。
なすべき事を成すために呼ばれる。
煩わしい人間関係もその時間限りだ。
その場の出たとこ勝負なので、お店側もこちら側も博奕気分が味わえる。
心配だったり不安もあるのだけど、これがなかなかいい刺激になって、とてもいい。
そして、その場で求められることを自分の出きる範囲でやっていたら、そのお店から高評価を頂くことが多かった。
『私って案外捨てたものじゃないのかもしれないなぁ』
意外なところでの気付きをもらった。
『今を生きる』という、とても大切なことをタイミーでは求められる。
昨日の定説は意味を成さないし、未来もない。
今習ったことだけを遂行する。
でも過去の経験の蓄積は役に立つし、それで喜んでもらえる。
そしてまた別の話になるが、私が行く仕事先は本当にみんなが驚くほどおかしい場所が多い。
今回は『フルタイムパート』という謎の概念で、とある福利厚生は求人に虚偽があったり、男子トイレを女性が未だに掃除したりという化石のような場所。
どうしてなのかと考えた時、自分のしたい仕事が『製造』だからかもしれないと、人と話してて思い至った。
もの作りには越えてはならないマニュアルがあり、それに則ってずっとやり続けてきた歴史があるので自ずと保守的な社風になりやすいのだと思う。
そういった無駄なことは変えていきたいタチの私はいつも首が傾いている。
そしてそういった悶々とした気持ちの時に、とある方とお話をする機会に恵まれた。
その方のお仕事は営業で、人が好きで営業になって、毎日楽しいとおっしゃっていた。
私も営業に向いていると良く言われるけれど、人は好きじゃないし、なにより数を取るというプレッシャーに耐えられないから営業の方は尊敬するとお伝えをした。
そしたら、売ろうと思ったら売れない。
言うなれば、小児科のお医者さんのようなものかと自分は思っていると。
子供は自分の具合の悪さを伝えられないよね、だからお医者さんが触診したり、聴診器を当てたり、話をしたりしてその原因を探って病気を当てていく。
そんな感じでお客さんと仲良くなって、困ってるときに頼ってもらえるようになるのが営業かなと思う。
だから向いてると思うよ。その洞察力があればそのまま営業出来そう。
と言われて、目から鱗がポロポロ落ちた。
困り事を解決して、お互いにハッピーを目指すことこそが営業の醍醐味なんだと、初めてその感覚を与えてもらった。
綺麗事かもしれないけど、楽しくその仕事をしている人から聞いた言葉は私の固定概念をぶっ壊してくれた。
タイミーで行く飲食店のホールも、人と触れあうのはこんなに心が躍るものなんだなって久しぶりに思えた。
それはお客さんであったり、お店で働かれている方々であったり、どちらもだけど、人って思うほど悪い人でもないのかもと、今までと見える景色が変わってきている。
それは冒頭に書いた、『自分をゆるすこと』ができたからに違いないと確信をしている。
ゆとりが出来たから、色んな事に対して流して行くことができている。
だから、今まで見ないようにしていた部分や、取り越し苦労や決めつけていたものがある意味取り払われたのかもしれない。
なにもしないでのんびり生きた時間は、
最大の解毒剤となり得たのかもしれない。
今の職場は長く居るつもりはないし(最初はそうは思ってなかったけど、思うことが多々あるので)、新たなチャレンジの場が与えられるのであれば、そちらでまた違う自分の顔を発見してみたいなと思っている今日この頃。