私の糧、歌舞伎について
歌舞伎との出逢いと同時に、ひとつ忘れてはならない存在があります。
それは岡田嘉夫さんとの出逢いです。
何気なく母と本屋に行ったらパッと目を引く絵本と出会いました。
原色の色彩、縦書きの漢字の羅列のタイトル。
それこそがポプラ社が発刊された、歌舞伎の絵本シリーズとの出会いでした。
な、な、なんじゃこりゃあああ…!!!
胸を鷲掴みにされましたね。ここまで釘付けになったことはあまりないくらい。
酒井駒子さんの赤い蝋燭と人魚、
宮木あや子さん著、さやかさんの表紙、花宵道中
その三冊は世間で良く言う
気付いたら本に呼ばれていた
のだと思います。
表紙から素晴らしいのですが、ページを捲る毎に点描や緻密な柄一つ一つの丁寧な描写、装束や髪型、絵の構図の素晴らしさ…
とんでもないものと出会ってしまったと、毎日毎日愛でるように眺めていました。
その頃は確か中学生だったと思いますが、同級生とは話しも合わず、家庭も陰鬱としていてどんよりした冬の空のような毎日を送っていました。
しかしその一冊と出会い、熱いものを感じそこから、歌舞伎の面白さによりのめり込んだように思います。
橋本治さんが文を書かれているので、歌舞伎の解説書だとなかなか難解なところも大変分かりやすく書いてあったのでさすがだな、と感嘆しました。
この感激をどうしよう、とモヤモヤしていた時、母が一言
お手紙書いてみたら良いじゃん
と言いました。
あ、確かに!
ととりあえずポプラ社宛に自分も絵を良く描いていたので手紙と共に送りました。
読んでくださっているといいな…
そう思っていたある日の事、家に帰ると大きな封筒が届いていました。
宛名を見るとポプラ社です。
…これは…!?
と思い開封するとなんとサインと捺印の入った『かぐやひめ』の絵本が…。
あなたのイメージでこの本が合いそうだったので贈ります。
との言葉も添えてくださっていました。
平凡な中学生にはなんとも刺激が過多な嬉しい出来事で暫く浮き足立っていた事を覚えています。
そして、またポプラ社の方も大変素敵な方で、
岡田先生が大変喜んでいらっしゃいました。
と伝えてくださり、
素敵な大人って、いるんだなあ。
と胸が熱くなりました。
その後も新刊が出る度、お手紙をお送りし、未だにそのご縁は繋がっています。
人生の半分を憧れの方々と共有できていることに大変喜びを感じます。
岡田嘉夫さんの縁で、浅田次郎さんの
天切り松という勘三郎さんもテレビで実写化された本と出会えました。その天切り松の言葉で
血より濃い水もある
この言葉に私は何度支えられたことか。
掏摸一家に弟子入りした松蔵の悲しくも人情味溢れる粋な小説です。
その憧れの岡田さんと落語の会で初めてお目にかかれた時は涙腺が緩みました。
あぁ、○○ちゃん?
と覚えてて下さって嬉しかったです。
素敵な大人といえば、歌舞伎を好きになって好きすぎて好きすぎて死にそうなくらいな役者さんがいました(笑)
彼は今では売れっ子ですが、昔は端役ばかり。
本筋の贔屓の方しかまだいない時分だったので、高校生の頃から楽屋にお邪魔したり、読んでみてください!と、嶽本野ばらさんの本を貸してみたり(俺には分からなかったと至極全うな返事を貰いました(笑)、御園座で友達と待ち合わせをしていたとき、彼が一度出番を終えてホテルに帰るときたまたま私を見つけてくれて
こんにちは~!
と自ら気さくに話しかけて来てくださったことはとっても良い思い出です。
今は歌舞伎に縁がない方でも皆さんご存じな立派な地位を築かれましたが、私が熱をあげていた頃と何ら変わらない気さくな風体は今も健在でだから人気があるのだろうなーと思う今日この頃です。
役者さんももちろんですが、縁もゆかりもない私のような小娘を丁寧に扱ってくれた後援会の番頭さんも大好きで、あの番頭さんだから私はより歌舞伎が好きになれたのだと思います。
未だに良くして頂いて、感謝しています。
今のようにTwitterもInstagramも、ましてや役者個々のサイトがあるかないかの時代です。
閉鎖的な空間に飛び込んで、快く受け入れてくれるのはなかなか容易なことではないと思います。
金比羅山でのご夫婦にも金言のような
今時の若い子は、顔がきれいだなんだで男の人を選ぶでしょ。そんなの年を喰ったら顔なんてみんなくちゃくちゃになるんだから心で選ばなきゃだめよ!
仕事が急に休みになり、舞踊公演の当日券売り場に並んでいたら前のご婦人が
連れがこられなくなったから招待券一枚上げるわ
と棚ぼたのようなことも起き、
しかもその後にこれからあなたを観るわよ!?という大好きな
中村勘太郎さん(現勘九郎さん)が前から歩いてくるではないか…!?
応援しています!
ありがとう(にっこり
みたいなあの日はとても運が良かったなあと思います。
大袈裟でも言い過ぎでもなく、私の陰鬱な日々に極彩色の光を与えてくれたのは歌舞伎との出逢いです。
芝居の筋や役者さんももちろん素晴らしい。
だけど、趣味を通して知り合えたたくさんの方々を通してまたより一層深い人生になった気がします。
演劇界という歌舞伎専門の雑誌に投稿し、写真スタジオを営む方と文通をして、プロマイドをわざわざ送ってくれたり、歌舞伎チャンネルという、またもや歌舞伎ばっかり流している衛星放送(笑)をみたいものをリストアップしていつもビデオに採って送ってくれたお姉さんがいたり…
顔も知らない、あったこともない人とこんな風に繋がり合えるんだな
と趣味の効力をこれでもか、というくらい感じてそれにより助けられ成長してきました。
またコンプレックスの塊の私が
歌舞伎が好きだ
という一言で
すごいわね~若いのに!
という認めて貰える一つの項を得たのも自信になりました。
なので私は受けた幸せを恩返ししていきたいという気持ちが根底にありますね。
追伸 中学の野外学習の前日、
なんとなく勘太郎さんがテレビに出る気がするから新聞欄、気をつけてみておいてね
と言って母に言い残して野外学習から帰宅すると、本当にNHKのテレビに出られていたことがありました。
なんにも知らずにただの勘で言ったのですが面白いなぁと今でもたまに思い出します。
宮藤官九郎さんの演出した新作『大江戸りびんぐでっど』が開演された後、中村屋の特番をみていた親友から
あの番組みた?
と言われ、その頃はバンドに忙しかったの見ていなかったのですが
見とらん、なんで?
ときいたところ
いや、似とる人が映っとるなぁと思って
と言われえ、そうなの?と職場の人にその話しをしたところ
あ、私もそうかと思ってたんだよね
と録画していたスマホを見せて貰い…
いやこれ、ライブ行く前に観た私だな、どう見ても…
と相成りました。その日、歌舞伎を観てライブに行き汗だくになった私。
ライブ後、夜行バスで帰宅しなんだか熱いな~と思っていたら風邪をひいており、風邪薬でもまるで下がらず、その後インフルエンザになったという忘れられない日のまだ元気な私の映像、問い合わせてDVDが家にありますな(笑)
私が興味があると言ったことを他者が覚えていてくれて、
ああそういえば…
とちょっとしたことでも覚えていてくれるの、嬉しいですよね。
一昔前の昔話でした。
またいろんな人と出会ってきたことも、また書いていけたらと思います。
今日はここら辺で!