「キスがどれも終わることがなければいいのに」“I wish that every kiss was never ending...”(“Wouldn't it be nice?”)
フジーリの絶賛するように、「素敵じゃないか(Wouldn't It Be Nice)」はまさに名曲中の名曲だ。
いわゆる「ビーチ・ボーイズ」っぽいスーパー・イノセントで若々しいイカしたナンバーであり、全体的にすごく清々しい。アレンジも素晴らしく、完成度の高い作品だ。
そして何より、『ペット・サウンズ』というアルバムの「序曲」として、これ以上ふさわしい曲は他にないと思う(「キャロライン・ノー」から記事を書いてしまった手前、こんなことは言いにくいけれど…)
オペラの序曲がオペラ全体のテーマや雰囲気を予告し、時に通奏低音として、時にライトモチーフとして残響し続けるように、この曲は『ペット・サウンズ』というアルバム全体にある種のテーマ付けをしているように思う。
それは例えば、「青年から大人への移行にあたっての期待と不安、そして失望」だろうか。
この曲の出だしは明るくアップテンポで、希望に満ち満ちている。例えば初めて自転車に乗った時の全能感のような。(免許を持っている人は、オートバイやらオープンカーやらセスナやらに初めて乗った時でもいいかもしれない)
そのキラキラした(ある意味子供っぽい)喜びが、曲全体を満たしている。
しかし一方で、モーツァルトやシューベルトの歌曲がそうであるように、明るい曲調の中でふと急に陰りが現れる。「デモーニッシュ」とか「タナトス」とか、クラシックを語る上で使われる語彙を流用すると大げさに聞こえるけれど、なにやら天上の音楽を思わせるような十二弦ギターのイントロで始まるこの曲の影に、「悪魔の囁き」が、あるいは「『魔王(D 328)』の死への誘い」が隠れているとすれば、なかなかにスリリングではないだろうか。
この曲を聞くと僕はいつも、空を飛ぶ光景を想像する。『ラピュタ』とか『魔女の宅急便』とか『紅の豚』に出てくるような(?)、半分もしくは完全に人力で飛ばすような代物で、力一杯スピードをつけて翔ぶ。ある時は自分自身の推進力で突き進み、ある時は風に身を任せて滑空する。恐らくは、「君をのせて」。
突飛でごく個人的な空想ではあるけれど、ブライアンが子供の頃仲が良かった母方の祖父カール・アリー・コーソフは、孫が6歳だった1948年に、自分の所有する小型プロペラ機にブライアンを乗せてフライトをしたことがあるらしい。(ホワイト『ビーチ・ボーイズとカリフォルニア文化』(宮治ひろみ訳)p86)
実はサーフィン経験の少ないブライアンだったが、幼少の頃の祖父とのフライトの浮遊感、躍動はある種の「原風景」として心に刻まれていたのではないだろうか。
前述の十二弦ギターの「イノセンスと、束縛のない幸せがそこにほのめかされている」(フジーリ『ペット・サウンズ』村上春樹訳 p72)ような「天上の音楽」の後に始まるブライアンのとびきり明るいボーカル。
これはきっと、空を飛ぶための助走だ。
スピードを出しながらも注意深く、地面を蹴って飛び上がるタイミングをうかがっている。
今だ!
ドラムが一発。
フジーリが言うように、この曲を聞いているとしばしば「「方向感喪失」に似た感覚」(同携書 p74)に襲われる。テクニカルには、コードの目まぐるしい転換や、テンポの融通無下な緩急、重ねられるコーラスによる効果なのだろう。
僕はここに、「浮遊感」とが「空を翔んでいる感覚」を感じる。旅客機以外で空を飛んだことがないから言い切ってはいけないかもしれないけれど…
この「Bメロ(?)」部分ではきっと、僕らは地面を離れ、空に浮かんでいる。しかしあまりに急のことで何が起こったかよくわからない。「stay」のファルセットあたりからようやく、翔んでいることに実感が沸く。
多分僕らは抱き合っている。それは感動からであり、一方では不安からでもある。
僕らはもう、さっきまでいた地面の上にはいない、新しい世界に来てしまったのだ。
コーラスも伴奏も厚くなる。
新たな推進力をもって、僕らはさらに上へ上へと翔んでいく。
抱き合った腕を、離さないまま。
僕らはやがて、雲の中に潜る。
ジェットのようにがむしゃらに進んでいた僕らはスピードを緩める。
幻想的な雲の世界で、僕らは口づけを交わす。
溢れる幸福の中にずっと留まり、キスをしたままここで漂っていたい。
ドラム一閃。
曲は突如、調子を変える。
僕らは雲から出て、また空を飛び始めることになる。
下を見れば僕らの町が拡がっている、現実と地続きの世界。
このブリッジではリードボーカルがマイク・ラブに交替する。中音域で甘く語るような感じだ。
僕らの「浪漫飛行」のほうは一旦エンジンを止め、空をゆったりと滑空する。これまでの旅路を振り返る暇を、僕らに与えるかのように。
そして僕らはまた、爆進する。
いつの間にか落ちていた高度を、取り戻すのだ。
振り返る時間などない。
フジーリが指摘するように、「音楽は徐々にゆっくりになり、ほとんど停止状態に至る。しかし(中略)テンポがのろくなるにつれて、テンションは高まっていく。ほとんど耐え難いまでに。」(前携書p73)
人の時間感覚は不思議で、なにか異常なことが起きている際には、時間の流れが普段よりゆっくりに感じることがある。
有名なのは大きな事故に遭った人の体験談だけれど、身近な例だと知らない町を迷いながら歩く際、実際より長い時間歩いているように感じることはある。
あるいは、気になっている女性とバーで飲んでいて、会話が途切れて見つめ合っているようなケース。どれだけ長く見つめ合っても時計の針は進まず、手元のカクテルはぬるくならない。高鳴っていたはずの心臓の鼓動すら、凍りついてしまった。
この曲のこの部分も、そういう状態なのだろう。
僕らはまた雲の中に差し掛かっている。今度は止まらずに、覚悟を決めてスピードを上げようとしている。
彼女の目を見つめながら、エンジンをフルスロットルにする。
僕らは前に、前に進まなければならない。
恋人達の美しくも神秘的な交感の時間は終わり、世界はまた動き始める。フルスピードの飛行機は雲を突き抜け、遥か彼方へ翔んでいく。
こうして『ペット・サウンズ』の愛の旅は、青春を終え大人になることへの期待と不安を抱えながら、始まるのだった。