煌びやかではない、米国留学

今月末、私はどうやらアメリカへ発つらしい。

 「どうやら〜らしい」などと、どこか他人行儀に書いたのは、渡航準備の過程で(今、まさにこの瞬間も)様々なアクター(ないしアクタン)がエージェンシーを発揮し、私という主体の意志や考え(たとえば長期間の米国滞在に対する不安や大切な人たちと別れることに対する戸惑い)がほとんど介在する間もないままに、「渡米」が刻々と近づいているからだ。

 無論、米国留学は私が挑戦してみたいと願ってきたことである。これは私の意志だ。留学しなくても、ましてや博士課程に進学などしなくても、生きていく術は私にだってあるだろう。
 それでもアメリカの博士課程に進学することに決めたのは、他でもないこの「私」がそのことを望んだからである。ただ、その望みや願いが形になるためには、そこに多種多様な(非属人的な物事を含む)条件が絡み合っていたのだろう。例えば、教育学分野にクィア・フェミニズム研究を交錯させる私の場合、日本で本分野に関する指導を仰ぐことのできる先生は非常に限られており、博士課程での指導となればほとんどいないに等しいという状況があった。加えて、上述のような関心をドンピシャに共有する院生コミュニティはほとんどなく、必然とさえ言える孤独な闘いに向けて、それを生き抜くマチズモ的資質を涵養する必要も出てくるだろう。(もちろん、教育学研究(者)やクィア・フェミニズム研究(者)について日米間で優劣をつけたいということではないし、これらの研究を日本で行うことが全くもって不可能だと考えているわけでもない。)
 そもそも博士課程留学(博士課程進学を含め)なんて、身体を壊して辞職した食い繋ぐことに必死な両親を脇目に、学部時代の貸与型奨学金=借金が嵩みつつも収入さえろくにない私にとっては全く現実味のないことだった。留学中の友人らの煌びやかな姿が蓋をしたはずの経済コンプレックスを煽るように感じ、舞い込む留学情報には背を向けた。そんななかで、フルブライトやJASSOの給付型奨学金や、米国大学のファンディングシステムなど、博士留学を支援する財政援助方法が様々あることを知り得たのは、修士時代に面倒を見ていただいた先生方との「雑談」があったからこそだ。それは偶発的な必然だったのだろうか。

 だから、フルブライト奨学金およびJASSOの奨学金の合格通知が届いた時、ミネソタ大学からの正式な入学オファーを受けて留学できることが決まった時はとても嬉しかった。愛する人たちと、この喜びを分かち合いたかった。けれど、その後の手続きタスクは山のようで、喜びを噛み締める間もないぐらいに「To-doリスト」には文字が埋まった。

・奨学金受給/辞退宣誓書の提出
・健康診断書・ワクチン接種証明書の提出
・ミネソタ大学とフルブライト財団の連絡中継ぎ
・フルブライト財団オリエンテーションへの出席
・ミネソタ大学合格者 Pre-View Day への出席
・進学先報告用紙の提出
・進学先大学からの正式な入学許可書の提出
・2024-2025年度の経費についての書類の提出
・進学先大学の到着必須日についての書類の提出
・財政援助に係る書類の提出
・パスポートコピーの提出
・旅程申告書の提出
・銀行口座通知書、銀行開設
・緊急連絡先フォームの記入、提出
・Onlie Gateway Programへの出席
・Terms of Appointmentへの署名、提出
・Visa面接、受け取り
・航空機チケット予約、発券
...

 記録に残っているだけでも、こんなに。ここに荷物配送、歯の治療、渡航に向けた買い物、進学先の指導教員との打合せなどなど、数えきれないほどのタスクが出てくる。一つずつ、一つずつ、チェックボタンを押していく。そうこうしているうち、気付けばもう日本を発つまで一週間を切ってしまった。実感も焦りも、何もないまま、「渡米」が近づいている。

 私はここまで一人で辿り着いたわけじゃない。留学が決まるまでに、博士進学を志すまでに、数えきれないほどの人々に助けられ、制度や社会構造に後押しされ、めぐりめぐってここに「漂流」した。私の海路を形作ってくれたその全てを、私は今振り返ることができているだろうか。その全てに、私は今感謝できているだろうか。希死念慮の日々を支えてくれたものたちに、クィアとしての自覚と自尊を鍛えてくれたものたちに、研究のいろはを一から教え導いてくれたものたちに、期待と励ましの言葉をかけ続けてくれるものたちに、収入が尽きていても身体が悪くなっても私の前ではそんな顔せずいつも新たな門出の背中を押してくれるものたちに、私の存在を無為たるものとして愛し続けてくれるものたちに...、私は。
 ちょうど「To-doリスト」に付記するように、私を形成し続けてくれる全ての者の名を挙げても、私の博士課程留学を可能にしてくれる制度や社会構造を名指しても、おそらくそのことにはほとんど意味がない。今問うべきは、未来形のクエスチョンだ。渡米準備リストのチェックボタンを押すごとに、留学というフェーズにふらふらと、けれど確かに近づいていく私は、この旅路を形作ってくれた者/モノたちに何を返せるだろうか。

 恩師は言う。「奨学金は税金だ。だから君はその金を作ってくれた人々に、この社会に、還元できる研究者になって、帰ってこなくちゃいけない。」
 恩師の言う「人々」とは誰だろう。恩師は「この社会」にどんな輪郭をみているのだろう。少なくとも私が何かを返したいと思う人々は、日本という国家の枠組みの内側にだけいるわけではない。政治家やCEOが「私たち〜」と言う時、その対象の中にいつでも想定されている存在、ではない。私が返したいのは、「この社会」の枠組みからさえも時として零れ落ちるような、周縁に揺蕩いながらも力強く命を生きているような、そんな人々に、である。
 恩師はこうも言ってくれた。「きっと澤田さんが救える人っていうのがいるんだと思う。」私が救えるのは、救うべきなのは誰だろう。私は誰とともに生きていきたい、生きていくべきなのだろう。

 フルブライト財団のオリエンテーションと懇親会に参加した日、私は自分が場違いなところに来てしまったと感じた。夢を語り、社会を力強く動かし、そのためにもあらゆる人々とコネクトできる気概と品性を有し、煌びやかにも日々を謳歌できる人。きっとフルブライターとはそういう人たちである、と感じた。その姿は、かつて私が背を向けた、スマホの画面の中で輝き続ける留学中の友人たちに重なる。
 私はおそらく、そういう人にはなれない。夢と呼べる夢などないが、ただ皆が幸せに生きてほしいという祈りはある。ただそれは、あまりに青臭すぎるように感じて口にさえできない。大きな変革を生み出すようなエネルギーはないが、目の前の人を愛しながら世界(私とその人が織りなすインスケーラブルな世界)を共創するための言葉を探すことは諦めたくない。社交的に振る舞いもするが、複雑な思いを飲み込んで口を噤んでしまう自分に辟易したりする。素敵な人々に囲まれ、恵まれた人生を生きていると感じながらも、視界が曇り前も向けず自分も世界も全てが嫌になりながら日々を生きる。笑うことはあまり得意じゃないが、温かく、柔らかく、泣くことはできる。私はおそらくそういう人だ。

 そういう私にも(だからこそ)、「救える人」がいるのかもしれない。呼びかけられた声に、即応/応答できるこの柔らかさを、驕らずに大切にしていきたい。

煌びやかではない米国留学だってアリだろう。

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