傾きゆくこの国で、「他者」として生きること

数日前、Whatsappの留学生グループにて、「11月5日はみんなで集まって選挙速報を観ないか」という話があがった。このグループのメンバーは、国籍やジェンダー、性的指向、年齢、アビリティなどの面で多様な生を生きる者たちであり、皆がいわゆる「アメリカ人」という像から何かしら外れている者たちであり、開票日まで行き場のない不安を抱える者たちである。それぞれの自室で暗雲に押し潰されそうになりながらスマホを眺めるより、皆で食卓を囲み、声を掛け合いながら、来たる4年間の希望を願おうではないかという提案は、考えてみればもっともなことである。

マラウィからの留学生である先輩が自宅を開き、私たち10人を招いてくれた。私が彼女の家に着いたのは19時50分、皆が集まってから1時間遅れての参加だった。というのも、火曜夜は「Public Policy in Higher Education」という必修科目があり、今日はちょうどファシリテーター役が当たっていたので帰りが遅くなったのだ。本時の授業内容は”Internationalization of Higher Education”、米国の国際高等教育に係る政策動向について私と他2人の学生で授業を行った。私たちのグループは様々ある国際高等教育政策のなかでも特に「Deffered Action for Childhood Arrivals(通称DACA *ダーカと発音)」とよばれる政策に焦点をあて、移民政策と高等教育の関係について論じることになっていた。DACAとは、法的書類/資格を持たずに米国に居住する移民(undocumented immigrants)が社会上昇と経済的貢献を果たすために大学等での教育機会を享受できるよう、かれらのUndocumented Statusを一時的に取り払う政策である。オバマ政権時代に施行されたこの政策は多数のDACA Recipientsを生み出し、かれらの教育機会を拡大してきた。DACAの被適用者はDREAMersと呼ばれ、まさにこの政策はかれらの夢への扉を開くものとして希望を託されていた。しかし、2016-2020年の第一期トランプ政権において、この政策を撤廃するようにという大統領令が発布され、本政策は政治的渦中へと飲み込まれることになっていった。こうした不安定さ(precarity)は、米国の移民たちのよるべなさをますます高まらせることとなった。

バスを降りるとあたりはもうすっかり暗く、吹き荒ぶ冬風が私の足を運んだ。二ヶ月ぶりに皆で集まれることが只々嬉しく、アパートの街灯がクリスマスの装飾のように足元を照らした。彼女の家につくと、中国からの留学生が作ってきてくれた懐かしい味のするヌードル、マラウィからの留学生が作ってきてくれた舌が痺れるようなスープ、イランからの留学生が作ってきてくれた香辛料パラダイスのような野菜炒めなど、机の上に並べられた種々の料理が私を待っていた。もちろん、Papa Johnsのピザもある。全部食べてみたいので少量ずつお皿によそってから、皆のとなりに座った。CBS、ABC、FOX、…いろんな局の選挙特番を転々としながら、偏向報道を罵ったり、トランプの発言を揶揄したmemeをシェアしたり、家族や出身国について話したりしながら時を過ごした。

22:30ごろ、ペンシルベニア州の開票率が60%を超えた。どの局をつけても、ウィスコンシン、ミシガンなど、Blue Wallを含むいわゆるswing statesでトランプが有勢であることが報じられた。さっきまで笑いあっていた声が消える。何人かはテレビを凝視し、ほかの何人かはスマートフォンから目を離さない。私もスマートフォンで速報ページを開き、データを更新しては赤が増え、また更新しては赤が増えるという状況に、鼓動が早くなるのを感じた。
23:00を過ぎたころ、皆の口から出る言葉はどれも、「自由の国」や「アメリカン・ドリーム」なんてマヤカシであることを告発するような暗く悲痛なものだった。

This is so depressing. I am just so scared.
Practically speaking, we don’t have a hope anymore.

これ以上テレビを観ているのはしんどいと誰かが言って、一人また一人と帰り支度を始めた。皆の表情は一向に晴れない。

帰り際、友人たちはいつもより長いハグをした。中東出身の友人の目からは大粒の涙が零れていた。私と彼女は帰る方向が一緒なので、車持ちの友人に二人まとめて一緒に送ってもらうことになった。 車に乗ってから家に着くまで、彼女はずっと啜り泣いていた。窓の外を眺めながら、後部座席で隣に座る私の方には目をむけず、涙を拭い続けていた。肩を窄めて申し訳なさそうに泣く彼女を前に、私は何もできなかった。

彼女が泣いていたそのわけを、私は知らない。彼女が経験してきた、そしてこれから経験することになるかもしれない、国家による暴力を、私たちが住まう社会が振るう暴力を、私は知らない。彼女がどれほどの恐怖を抱えていたのか、私は知らない。散りゆく紅葉を照らす窓の外の霞んだ光に彼女が何を見ていたのか、私は知らない。涙に濡れる彼女の横に座りながら、一緒になって泣くことも、声をかけることもできなかった。ひと時だけでも絶望の淵から彼女を救えるような言葉を、私は持っていなかった。

彼女が車を降りたあと、運転役の友人が教えてくれた。トランプが政権を担うということは、彼女や彼女の家族が強制送還される可能性があるということだ、と。前政権期間において、トランプはDACAを取り消そうとした。選挙期間中も彼やヴァンスは移民を標的にし、ヘイトやデマを拡散し続けた。第二期政権となった今、彼はこの国のボーダーに立つ者たちを、以前よりも容赦のない形で攻撃するだろう。

私がこのノートを書いている今、彼女は何を思っているだろうか。第一期トランプ政権時代を米国で過ごしていない私にとって、J-1ビザをもって日本から留学している特権的立場にある私にとって、彼女たちの表情の裏にある想いや記憶は、まだ、理解が及ぶものではない。DACAと移民政策について、準備した原稿を読みながら淡々とスライドをめくる私は、かれらの生きる日常についてどれほどまでに無知だったことか。

考えなければならない。動かなければならない。訪れてしまったアメリカの暗い時代を私はどのように灯すことができるだろう。

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