交通事故と映画「インディペンデントリビング」
7歳、小学一年生のときに、交通事故を起こした。
友達と道路のすぐ横の歩道でわりと大きめのボールで、ボール投げをしていた。
ボールは転がっていき、道に飛び出した。信号は、赤だった。
でも、飛び出していた。ボールを掴んだ帰りに、
大型のトラック(4トン)に飛ばされた。
ボールを掴んだまま、ボールを抱えるようにして、何度もバウンドしたという。
目の前に、ガソリンスタンドがあった。
そこに勤めるお兄さんが見ていて、後に警察にも来てくれた。
距離でいうと、70メートル飛ばされたという。
子どもが低学年のときに50メートルを走る度に私は、これより長い距離か、と思ったものだ。
足は複雑骨折。頭は後頭部を打った。
医師から母が言われたことは、あと数センチずれていたら、植物人間状態でした(今は使わない言葉だけれど)、ということだったらしい。
大きなたんこぶはあるものの、脳にはなんの異常もなかった。
が、足は痛かった。とにかく足の痛みとともに生きてきた。
今回はその話ではないので、割愛。
あのとき、打ちどころが悪かったら、寝たきりだったかもしれない。そもそも、ボールを掴む前にはねられていたならば、即死だっただろう。
当たりどころがよかった。トラックもスピードが出ていなかったのも、幸いした。
足の痛みとは長い付き合いになったけれど、それでも。
あのとき、亡くならず、打ちどころが悪かったら、どんな人生だっただろう。
全くわからない。それでもやっぱり、見えてる世界をより良く変えたいとあがいただろうか。
きっと、もがいただろう。その力が残されていれば。
息子が一日だけ重症化したときに思ったこと。もう二度としゃべれなくても食べられなくても歩けなくてもいいから、どんな姿でもいい、とにかく生きて帰ってきてほしいということ。それだけを、願った。
生きている限り、人生は続く。
ひとりひとりの人生がある。どんな病気や障害を抱えても。
しゃべれなくなっても、口から食べられなくなっても、人には尊厳がある。
親子であっても、別の存在であること。別の人格があること。もう一度、思い直す。
なんで久しぶりに交通事故のことを思い出したかというと、この映画を見て。
(シネマ・チュプキ・タバタのホームページより)
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映画や美術館のあと、ひとと話すと、自分が見えているもの、聞こえたこと、心に刻まれたこと、それは自分が感じるものなんだと。受け取ったものすべて、自分が受け取ったものでしかないと。だから、いつも全く気付かなかった面白さや違う角度からの感想を聞くと、自分の狭い視野に、ハッとします。
映画も話す場も、どちらも、オススメです。