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#46不安不安

こんな時、私は素直に喜べない人です。本気で相談に乗れない人です。

とても荒れていた学年がありました。その学年は3年生になっても落ち着かず、3学期までその雰囲気のまま来てしまいました。

受験です。当時多学年の担任をしていた私は、普段その学年の生徒とは話す機会がなく、挨拶をしても「死ね」と暴言を吐かれるような学年でしたが、そんな立ち位置の私にすら「受験が不安だ」そう訴えてくるんです。

そんな訴えが来たら、「全力でサポートしてあげたいな」とか、「応援してあげたいな」とか、「何かできる事は無いだろうか」などの気持ちになるんですが、当時の私は全くそんな気持ちになれませんでした。私の心の中では、「あれだけ罵詈雑言を浴びせられ、しんどい思いをしているあの学年に対して、なぜ私が寄り添わないといけないのだ」とそんな気持ちになってしまったからです。

今その時期を思い返すと、いろんな振り返りができます。まずは私の考えや行動についてです。これははっきり言って未熟です。視野が狭すぎました。そんな気持ちになったり、そんな行動を取ったりする事はもちろん理解できるんですが、もっと別の行動や考え方があったのだろうという気持ちになっています。

そして生徒についてです。今思い返すと本当にただただ幼く何も教わっていないからあんな表現ができるんだ。そう捉えることができるようになりました。嫌なものは嫌だと捉え表現し、不安な事は不安だと捉え表現する。言い方は非常に悪いですが、小学校低学年のような振る舞いをしているだけなのかもしれません。そう思えるようになると教育について考えるようになりました。おそらくその学年は、あらゆる大人から表面上の付き合いしかしてもらえず、まともに教育を受けてきていないから、そんな幼さが残っているんだと思うようになりました。

当時の私も振り返ってみれば、表面上の付き合いしかしていなかったです。「あの学年の子としゃべるとこっちがしんどい思いをするから関わらないでおこう」そんな気持ちになるので、関わりを最小限に留めていた気がします。

昔の学校は、そういった学年や生徒に対してはきつく叱っていたように思っています。でも今の学校現場はきつく叱れば、それはまたそれで問題となり、叱ることさえしなくなったように感じます。これを解決するにはどうすればいいのかなぁ。毎日悩みながら過ごしている私でした。ちなみに私なりの答えもあるんですが、第三者がその答えを聞いたとき、それはそれでしんどいだろうなという気持ちにもなっています。じゃあ何が正解なのか。それがわからないので、これからも模索していくつもりです。どこかで表現できればいいなと思っています。

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