ロールケーキについて

私は甘いものが好きだ。スポンジケーキも生クリームも好きだ。しかし、ロールケーキはもう十年以上買っていない。出されたら食べるが、昔、母からある話を聞いてから自分から進んで買うことはなくなった。できなくなったと言うべきかもしれない。

中学生の頃、何かの用事で母親の運転で出掛けた帰りにコンビニに寄ったときのことだった。「家に帰っても夕食まで食べるものないから、何か欲しいならいっしょに買ってやる」と言うので、いろいろ物色していたところ、菓子パンのコーナーでコンビニお馴染みのスイスロールが目に止まった。これならば値段的にも量的にもちょうどいいだろうし、切り分けられているのでみんなで食べやすいだろうと考え、「じゃあこれ」と棚から取ろうとすると「ダメ」の一言。「生クリームそんなに嫌いだっけ?」「そうだけどそういうことじゃない」「俺が食べる分としてもダメなの?」「ダメ」これ以上食い下がるような執着もないし、そもそもスポンサーがダメというなら諦めるしかない。何か適当なものを買ってコンビニを後にした。

私の母は厳しい一方で飄々とした人であり、普段は子供に対して下ネタを振るようなよくわからない余裕を持っていた。そんな母がたかがスイスロールにあれだけ過剰に断定的否定的態度を取ったのがどうしても気になり、運転中の母になぜスイスロールがダメなのか聞いてみると、ぽつりぽつりと語り出した。

小学校の頃、友達の子が病気で長い間入院してたのよ。薬の副作用で体力が下がるような、けっこう重い病気で。で、何人かでお見舞いに行ったことがあって、ベッドで半身で起きて迎えてくれたんだけど、病気のせいか、薬のせいか、げっそり痩せて色も白くて。でも私らのお見舞いにはうれしそうだった。私はそんなに仲良しでもなくて、弱ってる姿見てちょっと「うわぁ…」ってなってた。で、せっかく来てくれたんだし、何か出そうとしてくれて、お見舞い品の中からロールケーキを出してくれたのよ。一本の、そこそこ立派なやつ。切り分けて、ひとりひとりの小皿に取り分ける時、その子、素手で取り分けてくれて。病気の人が手で持ったからとか言っちゃいけないのはわかってるんだけど。入院服の袖から出た、枯れ木の枝みたいに、白くて細い子供の手で、切り分けたロールケーキを持って、「はい」って。そのときの手が、忘れられなくて、思い出すんだよ。

運転中なので正面を見据えたままで、無表情だった。私は自分で聞いたくせに「へぇ…」としか返せず、その子はどうなったかなどは怖くて聞くことができず、後は黙るしかなかった。意図せず母のトラウマを引き出すようなまずいことをしてしまい、子供ながらにばつが悪い思いをした。

これ以来、私はロールケーキを買うことができなくなった。コンビニでもパン屋でもケーキ屋でも、安かろうと高かろうと、どんなにおいしそうでもだ。母から伝えられた、病気の女の子の、入院服の袖から出た、枯れ木の枝みたいに、白くて細い手で差し出されるロールケーキのイメージは、もう十年以上私の脳裏に焼き付いたままである。

最近、この話に関わる出来事があった。年末に実家に帰った際、同じく帰って来ていた姉がコンビニで化粧水だかを買いたいとのことで車を出してやった時のことだ。「ガソリン代とまではいかないが、コーヒーか何かぐらいは買ってやるよ」と言うので、いろいろ物色しながら「まぁまずロールケーキはないわな」と呟いたとき、姉は「なんで?」ではなく「あれ?」という表情をしていた。もしかしてと話してみると、姉も母からこの話を聞いていたのだ。

正直なところ、母のロールケーキの話はおもしろいと思った。私の文章のせいでいまいち伝わらなかったかもしれないが、母の車中での話はかなり上手だった。おかげで十年以上実際見てもいないイメージが頭から離れないのだから。しかし、内容が内容なので軽々しく人に話すようなものでもないと思い、おもしろいものはまず共有していた姉にも話さなかったのだが、何かのきっかけで同じ話を聞いていた姉も同じように考えて、話すのを控えていたとのことだった。

「話、すげー上手くなかった?」「上手かった上手かった。おもしろかったもん。やっぱよく本を読む人は話も上手くなるのかね」「あれ何回かやらないとあそこまで話せないよ」「持ちネタなのかな?」「不謹慎だねぇ」