生きて来た 命の理由
盂蘭盆の入りに生まれた。小さい頃は、「地獄の釜の蓋が開く日。「亡くなった人と一緒に生まれてきたんだね。」と言われて、自分がお化けのような気がして嫌だった。
でも、厚洋さんは
「亡くなった人たちの思いと一緒に生まれてき
たんだね。守られているんだよ。」
と言ってくれた。
その通りだった。厚洋さんが亡くなってから「あっ。真愛は亡くなった愛しい人の想いが分
かるし、愛しい人に守られているんだ。」
と感じることが多かった。
厚洋さんが声が聞こえ、「守られた!」と感じる出来事が多い。
昨年の誕生日には、拙著「白い花にそえて」の出版前の著者分が送られ、新盆棚に備えた。
その中に厚洋さんの日記メモを載せてある。
2014年8月13日。
Maaの誕生日です。
真っ赤なバラがいいね。人が死んだらどんなことがあるんだろう。何をするんだろう。
2017年8月13日。
Maaの誕生日です。
何かおもしろいものをあげましょう。来年もプレゼントあげられるか。私が分かりませんねぇ。猫の小物を求めました。笑ってくれました
そして、2018年8月13日。
厚洋さんは病床で、真愛をハグし、髪を優しく撫でてくれた。
今年は、コロナ禍の中
ペルセウス流星群を空から贈ってくれた。
(昨日の記事に書いた
「プレゼントは、ペルセウス流星群」
https://note.com/am4234/n/na5423df25ec1
愛しい人と一緒に逝きたかったのに、
はひとり生き続けてしまった。
改めて誕生日に、己に問う。
何のために生まれてきたのか。
何のために生きているのか。
「生まれてきた訳」は、さださんの
「命の理由」が全てを語っている。
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
春来れば花自ずから咲くように
秋来れば葉は自ずから散るように
しあわせになるために
誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは
喜びの実が実るように
(中略)
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため
生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため
真愛は、真愛に関わる全ての人に出会うために生まれてきた。
それは虐められることだったかも知れないし、愛されることだったのだ。
そして、一番は、
「愛しい厚洋さんに出会うため
愛しい厚洋さんを愛して
守るために生まれてきた。」
今、愛しい厚洋さんには、もう会えないけれど、厚洋さんに育ててもらった真愛は、
「厚洋さんのやりたかったこと。
厚洋さんが私にやらせたかったこと。」
を死ぬまでやり続けることだと思っている。
彼が45年前の卒業文集に子どもたちに贈った言葉がある。
「我々に与えられたこの命は
たった一度しかない。」
「反省はしても後悔はするな!」
彼の生き様は、自由で伸びやかだった。
それは己にも人にもだった。
優しく魅力的な生き方だったと思う。
彼に愛されていた事が、
今の真愛の誇りである。
私がいつか死ぬ時に
「真愛は、厚洋さんのお嫁さんになれて
幸せでした。
その幸せをたくさんの方に
分けてあげられました。」
と言いたい。
誕生日は、
生きる事は、死と隣り合わせにある
ことを確認する日なのかも知れない。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります