子育てパニック 待つ
待つことの大切さ。
認めること。肯定すること。
言葉が子どもを育てる。
「早く」しなければならないことなんてないのかもしれない。
何時もの美容院。美樹ちゃんのところでの話で気づいた事だ。
毎回、髪の手入れをしてもらっいながら、色々話すのだが、前回は真愛が迷子になって約束の時刻より遅くなった。
焦れば焦るほど、カーナビに頼らなくなり、同じ場所をグルグル回ってしまった。
今回はまあまあの到着で安心したが、よく考えると美樹ちゃんはいつも、ゆとりを持って待ってくれている。
彼女は、息子さんに声かけをする時も、真愛が反省しなければならない言葉「早くして」を言わない。
今考えると、息子には本当に可哀想なことをしたと思う。
厚洋さんに注意されたが、なかなか治らなかった。
「早く起きて!」
「早く食べて!」
「早く支度して!」
「早く出かけなさい!」
学校から帰って来ると、
「早く宿題やっちゃって!」
「早く食べて!」
「早くお風呂に入って!」
「早く寝て!」
厚洋さんはよく言ったものだ。
「お前さあ。
いつゆっくりさせるんだ?
早く早くって。
人生を早く終わらせるのか?
クソぐらいゆっくりさせろ!」
4人で住んでいると、トイレが一緒になるが真愛は、息子にトイレを急がせたことはないし、厚洋さんが1番に新聞を持って行くので、真愛は我慢して、便秘になった。
だから、
「トイレは急がせてません。」
と返答した気がする。
「でも、俺が入っているとトイレの周り
ウロウロするだろう?
ゆっくりできない。
早くって言われるのはそういうことだ。
焦らせられたら、出るものも出ない!」
と、わかるような分からないようなことを言われた。
「早く」と言われると、早くしなければならないと思ってパニックになるのだ。
美樹ちゃんのうちも同じだった。
息子さんと美樹ちゃんがブッキングするようだ。
でも、彼女は息子さんに対して「早く」を使わずそれとなく「気づかせる」のだ。
「お母んが先に行っていい?」
「お父んを待たせちゃいけないので
準備始めるよ。」
なんて調子だ。
「早く」の言葉の変換を上手くするのだ。
「ダメ!」と否定しない事を心掛けたという。
真愛は、息子の隣の学校の教員であったため、親の見栄で
「勉強しなさい。」
「そんな点ではダメ。恥ずかしい。」
と言った。
こんな親で恥ずかしいと思っていたのは息子の方だったと気づくのは、ずーと後になってからだ。(今で言う親ガチャ失敗!である。)
子どもが早く出来ないにはそれなりの理由がある。
いや、子どもだけではない。
このお婆さんになった真愛なんて、早くしたくても分からなかったり、体が動かなかったり、気力がなかったり様々な理由で早く出来ない。
自分だってイライラしているのに、そちらの都合で
「早くしろ!」
と言われたら、そりゃ言いたくなる。
「家“うち”にゃぁ。金はねぇ!
逆さに振っても、鼻血も出ねぇ!」
って、強盗に向かって叫ぶように叛逆するだろう。
育てる者と育てられる者との間には、必ず上下関係が生まれる。
弱い者と強い者といって良いだろう。
小さい頃の真愛は、母親に叱られると
「捨てられたらどうしよう?」と悩んだものだ。
しかし、それ以上に「可愛い」とか「愛しい」とか「嬉しい」とか「一緒に居たい」とか言葉にならない「幸せ感」を持てるのも育てる者と育てられる者の間に生まれる感情だと思う。
小さい頃は可愛いくて、厚洋さんと取り合いをするほど溺愛していた息子だったのに、自分の思い通りに行動しなくなった息子に
「早く!」
「早く!」
と待たなくなった自分勝手な母親真愛。
「諸悪の根源は、母原病!」
なんて、それとなく厚洋さんの学級通信に載っていた。
家事をして、仕事をして、子育てをして、妻もしたいと何種類かの人間をこなそうとすると、自分自身にゆとりがなくなり、「早く」と言っていたのだ。
「早く!」って言ったって、絶対に「早くならない。」
遅くなっている理由を掴み、それを解決する方法を示唆することが必要なのだ。
退職した後、お手伝いに行った学校では、見栄も大きな責任も感じなかったので、「早く」は言わなかった気がする。
「ゆっくりやって!」も言わなかった。
ひたすら「待った」のだ。
何に困って、鉛筆が止まってしまったのか
私自身も考えられたのだ。
これも厚洋さんの受け売りだが、
《「分かった?」って聞いたら、
「うん」と言わざるを得ない。
「何がわからない?」って聞かれても、
本人もどこがわからないかわからないのだ
から答えようがない。
行動こそがその思いを雄弁に語ったいる。
よく子どもを見ろ!
鉛筆が動いている奴は、何かを考えている
んだ。
自分なりに解決しようとしているのだ。
鉛筆が止まっている子の顔を見ろ、
考えているのか、分からないのかが判断
できる。
鉛筆の止まっている子の所に行き、
どこにつまづいているのかノートを見ろ!
写しているだけだったら、
最初に戻って分からなくなった所を
見つけてやれ!
みんなの鉛筆が動いていたら、
安心して煙草を吸うんだ。》
厚洋さんは、とんでもない教師だったが、いい教師だった。
「待つ=見守る」である。
お手伝いの時の子どもたちも良い子たちだったので(真愛の教員生活では、全ての子が良い子だったと、今、思う。)
待っていると目が合う。
彼らの方から、遅くなる理由を話してくれるのだ。厚洋さんの言う通りだった。
「育む」というのは、
「は(羽)」+「くくむ(含む)」で、
親鳥がひなを羽で包んで育てるの意であったのが、人間の場合にも用いられるようになり、また、何か物を大切にする意にも用いられるようになったという語源。
親が子を養い育てること。
また、大切に守って発展させること。
大切なものはゆっくりと動かすものだ。
「早く!」なんていうのは、脅し文句の接頭語なのかもしれない。
我が息子は、現在良いパパになっている気がするし、老いた母に優しい良い息子である。
こんなに素敵な子に育ってくれたのは、厚洋さんが「自由に」「ゆっくりと」「拓らしく」
と、他者と比べることなく、世間に見栄も張らず、彼の思いをあるがままに受け止めて、待ったからだと思う。
まさに、高村光太郎の「道程」の父である。
僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる
ああ,自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた廣大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
これは、母親でも同じことだし、教育者でも、育てたい誰かがいたら…。
独り立ちさせたい誰かがいたら、こうあるべきではないだろうか。
金木犀が香り始めて1週間が経つ。
ゆっくりと深く良い香りを吸い込む。
彼女の美容室に来て、ゆったりするのは、
「早く!」を使わず、変換した言葉を使いながら、相手に対する思いやりのある言葉を使ってくれるからかもしれない。
この人と話していると「気持ち良くなる」のは、相手を思いやる「待ってくれる」優しさを感じるのだと思った。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります