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成願寺の枝垂れ桜

江戸時代からある真言宗智山派・成願寺。
周りは成願寺堰と呼ばれる大きな池があり、山門・堰を囲むように染井吉野が咲き始めていた。

本堂の欄間の彫り物は、「波の伊八」の作品だと言う。

若住職は、真愛の教え子さん。
美しい良い声でお経を唱える。厚洋さんの御葬儀の時にお願いし、その所作が陰陽師の安倍晴明に似ていたので、不謹慎にも「カッコイイ!」と思ってしまった。
何よりも、お説法が良く、自分の生き方について立ち止まって考える機会を頂く。
↑上の写真は、今年のお正月のお焚き上げの時。
「火とは、全てのものを焼き尽くします。
 もう一度、新たな生き方をしなさいという
 ことですね。」
煩悩×煩悩を溜め込んでいる真愛にとっては、生き直そうと思える言葉だ。

今のご時世、心静かに地元のお寺や神社にお参りする事もいいなと思う。
宗教ではなく哲学するつもりで散策すると良いのかもしれない。
昔は、好きな人と人気の無いお寺に行って手を繋いだり、ただ二人でいたりするのが目的の時もあったけれど、手を繋げないご時世ですから「哲学」する。
「桜は、何故散るのでしょうか。」
「私は何者なのでしょうか?」

最終的に
「どう生きたら良いのだろうか?」
と問う。
それによって、この後行くスーパーにおいても冷静に振る舞う事ができる。
冷静・安寧は、人を品良くしてくれそうだ。
お金は無いけど、人としての品格は欲しいものだ。
そして、美味しい「桜アンパン」も欲しいものだ。

真愛は、哲学よりアンパン。
    花より団子。
最後までお読み頂き、
「こんな結びで申し訳ない。」

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります