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子育てパニック 頑張れないの

 さあ、お盆を過ぎると夏休みが終わる。
 教員をやっていた頃は、お盆が終わると、二学期に向けての準備が本格化し、研修のまとめや運動会の準備で、通常勤務日よりも忙しくなった。
 ずっと昔、四半世紀前は教員の給料日でもあったので、8月21日は登校日だった。
 だから、ここで「夏休みの課題」を提出させておくと、9月からが楽なので「早期提出」を促した。子どもたちも、そこで一旦腹を括る。
「俺はもうやっても,間に合わないので
 提出しません。」とか、
「後少しなので、9月に提出します。」とか。
 厚洋さんは宿題が好きではなかった。
「宿題なんか、教師のやり残しを押し付けている
 に過ぎない。
 学校で教えるべきことは学校でやれ。
 家に帰ったら、家で学べる事をさせろ!」
 理にかなった正論である。
 しかし、多くの教員は、復習・家庭学習の定着と称して、「夏休みの友」(ずいぶん昔)やドリル、ワーク。更には、読書感想文・自由研究・科学工夫工作・標語やポスターの応募etc
 山のような課題に埋まって、登れない子が山ほどいた。
 退職近くのベテランと言われた頃は、出来るだけ課題は7月中に学校でやらせ、長期間だからこそできる「やりたいこと」に挑戦させた。
 しかし、困ったのは親だった。
「先生、ちゃんと宿題出してください。
 『俺のやりたいことは、野球だから、
  それはちゃんとやる。
  後は皆んな学校で終わった。』
 って言われて何にもしないで不安です。」
と言うのだ。
 きっと、私が親でもそう言っただろう。親は、子どもが机に向かっていると安心する。
(サザエさん家の波平父さんのように)

「素晴らしいお子さんです。
 彼は、自分のやりたい事をやれる立派な子です 
 大人になってもしっかりと自分の考えで
 生きていけます。素晴らしい!」と褒めた。
 まあ、7月中に課題を終了できる子だから、学力も生活面でも心配のない子だったから、そう言えたのかもしれない。
 その子は今、消防士「人の為になる仕事がしたい。」と頑張ってくれている。
 そんな素敵な子どもと正反対だったのが、真愛である。
 未だに、「この日までに🟢をする」と決めても、なかなか取り掛からず、先延ばしにして、後で、大騒ぎで適当にやってしまう。
 小学校6年生の夏休みの宿題は、8月31日に始めて9月1日の朝終わった。
 その時は、
「二度とこんな事はしない。提出するものは、
 早めにやろう。」
と決めた。
 だが、性格?根性の悪さ?なんの因果か分からないが、未だに「やらなければならない事」を後回しにする。
 そう、取りかかれない人、頑張れない人なのだ。

 昔から真愛のような子どもは多く、その親は苦労するらしい。真愛の母親は「お手上げ」だったのか、「信じてくれていた」のか分からないが、一度も、「勉強しなさい。」と言わなかった。
 高校に入ってから、(もっと母親に勉強しろと言われていたら、もっといい学校に入れたかもしれない。)と思ったことがある。
 今考えると、言われていてもやらなかった気がする。
 要するに、頑張れない子どもでも「怠けている」のではないし、「頑張りたい」と思っているのだ。
 やれる子よりずっと「やらなくては…。」と思っているのだ。
と言って、
「じゃあ、頑張らなくてもいいよ。
 出来なくていいじゃん!」
なんて言われると自尊心を傷つけられる。
 やらないのに偉そうにするなと思われるかもしれないが、複雑な思いなのだ。とても、苦しんでいる事をわかって欲しい。

 そんな真愛が教員になって少しずつ、頑張れるようになったのは、厚洋さんや周りの先輩たちが「真愛のやる気スイッチ」を押してくれていたからだと思う。
 厚洋さんは息子にも真愛にも、本人のやる気を削ぐ様な余計な事は言わなかった。
 落ち込んでいる時に頑張れれは言わなかった。
 失敗した時にお前が悪いとも言わなかった。
 お前だったらもっと出来るはず、も言わない。
 ひたすら黙って見守ってくれていた。そして、ちょっと出来たり、うまく行ったりして、饒舌になった真愛に向かって
「良かったな。」
「いい考えだね。」
「やって見れば。俺も好きだね。」
と認めてくれた。
 滅多に認めてくれない厚洋さんが認めてくれだ時は、天にも昇る気持ちになった。
 知らず知らずのうちに、他の先輩の先生にも褒められた。人に認められると調子に乗る単純な真愛なのだ。
 真愛のやる気スイッチは、「認められる」事だったのだ。それらの繰り返しによって、誰かに「やる気スイッチ)を押してもらわなくても自分が自分を認められる様になると、自分の目当てが持てて、それに向かって頑張れる様になった。
 子育ても同じだと思う。
 我慢ばれない子は、頑張った事を褒めてあげれば良いのだ。
 ただ、誉め殺しの様に真実味のない褒め方では、帰ってやる気を削がれる。
 子どもをよく見て、本当に「素晴らしい」と感じたら褒めるのだ。
と言う事は、漫然と子どもを見ていては気がつかない。よく
「あら、上手ね。」
と、声高に褒める女性がいるが、
「ありがとうございます。」
と言いつつも(けっ!私はこんな程度かよ?)って思うことがある。
 本人が本当に上手くいったと思った時に褒めるのだ。厚洋さんは上手かった。
 真愛は、上手に育てられていた様だ。

 頑張れない子への関わり方
・怠けているのではなく「苦しんでいる」と
 理解してほしい。
・やる気を削ぐような余計な事をしない。
・他者からの評価が大事。
・子どもに関心を持ち、黙って見守り、
 絶妙なタイミングで褒めてほしい。

 人はいつでも、スタートラインに立って居る。
 何度も、何度も走って良いではないか、
 いつか、気持ちよく走り抜けることが
         出来る日が来るはずだから。

と言っても、時間は平等に1日24時間。
 夏休みの課題が残っていて、取りかかれない子には、怒鳴らないで聞いてみよう。
「夏休みの課題は、どうしたい?
 この3枚から選ぶか?」
○やらないで提出する。
 後で、やらなかったあんたがいけないと
 言わない。
○自力でやるけど、分からないところは
「分からなかった。」と書く。
○全部提出する。
 家族全員で手分けをしてやる。
 先生に問いただされたら正直に言う。
って書いたカードを裏返しにして、阿弥陀籤の最後に置こう。

 ちょっとショートしても、私は責任を負いません。
「頑張れない。」と悩んでいる子ほど、
「今、頑張っているのだ」
 本当は、長い目で見てやり、今の良さを認めてやってほしいものだ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります