取り敢えず
とりあえず明日まで生きてみる。
しばらくしたら、
「明日まで生きてみたい!」と思えるようになるという。
数ヶ月前の生さだでの言葉だ。
70歳になる時に思った。
「70歳になったらどうなるんだろう。」と。
明後日に厚洋さんと同い年になる。
(あなたと同じ歳になるまでに何とか頑張る)と言った約束があまり果たされてない。
noteは頑張って書いて8000人ぐらいの人が好きといってくれている。
その中にはきっと厚洋さんのことをリサーチしてくれてる人もいるのだと思う。
でも、新聞やテレビなんかに出る事は無い。
結局、厚洋さんの書いた物の方がずっと凄い。
昔々、教頭先生になることをやめた彼が言った一言。
「俺はずっといち教員でいたい。
人に何か楽しいことを伝えられるような
そんな人間でいたい。
物を書くって凄いんだぞ。
ものを書き残すって良いぞ!
俺は教頭や校長にはなれなかったけれど、
物を書き残すことができた。
読んでもらうことができた。」
それは彼が亡くなって6年が経っても、彼がいなくても彼の本を読んでくれる人がいる。
真愛の場合は自主出版なので、読まれなければ我が家に帰ってくる。
しかし、書き残すという事は、ずっとずっと残って生きている。
そんな本の中に厚洋さんのことを書きたいと思った。
死して名を残す。
書き残す、出版するって凄い事だ。
七回忌までに一冊しか出せなかった。
富弘美術館展で、詩画の入選も果たしたが、本にはなっていない。
毎日が発見のイラスト部門で銅賞までは取れたが、その先には進んでいない。
目指すところを先延ばしにして、
「十三回忌までに…。」
それまでに何とか(厚洋さん大好きの本や詩画が描けたらいいなぁ。)
いろんなことをやりながら最終的に書かなければならない。やらなければならない事は厚洋さんの凄さを書くことだ。
そのすごい厚洋さんに恋をした真愛の幸せな思いを書くことだ。
ひょっとしたら、明後日死ぬかもしれない。
これを書いてから2ヶ月が過ぎた。
鬱の時は、取り敢えず明日まで生きてみようなのだが、10日後には、
「やっぱりとりあえず生きているんじゃなくて
何かがしたい。
何かがしたいけれどもその能力がない。」
と自分で思っている。
自分で思い込んでいる。
とことんやって、それでもダメで、
またとことんやってと思う。
少しでも上に行きたいと言う自分がなかなか持てない日々を過ごした。
考えてみたら、いつもいじめられていても必ず誰かがそばにいて助けてくれていた。
小さい頃は兄だったり母だったりだ。
市役所の用務員をしていた母だったので、私の周りにはたくさんの市役所職員のお姉さんたちがいた。
自分の妹のように可愛がってくれた。
友達にいくら嫌みを言われても、いくら意地悪されてても、可愛がってくれる人がいるというだけでいじめられた事は忘れないけれど恨まなかった。
でもそれがいけなかったのかもしれない。
いじめられてなにくそと思ったのは小学校6年生の1回切りだ。
凄く虐められたその男の子に目に物見せてくれると頑張って勉強したし、絵を描いた。
火災予防週間のポスターと標語が同時に特選賞をもらった。
虐めてくれた男の子に感謝しなければいけない。
三味線のお稽古でお師匠さんに言われた。
「あなたは甘い。何がしたいの?
上手になりたいと思わないの?
今の自分でいいの?」
叱られて、一応《なにくそ!》と思った。
今度は絶対前より良くなってやると思ったから、3週間休まず練習した。
次のお稽古でお師匠さんはにっこり笑って
「はい!努力は認めます。」
と言った。
やっぱりどっかで可愛がられている。
いろんなことのあった人生だな。
やっぱりちっちゃな幸せをたくさんもらって生きてきたんだと思う。
だからこそ厚洋さんがいなくなって1人になって厚洋さんの歳も超えておばあさんになっていく自分に向かって
「あんた厚洋さんに誓ったでしょ。
厚洋さんの妻として、
日本中に名前を轟かせて、
インタビューを受けたときに言うの。
《今ここに私がいるのは
厚洋さんに育てられたおかげです。
そういうんだって誓ったじゃない。
その思いどこへ行っちゃったの?」
と叱責する。
どこにも行ってない。
ここにいる自分の能力がわからなくてどこに向けていいのかわからなくって。
どうやったら1番になれるかわからなくて、
いつもいつも1番じゃなくていいんだよって
1番になれなくていいんだよって
なんだか適当に生きてきた。
貪欲なんて言葉が真愛の中になかったんだ。
今になって悩んでいる。
どうしたらいいんだろう。
ここで死んでしまったら何にも残らないのにと思いながら…。
ため息をつきながらこんな自分どうしたらいいんだろう。
悩んでしまうと動けなくなる。
そこで、さださんのひとこと。
「とりあえず明日まで生きてみる。」
こんな行き方でいいんだろうか。
世の中には苦しんでる人がいっぱいいるのに
世の中には努力して頑張ってる人がいっぱい
いるのに…。
切実に思わない自分がいるんだなぁ。
凄いことに、
「取り敢えず、明日まで
死ぬのをやめて生きてみる。」
そのうちに
「明日は、絵を描きたい!」と思って生きている自分に気づいた。
うっすらと虹も見つけることができた。
取り敢えず「生さだ」の投稿ハガキを書いた。
歳をとると「生きてる意味や自分が生きる価値」を見失う。
そんな時、今日生きていたら
「取り敢えず、何かを発信しよう。」
誰に向かって書くのではなく、
自分に向かって…。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります