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正視眼的生活

「なぜ飛行機は飛ぶのか?」
と聞かれたら、科学的に賢い人は、『重力より揚力が上回れば機体は浮き、物体の運動を妨げる抵抗力より、推進力が大きければ前へ進む。」
 真愛には良くわからないが、こう答えるらしい。
 なぜ飛行機は飛ぶのか。
「ジェットエンジンを利用して、前にバシュー
ッて進むのね。」
なんて馬鹿な事しか思い浮かばない。
 小学校4年生を連れて、羽田空港に行って「飛行機の博物館」みたいな所に行った記憶があるが、書いてあった事を読んだが理解できなかった。
 厚洋さんの教え子さんが航空自衛隊・幹部候補生になり、更に「空将」とかになったと聞いたことがある。
「あいつは、すげ〜頭が良くて
小3なのに敵わなかったな。」
とぼやきながら自慢をしていた。
 ジェットエンジン噴射で、抗力に負けない高い推力を生み出すことで、上空において時速900kmもの速さで進むのだ。
 賢い芹川君は簡単に答えただろう。

札幌時計台前

 子どもはこう考えた。
「電車より飛行機で行ったほうが、
北海道のおばあちゃんに早く会えるからだ。」
 エンジンが噴射するから、揚力が重力に勝つからなんて考えない。
 真愛も考えても「飛べないなぁ」と…。
   やっぱりわからないのは、「なぜ飛行機が飛べるのかの理由」だ。
 この子が考えたのは、(なぜどのような「原理で飛ぶのか」と言う科学的な問い)ではなく、(何のために飛ぶのかと言う目的への問い)と考えたわけだ。
 何のためにと言う目的感が定まってこそ、様々な原理も生かされていくからである。
 【目的感を明確にしながら、
 身近な足元から実践するのが
 静止眼的生活である】
と言ったのは牧口さんと言う人だ。

紅梅

なぜするのかではなく、
    何のためにするのか。
なぜ生きるのかではなく、
    何のために生きるのか。
と考えると安定してくるから不思議である。
 自分の目先のことばかりを考えて全体観ができないのは近視眼である。
 できもしない理想ばかり述べて実践がないのは遠視眼だそうだ。
 遠大な理想を持ち、目的観を明確にしながら身近な足もとから実践するのが正視眼の生活であるという。
 真愛婆さんは、壮大な理想は掲げない。
 しかし、自分の目先のことばかりを考えて全体観ができないのは近視眼的な生活をしているということになるのだ。
なぜするのかではなく、
    何のためにするのか。
【人の笑顔を見るために…。】
なぜ生きるのかではなく、
    何のために生きるのか。
【死ぬ時に後悔しないために…。】
 厚洋さんがいつ迎えに来てくれても、笑顔で彼の胸に飛び込めるように、この時を生きている気がする。
 現実的には、今日生きてだれかに会うと、数ヶ月先、数年先の予定が入る。
 その予定を反故にしないように頑張って今日を生きることになっているが、必ず、
「もしも、生きていたら…。」と付け加える。
 妙な生き方だが、結構穏やかに生きることができる。


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maa
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります