塩対応はいけないの?
塩対応と神対応って言うのがあるらしい。
人に対する接し方を言うらしい。
「現代用語の基礎知識」のどっかの年度に掲載されているというのだから、だいぶ認知されている言葉なのだ。
真愛もTV番組の中で聞いた気がするが、「神対応」だけだったような…。
その時の「神対応」とは、店員さんの接客の仕方がとても素晴らしく思いやりも言葉の使い方も良かったことをそう表現していたと思う。
(神様みたいに素晴らしい対応と思っていた)
「現代用語」では「塩対応」を冷たい対応、素っ気ない応対。人への対応が冷たいことを指す。」とある。
スマホで調べると
そっけない、愛想のない、冷淡な接し方を指す言い方。
「しょっぱい」対応という 意味の語。
「しょっぱい」は主に味の塩辛さを表現する語であるが、表情などに不快さが表 れている様子を指すことがあらという。
「(相手を)舐めている」=「馬鹿にしている」という表現が連想されるのだろう。
「塩対応」は、アイドルの握手会などにおける素っ気ない(ファンとしては残念な)対応を指 す表現としてしばしば用いられるそうだ。
単に「塩」と呼ばれている。
この「塩対応」に 対して、ファンを大事に扱う真心が感じられる対応は「神対応」なのである
元々は、アイドルに対して使われていたようだが、最近では一般の人にも使われているらしい。
某新聞に「大人の対応力を身につけよう」と大見出しが踊っていた。
小見出しには、「自分を守りながら、人にも喜んでもらえる」と付けてあった。
公認心理師の方の所に相談に来る人の多くは
全く悪気はないのに「上司に要望を伝えただけで“怖い女”扱いをされた。」とか「何故か取引先を怒らせてしまった。」とか誤解による人間関係の悩みなのだそうだ。
同じ内容でも、話し方で相手の印象はガラリと変わる。身に付けたいのは「自分も相手も大切にできる話し方」だという。
小学校教員をやっている時の真愛は、ここでいう「塩対応の女教師」であったと思う。
真愛の大嫌いな言葉で「媚び諂う」っていう態度を取ることだった。貧しい母子家庭で肌が汚い女の子は馬鹿であると決めつけられ、差別を受けて育った真愛は、権力に屈する「媚び諂う」事を嫌った。
だから、くねくねと体をゆすり上司に擦り寄り、猫撫で声で上司の言葉に従うなんて女を見ると、後ろから蹴り飛ばしてやりたかった。
「塩対応」ではっきりと自分の意見は言った。
それは、相手が1000人の教職員組合総会の前でも、たった一人の子どもの前でも…。
そう思って事例を読んでみると、
接待終了後、上司に2軒目を誘われた時。
「それって仕事ですか?」
「残業代出ますか?」
と突っぱね、その言葉一つで、翌日から関係が悪化することはよくある。
サラッと、
「ちょっと頑張り過ぎちゃって限界です。
今日は失礼します!」
と上手く断るスキルが有れば良いのだという。
納得した。
真愛の「塩対応」と思っていたのとはちょっと違う。どちらかと言えば、真愛は後者で、「虐められないようにする為」に上手い言い方ですり抜けていた。
言い換えれば、「相手の気持ちを傷つけない事」それは、今まで自分にされて来たことなのでやってはいけないことだった。
「塩対応」と思われる人は、言葉の使い方が上手ではないのだ。相手をイラつかせたり、平気で傷つけたりする言葉を使う。
また、表情が硬いのかもしれない。本人は気づいていないのだが、ムッとした表情で返事をしたら、その表情から「嫌われてる」を読み取る人だっている。
厚洋さんがそうだった。
真愛に対しては、素直なありのままの表情に思えるのだが(惚れた弱み❣️)知らない相手には、怒っているようで、見下されているようで
尊大で、嫌な奴というような表情に見えたらしい。
更に、彼は寡黙であったため話すこともない。歯が少なくなってからは、笑う事も少なくなった。
自分が誤解されていても「そう思う奴にはそう思わせておけばいい。」なんて不貞腐れていた。『お前が、分かってくれてればそれでいい。』という彼の態度が嬉しくて、〇〇になるための「媚び諂う」事はさせなかった。
お互いにあるがままを認め合った。
だから、亡くなってから、「厚洋さんの良さ」を真愛が語るので、彼はお株をあげている。
真愛は、自分の気持ちに正直に生きた。
厚洋さんも自分の気持ちに正直に生きた。
2人とも結構相手の気持ちを考える、思いやりのある人間だったと思う。
違うのは、表情と言葉数(お喋り)の違いだと思う。(声に出さない文章を書かせると厚洋さんは最高に優しく神対応の人だった。)
塩対応をする人は、うまく感情が出せない
「嬉しい」「楽しい」などの感情を表に出すことが恥ずかしいと感じていて、気持ちとは裏腹につい素っ気ない態度を取ってしまうのだ。
また、もともと感情が表に出にくいタイプで、自分では明るく笑顔で接しているつもりでも、相手に伝わっていなかったり、クールな人と思われていたりする。
病床に臥した厚洋さんに
「愛してるってちゃんと言って!
言わなくちゃわかんない。」
「美味しかったら、
美味しいって笑顔で言って!」
というと
「笑ってるぞ。オレ!」
「笑って見えない!
お顔のここをキュッと上げないと
笑って見えないのよ。」
と彼の顔を両手で挟んで、伝えたことがあった。それからは、よく笑ってくれた。
彼の笑顔は下手くそで、おでこの筋肉を使って目を大きく開けてほっぺたを持ち上げた。
声を出しにくくなっても、おでこをあげて
「愛してる💕」と口だけが動いた。
彼は、自分の気持ちに正直に生きたが、生き方は、表情筋の動かし方と同様に下手だったと思う。
しかし、それは真愛の感じ方であって、彼自身としては「いい人生だった」と感じていたのだろう。
側にいた真愛も、彼が塩対応であっても、彼が大好きだったから「いい人生だった」と思う。
ただ、これからを生きて行く人達は、もう少し上手く生きてもいいかなとも思う。
真愛は、「全ての人と上手く付き合いたい」と思った時期もあるが、「全ての人と上手く付き合え、全ての人から好かれることなんてあり得ない。」と少しずつ学んだ。
今だに、噂を流した奴らは大嫌いだし、人の噂を声高らかに話す奴の気持ちがわからん。
しかし、そういう奴とも付き合わなければならない時もある。
若い時は出来なかったことだが、「媚び諂う」のではなく、こんな言葉を言ったら相手だって嫌だろうなという言葉は使わないように付き合っている。
人間関係は「映し鏡」と言われるが、相手の表情がムッとしていたら、まあの表情がムッとした婆さんの顔をしているのだ。
いくら嫌いな相手であっても、可愛い美しい顔で見て貰いたい。
嫌いな奴にこそ「あら!綺麗ね。」と思われたい。
そんな事を思っていたら、真愛は結構な「神対応」をしていたようだ。
塩対応しか出来ない厚洋さんを好きになってしまったのが因果である。
真愛は、常に厚洋さんには「神対応」だったが、年に一度は、我慢が溜まりブチギレていた。そんな時は厚洋さんが「神対応」いや、山神を崇めるように大事にしてくれた。
厚洋さんは、真愛がそうなる事を恐れて、ちょこちょこと「幸せ」をくれた。
要するに家庭では、お互いがお互いを思いやることだし、言葉に出して表現することが大切な対応なのだ。
この新聞には、「質問も否定もせず、ただ、一旦受け止めるのが無難。同意を迫られたら「考えとくね」と逃げ、話題を切り替えましょう」と記されていたが、それについては反対である。
噂話なんか受け止めてはいけない。
「なるほどー。そうなのね。」は同意である。
同意は認めることである。
そんな噂話や変な事を言う奴とは付き合わなければいい。自分を殺してまで相手を生かす価値がある人ならば、その対応で良いと思うが。
本当に自分の事を思ってくれている人ならば、「塩対応」をしても必ず戻って来る。
真愛も厚洋さんも「塩対応」である。
否定すべき事は否定する!
「塩対応」はいけないのか?と問い返したい。
ストレスを抱えないように人間関係を上手くする為に我慢をしてストレスを抱えたら、本末転倒ではないか。
相手と認識がズレるのが普通である。
真愛のお腹の中にいた息子ですら、1人の人間であり自分とは他の人「他者」なのである。
だから、分かり合いたい時には、言葉を使って「わかり合おう」とするのだ。
相手の思いを分かり合いたい気持ちさえあれば良いのだと思う。
この言葉は「塩対応」この言葉は「神対応」なんて考えていたら、商談は纏まらない。
御社の思いも我が社の願いも上手く打つけ合わなければいけないのだ。
日々の生活の中で「相手の気持ち」を考えて言葉選びをしながら話している人ならば、自然に言葉は生まれて来る。
と言う事は、最近は「人の気持ちを考えない人」が多くなって来たから「塩対応」」「神対応」なんて言葉が使われるようになったのかもしれない。
いい歳の真愛おばあちゃんは、「対応」なんて考えなくても「笑顔」で生活できたらと思っている。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります