若き日をめぐり巡りて雛の夜
せっかく出したお雛様。今夜でお仕舞い。明日はお片付け。長い長い二人だけの毎日を過ごしてください。二人で居られる「幸せ」をちゃんと味わってくださいね。
結局、せっかく出したお雛様は、真愛とチャーちゃんの二人にしか見てもらえず、しまう事になった。
ひな祭りはもともと五節句のひとつ、「上巳(じょうし)の節句」という。
この日は古代中国では忌日(いみび)とされ、そのけがれを祓うため水辺で体を清め、厄払いが行われていたのだ。
それが平安期頃に日本に伝わり、土や紙の人形にけがれを移して水に流す「流しびな」の行事となり、貴族の子どもたちの間で「ひいな遊び」というお人形遊びとなった。
平安貴族の衣装(衣冠束帯・十二単衣にお垂髪)これは、今でも宮中祭祀の折にはお召しになられている装束。
お内裏様とお雛様そのものである。
話は戻るが、この「ひいな遊び」が節句となり、ひな人形を段飾りにして、美しく飾って祝うようになったのは江戸時代になってからだ。
もっとも、そのような形でお祝いを行ったのは、武家や貴族だけ、お金持ちだったのだ。
この慣習が一般家庭に定着したのは、明治以後のことだ。
ひな人形は初節句に妻側の実家から贈る。
真愛が幼い頃も、豪華な段飾りのひな人形を飾っているのはお金持ちのお家だった。
真愛お雛様は母の物。
「復興雛」と言って戦後間も無く、焼け出された母に父が買ってくれた物だ。
小さく手のひらに収まる。74年前のお雛様だ。
女の子が生まれて初めて迎えるひな祭りが初節句。厚洋さんが元気な時に我が家でやる事ができた。
真愛が手作りした被布と着物を着せて、可愛いお雛様も購入した。
まだまだ一歳にもならなかった孫は暑くて泣き出すわ、お腹が空いて暴れるわ大変な1日だった。
厚洋さんは、すでにあまり歩けなかった気がする。キンキンした子どもの鳴き声が辛かったのだろう。抱きに出てこなかった。
「よく泣く、元気な子だな。」
と、苦笑していた。
半年前のお食い初めの時は、元気だったのに、真愛も気づいて「病院に行こう」と言ったのに、行ってももらえず、厚洋さんの前で泣いたのも、ひな祭りの頃だね。
さて、ひな祭りのお飾りは、
もともとの中国の厄をはらうための行事。この厄払いは、水で身体を清めて桃の花びらを浮かべたお酒を飲むというもの。(重陽の節句も菊の花を浮かべたお酒を飲むものね。)
桃は理想郷に咲くおめでたい花であり、不老不死の薬とも考えられていたため、この日に桃のお酒を飲んで祝うという。
1)「桃の木」は災いの身代わり
桃の木は、日本に伝わってきた当時は邪気をはらうためのもので、ひな人形にも身に降りかかる災いを代わりに受けとめるという役割があるそうだ。
2)祝の席には「白酒」
白酒は、清酒や焼酎にこうじやもろみなどを加えたもので強い甘みがある祝い酒。
お神酒なのだけど、女の子の無病息災を願ったので、甘みを強めたのだろう。
3)「ひしもち」
ひしもちはその名の通り、ひし形をしたもちで、地方によってはこれに青や黄を加えて五色のものもあるが、一般的には、ピンク、白、緑の三色のもちを重ねられている。
ひし形のお餅は、心臓を表すとも、桃の葉を表すともいわれている。
ひし餅の色の白は雪、赤は花、青は若草、黄色は紅葉を意味し、四季を表現している。
ひな人形は、子どもの代わりに厄を背負ってくれるといわれているので、本来は子ども一人ひとりがそれぞれのおひなさまを持ち、別の人から譲ってもらうこともNG。
市松人形はもともと親戚や親しい人からの贈りものでしたが、一人一対のおひなさまを飾ることが難しい姉妹に、二人目から市松人形を贈り、飾る場合が多く見られたそうだ。
真愛の市松人形も厚洋さんに買ってもらった物だった。
我が家の市松人形は、伊達政宗の兜と一緒に5月に飾る。
厚洋さんがつくづく真愛の「無病息災」を願っていてくれた事がわかる。いっぱい心配させていたんだね。
結婚してから、右足首・左肘・右肘・右膝・左膝・小指・中指と骨折だらけの真愛だったから心配してくれたのだね。
(あんなに迷惑をかけたのによく捨てられなかったなぁ。)
厚洋さんの作ってくれる毎日の朝ご飯を食べるようになってから、あまり折らなくなった。
先週、骨密度を測ったら、
この年齢の人の平均と比べると126%だという。若い人の平均と比べても96%で、92%だったのが骨密度が高くなっているという。
厚洋さんが
「ちゃんとビダミンDもとって、
踵落とししなくちゃダメだぞって
言ってたことをちゃんとやってる。」
お雛様に「無病息災」をお願いするのも大事だが、雑学博士の厚洋さんの言うことを聴くのも大事な事だったのだ。
3月3日になると必ず
「若き日を めぐりめぐりて 雛の夜」
という厚洋さんの俳句の話になる。
(学級通信に必ず書いたからだ。)
若き日とは、付き合っていた4ヶ月と結婚した頃のことだ。ヤキモチを焼いたり、愛してると迫ったり大変なお嫁さんだった真愛。そんな真愛を可愛いと思ってくれたのだろう。
金の屏風に映りながら、雪洞は走馬灯のようにゆっくり巡る。
雛祭りの夜に二人の過ごして来た時を思い出したという事だ。43年間もだ。
真愛のお雛様がお内裏様の方を向くようになったのがよくわかる。
雛霰を食べながら、書いていたら、お友達から凄い情報を頂いた。
このお雛様は95歳だという。
お雛様。
お内裏様の方を向いて❣️
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります