いい夫婦の日
厚洋さんが逝ってしまってからは、夫婦って言葉を見るだけで悔しかったのを思い出す。
四年前の11月。
厚洋さんの誕生日が近づいて来るほどに、彼が真愛を置いて逝ってしまった事を思った。
まだ、孫の出産予定日より前だった為、厚洋さんのいない部屋でじっと一日中動かない事もあった。
食材を買うためにスーパーに出かけると、老夫婦が仲良く買い物をしていた。
今思うと、なんであんなに目についたのだろうというくらい老夫婦に会った。
(真愛達もこんな風に見えたのだろうか。
いなげやさんで真愛の買い物カゴに、
ちょこちょこと自分の好きな物を入れる
厚洋さんを思い出し、くっついていた2人を
思い出した。)
今でも覚えているのは、4組目の老夫婦を見た時に涙がこぼれて来た事だ。
(このまま買い物をし続けたら、
声を上げて泣き出しそう。)
そう思って、直ぐにレジに向かった。
支払いの時には泣いていた。
変なお客さんだと思っただろう。
(見た人達より厚洋さんの方がずっと若いのに
何故、彼が逝かなければならなかったのか。
理不尽にも神様や仏様を恨んだ。)
その頃は、11月22日。「いい夫婦の日」のニュースを見ても聞いても、悔しかった。
幸いなことに、11月26日の厚洋さんの誕生日に産気づいた息子のお嫁さんが、翌日27日に第二子を出産した。
忙しさは、悲しみを紛らわしてくれる。
ママのお留守の間、孫の面倒を見るため、厚洋さんの遺骨と一緒に息子の家に行った。
孫と2人だけの時間は、忘れてしまった子育てや厚洋さんに手伝ってもらった子育てを思い出して、泣くどころではなかった。
嫁さんにも息子にも厚洋さんにも感謝する毎日が送れて、泣くことはなかった。
翌年の「いい夫婦の日」には、「大好き厚洋さん」は変わってなかったが、寄り添っているご夫婦を見ても悔しさでは泣かなくなった。
(仲良くして長生きしなくちゃね。)って思えるほどに落ち着いていた。
そして、翌年の2月後半からコロナ禍が始まった。
スーパーも「お一人様で…。」と来場制限をした為にご夫婦での買い物姿を見る事がなくなった。
みんな1人になったのだ。
真愛は、厚洋さんが真愛のためにしてくれたことだと思っていたが、コロナ禍は3年も続いている。
厚洋さんと真愛はいい夫婦だったと自負している。
厚洋さんに恋をして、結婚しても恋しい人で、なんでも教えてくれる恩師であって、なんでもやらせてくれた応援団でもあって、同じ事を楽しめる同士・友達でもあった。
父のいなかった真愛のお父さんでもあった厚洋さんは真愛にとって「奇跡の人」だった。
彼が逝って4年も経つと、真愛もそれなりに厚洋さんに尽くして来たなって思えるようになった。
彼の思い出と一緒に彼のその時の気持ちにも思い巡らす事ができるようになり、猜疑心の強い真愛が全面的に厚洋さんの言葉を信じられるようになった。
興奮して聞いていた言葉が、ゆっくりと心の中に沁みて来る。
あの頃「愛してる、愛してる!」と繰り返していた言葉が、厚洋さんの声で「俺だって!」と思い出せるようになった。
時が思い出を美しく彩ってくれる。
このnoteに書くようになって、更に色鮮やかになって来た。
勿論、息子の嫁さんは
「お母さんがお父さんを思うようにずっと拓君を愛し続けたい。」
と言ってくれる。
プールで会う友達は、
「本当に素敵な夫婦ね。
こんなに思われる旦那様は幸せ。」
と言ってくれる。
そして、最近思うことだ。
真愛を置いてひとりで逝ってしまったけれど、それはそれで、今は幸せ。
もしも、真愛の言うことを聞かない肺気腫を抱えたまま、酸素吸入器を使ったままタバコを吸って、お酒を飲んでおじいさんになっていく厚洋さんを見なくて良かったのかもしれない。
コロナ禍で入院をして、看病する事も出来ずにいたら、(何もしてあげられなかった。とか、伝えたい事も伝えられなかったとか思い)今のような落ち着いた真愛ではいられない。
一番良かったのは、真愛がまだまだ若くて、厚洋さんのために一緒に死を覚悟して看病できた事だ。
結婚前の恋人同士のように、互いに「命懸けの恋」をする事が出来たことは、最高の幸せな思い出だと思う。
この思い出で、ずっとずっと幸せに生きられる真愛である。
偶然にも、車の中でさだまさしの「空蝉」を聞いてしまった。
駅の待合室で、年老いた夫婦を見る。
小さな肩を寄せ合って座っている二人を。
それを見て思うのだ。
(頼りない互いのぬくもり抱いて
かつては、熱い恋があって
其れを守り通したふたりなんだろう)と。
2人は息子を待っているのだろう。
でも、終列車に息子は乗ってこない。
そして、駅員がいう。
「もう汽車は来ません。」と。
厚洋さんが入院する5ヶ月前、彼の車の調子が悪くなり、バッテリーを取り替えに車屋さんに行った。
直すまでの間、休憩室の2階に上がる事が出来ない厚洋さんといっしょに、街灯の下に座って待った。
犬は連れていなかったが、老夫婦の姿は異様に思っただろう。
座るべくして座る場所ではない。
互いを支えるようにして座り、夕日を黙って見ている。
最初のうちは、恥ずかしい気がしたが、真愛は厚洋さんの横に腰を下ろして、彼の生きている体温を感じて幸せだった。
「寒いだろう?
お前は、休憩所に行けばいいのに。」
「ここがいいな。
夕日が綺麗だもの。」
「寒いだろう」と心配してくれたから、腕に縋り付く理由が出来た。
作務衣を着たおじいさんとGパンとTシャツのおばさんが寄り添っていた。
その時に思った。
かつては大恋愛で、周り中の反対を押し切って結婚した。3ヶ月持つまいと言われた二人が、43年も守り通した思いだ。
恥ずかしくて、人前で手を繋がなかった夫が、病のために妻の手を強く握る。
悲しくて幸せな時だった。
あの時の真愛と厚洋さんは、側から見れば、辛くなるような老夫婦「空蝉」だったのだ。
「空蝉」って、大切な事を成し遂げた姿。
しかし、それは空しく既に現世では生きていない存在なのだったと思う。
いい夫婦とは、どんな二人のことを言うのだろうか?
沢山の子供を産んで育てた夫婦も
喧嘩もせずにずっとラブラブの夫婦も
互いの夢を追い求め独立した夫婦も
亭主関白の夫を愛し認める妻との夫婦も、
百組の夫婦がいたら百通りの夫婦の姿がある
厚洋さんが元気だった頃も好きだった。
厚洋さんが逝って、更に厚洋さんに恋をした真愛がいる。
亡くなった愛しい人を思い続けるのも、「いい夫婦」だと自分で思っている。
今日も遺影に話しかける
「今日は、いい夫婦の日だって、
うちらも結構いい夫婦だったよね。
ありがとう❣️
ずっとずっと好きでいさせてくれて。
最近よく夢に出てきてくれるね。
寂しいの、わかってる?」
申し訳なさそうな顔で、
ちょっと笑って見える遺影になったと思う。
「馬鹿な嫁さんだよ。」
って、厚洋さんの声がした。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります