睦月 元旦
睦まじくする月。
正月に親類一同が集まる、睦び(親しくする)の月という1月1日。
風もなく、穏やかな元旦を迎えた。
しかし、山の中の我が家は霜と氷でびっしりだったし、厚洋さんのいないお正月の4回目なので寂しいお正月になるはずだった。
一回目…喪中。厚洋さんのお骨は息子の所。
なので、さださんのカウントダウンに
いっちゃった。(良くない嫁)
二回目…一人は寂しいので、息子の嫁と
さだまさしのカウントダウンにいっちゃ
った。(良くない姑)
三回目…コロナ禍で出ないし、誰も来なかった。
四回目…大晦日から孫二人連れて、息子夫婦が来
てくれた。
この家で迎えた1988年のお正月。
最大在宅人数は四人だった。
厚洋さん・息子・真愛の母・真愛の4人である。
息子は10歳だったので、新しい自分の部屋に入ってやりたいことをやっていたし、母も初めての同居でやや気を遣っていたらしく、ぎこちないお正月だった。
(今までの団地の我が家に母を呼んでのお正月の
方が楽しいかもと思ったのを覚えている。)
あまりにも近くなってしまうと、様々なことが見えてぎこちなくなる。
それでも、まだ若かった厚洋さんは、真愛を連れて、夜中に出かけ、除夜の鐘と同時にお詣りした。二人っきりの時間を作ってくれた。
息子が巣立ち、母が逝き、我が家の在宅人数は減る一方だった。
二人になっても、変わりなく睦月は巡って来た。厚洋さんも年をとり、夜中の初詣は行かなくなった。
しかし、しっかりとお節を作り、新年のお水取りもして、二人でご挨拶をした。
お元日には着物を着て、初詣に行った。
彼がなくなる年までずっと続けた。
二人で迎える睦月だった。
2022年元旦。
在宅人数5人だった。
悲しみで減った分だけ、それ以上増える幸せである。息子が嫁さんを迎え、孫を2人もつくってくれたのだ。一人が4倍になって帰って来た。
お節料理を作り、お祝い箸を取り出してびっくりした。全てに名前を書くと、歳神さまのお箸がなくなってしまったのだ。
(ああ!私はとっても幸せなのだ。)
息子が結婚して、第一子が生まれてお正月に来た時は、厚洋さんもいて5人だった。しかし、産まれてすぐの孫はお節どころではなく、ひたすら泣いて泊まることもせず帰った。
だから、大晦日から泊まってくれて5人で迎える睦月元旦は、我が家史上初めてのことなのだ。
厚洋さんは、
「お天道様が高いうちに、いや、朝から飲めるのは初月だけ!」って喜んだ割には、お屠蘇もお酒もこの家に来てからは飲まなかった。
お重箱に手をつけるでもなく、銘々に盛り付けたお節の好きなものだけをおかずにお雑煮を食べ「やっぱり餅より、白いご飯がいいなぁ。」
と言うのが毎年の口癖だった。
それでも、
「真愛の煮しめは好きだ。金平もいい。
お節で晩酌するか。
重箱に俺の好きな物入れてくれてるもんね。」
なんて可愛いことを言ってくれた。
嬉しかったのは、厚洋さんに育てられた料理好きの真愛が7人分のお節を作ったことだ。そして、それらを喜んで食べてくれたことだ。
5人出迎える元旦。
素直に喜んで食べてくれる嫁さん。
楽しそうにはしゃぐ孫たち。
睦まじい年を迎えさせてもらったことに感謝するとともに、(厚洋さんにも味合わせてあげたかった。なんといったのだろう?〕と思う度に、今の幸せを感じる。
睦まじいの半語は、「余所余所しい」「疎ましい」である。
可愛い嫁と結婚してくれた息子に感謝である。
息子を産ませてくれた厚洋さんに感謝である。
厚洋さんを産んでくれた義父母にも、私を産んでくれた父母にも…。
己に繋がる全ての人に感謝である。
今、「睦月」を迎えることができていることに感謝である。
だから、お正月は親戚一同集まるのだ。
睦月なのだ。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります