子育てパニック 絵日記
はじめての絵日記
2021.10.3
今日、tumuちゃんがはじめて日記を書きました。
本当はいつも、いつも覚えておきたいくらいの楽しい事がいっぱいあるのに、絵も字もかけなかったのです。
実は、生まれてきた日にはじめてママに会って、オッパイをチュパッと飲んだときのすごく美味しかったことも日記に書いておきたかったのだけど、目もぼやけていたし、言葉なんて無理。泣くことしかできなかったの。
パパが隣に寝て、
「見ろよ。ちっちぇー。可愛い。
俺の腕よりちっちぇー。」
と言ってたときも、パパの暖かい腕と体の間に入って気持ちが良かったの。
絵日記は書けなかったけど、薄目を開けてずっとパパの顔を見ていたの。
いっぱいのはじめてをみーんな見つけて喜んでくれたママとパパ。
はじめて会ったおじいちゃん。
なかなか抱っこしてくれなかったけど、
「はい!」
ってパパから、おじちゃんのお膝にちょこんと乗ったとき、
(あっ。おじいちゃんは、パパと同じ匂いが
するって、暖かい匂いがする。)って思ったの。お髭のお口は黙っていたけど、ちょっと笑ったの。
絵日記にお髭のおじいちゃんを描きたかったけど、お膝の上でじっとしてました。
おばあちゃんは、ニコニコ笑い、壊れものを触るようにそおっと抱っこしてくれました。
「ママみたいに大きなオッパイ」って書きたかったけど握れるのは、ガーゼハンカチの端っこだけで、鉛筆なんて…。
パパとのお風呂は、毎日絵日記に書きたかったことです。
大きな手でそっとお顔を洗ってくれて、自分が寒くてくしゃみをしてたり、いろんな遊び道具を買ってきて、一緒に遊んでくれました。
ママが絵本を読んでくれるのも、毎日絵日記に書きたかったことです。
綺麗な声で歌ってくれたり、英語の絵本も読んでくれたの。
自慢したくて、絵日記に書きた買ったので、クレヨンでぐるぐるをいっぱい書きました。
はじめてお外でのお食事。
パパにしっかり抱っこされて動けません。
その間にママがお食事してました。二人の焦っているお顔がたまらなく面白くて、おっきなお目々の絵を描きたかったです。
おじいちゃんは、具合が悪くなったので、遊びに行っても、抱っこしてくれなくなりました。
おじいちゃんの部屋に入ってお顔を見ると、座ったまま笑ってくれました。
その時、心が読めました。
「tumu。お前に会えてよかったよ。
よく泣く事はいい事だ。
泣いて泣いて、泣き終わったら、立ち上が
る。強い子になるんだよ。
頑張る子になるんだよ。」
おばあちゃんは、
「あら、あら、
二人で見つめあっちゃって…。」
って、笑っていたけど、
「うん。分かった。
賢くて、頑張れる人になるね。
おじいちゃんの孫だもん。
シューマイ一緒に食べられるまで、
元気でいてね。」
って、話してたんだ。
おばあちゃんの作ってくれたお祝い着を着て、写真を撮った日の事です。
結構、暑くて泣くことしかできない日でした。絵日記に書き残せなかったし、おじいちゃんとの会話は、言葉を覚えたら忘れてしまう出来事だけど、本当は覚えておきたいことです。
おじいちゃんが亡くなり、おじいちゃんの生まれ変わりのように生まれた妹kanaちゃん。
はじめて、おばあちゃんがママの代わりをしてくれた日は、パパが早く帰ってきました。
お仕事しているパパの邪魔をしてはいけないと、おばあちゃんが子守唄を歌ってくれました。それを聞いたパパは、
「それ何?」
「子守唄よ。
あなたにも歌ってあげたでしょ?」
「へっ?俺さ。
なんかの呪文だと思ったよ。」
パパだって、tumuのように小さかった時は、ちゃんと絵日記に書きたかったことなのに、言葉を覚えて、文字が描けるようになるとみーんな忘れるようになってるんだと思いました。
パパに知らせてあげたかったけど、喋れないし、書くなんてできないし、ちょっと困ったことでした。
ママが、kanaちゃんのオムツを取り替えているのを見て
(tumuもやってもらっていたな。)って
(気持ちよくって、嬉しかったな。)って思ったけど、ママもパパも取られちゃいそうで、イジイジしました。
妹ができて、はじめてのことです。
絵日記に書いておきたい自分の心の発見でした。
ママは、tumu達を連れて、公園に行ったり土手に行ったりしてくれます。花の冠を作ったり、虫も触らせてくれます。
絵日記には描かなかったけど、お絵かきの時には、花みたいな図を描く事ができるようになりました。
「綺麗なお花ね。
お日様色のタンポポさんです。」
って言うママの言葉は、書き残す事はできませんでした。
パパはスケボーに乗せてくれました。
「おっ。スゲェ!
なかなか良いな。上手いぞ!」
って、いっぱい褒めてくれました。
そんな時は、絵日記にカッコよくスケボーに乗るパパの絵を描きたいと思いました。
2021年10月3日
tumuは、はじめて絵日記を書きました。
パパにお願いしたはじめての「バーベキュー大会」
今までだって、お家のベランダでやってたけど、遠いところまで来たのは、はじめて。
田んぼや山の見えるところで、沢山お肉を食べました。ピーマンも玉ねぎも食べました。
おばあちゃんも途中で来てくれました。
コロナなんとかで、ずっと会えなかったおばあちゃんと、消毒してからハグすることもできました。
帰る時は、ママととkana とtumuがまとまっておばあちゃんにハグしに行きました。
おじいちゃんと黙ってお話した時のように、おばあちゃんの心も読めました。
ちょっと泣きたくなりました。
今日、はじめての絵日記が書けたので、今までの心の絵日記はみんな忘れてしまうことになると思います。
言葉を覚える度に生まれた日の事を忘れていくそうです。
絵を描けるようになる度に、言葉を言えるようになった日の事を忘れていくそうです。
大事な事を忘れていくのは悲しいです。
でも、さっきおばあちゃんが心で言ってくれた事を思い出しました。
「忘れても大丈夫。
tumuちゃんの忘れてしまった絵日記は、
パパやママ、おばあちゃんおじいちゃんが
ちゃんと覚えているから。大丈夫!
毎日、ちっちゃな事を沢山発見して、「幸せ」
って感じられる事は、とっても素晴らしい
心なの。
心豊かなことなのよ。
幸せ発見絵日記は、素敵な思い出として、真愛
ちゃん。絶対忘れないからね。
いつか、tumuちゃんが大きくなった時、
パパやママが話してくれるから、大丈夫。
安心していっぱい言葉を覚えてね。」
って。
「うん。
いっぱーい! 幸せ発見絵日記。
かけるようになるね。」
みんなみんな絵日記に書きたかったことでした。
今年、2回目の金木犀が咲きました。
真愛は、厚洋さんの思いに包まれて、「幸せ」を厚洋さんに伝える事ができました。
初めての子供が産まれると、その命の輝きに沢山の「幸せ」を感じます。
「笑った」と言っては喜び。
「目で追った」と言っては、凄いと思い。
「ンパァ!」と言ったとパパは、胸を張り。
「ンマンマ。」はっきりママと言った幸せ。
「立ったよ。」「転んだよ。」
生まれて一年めは、「幸せ」発見の一年なのです。それは成長が著しい時期だからです。
しかし、おむつも取れて、ちゃんと歩いて、話せるようになると「幸せ」の発見ができなくなるのです。
私自身も息子を育てる時に、そうだったと思います。
しかし、本当は、毎日、毎日。少しずつ少しずつ成長しているのです。髪の毛や爪が伸びるみたいに…。気がついた時は、
「あら?
こんな事も出来る様になっていたのね。」
とびっくりするのです。
この成長は、見つけようとしなければ、気づかないものです。
また、この成長は大人になって、歳をとっても見つける事ができるのです。
厚洋さんも真愛も、大人になった息子を見て、お父さんになった息子を見て、
「逞しくなったな。立派になった。」
「この子を産ませてくれて、ありがとう。」
と感動したものです。
また、今日、ラインで
「tumuが、絵日記書いたよ。」
と嬉しそうに知らせてくれた息子夫婦を見て、いい親と思いました。
親業の喜びは、「子どもの成長」でしょう。
イライラする事もあると思うけれど、子どもの成長を発見して喜べる2人が素敵だと思いました。
毎日、幸せ発見は大変です。
でも、小さな変化に気づき喜べる親は、「子育てパニック」にはならないのではないかとも思いました。
もちろん、小さな「幸せ」を見つけられる事は、子育てだけではなく、人生を楽しむためにも必要な事です。
「子育て」は、「自分磨き」なのかもしれません。命を育てるのですから…。
おばあちゃんの真愛は、可愛い孫と素敵な息子夫婦を持てた事が「幸せ」です。
先に逝った厚洋さんには申し訳ないですが、
tumuちゃんに「幸せ発見絵日記」を語ってあげられるぐらい長生きしたいと思いました。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります