穀雨
2023年は4月20日は、穀雨(こくう)である。
穀雨は季節の指標である「二十四節気」の6番目の節気で、春の柔らかな雨に農作物が潤う」という意味だそうだ。
それまで不安定だった春の気候が安定し、種まきや田植えのシーズンになり、春の花が次々と開花し、牡丹やチューリップ、藤なども見頃を迎えるというが、今年はみんな咲き終わってしまった。
ただ田んぼだけは、ようやく水を張り田植えの準備に取り掛かっている。
農作業が遅いのではなく、気候変動が大きく自然の花々の体内時計が狂ってしまったのかもしれない。
その花々を見て、
「何て綺麗なの!」
「美しい日本・藤に守られているわ。」
なんて開花だけを喜んでいられないと思う。
【今の状態は、ちょっと異常なのよ!】
水を張った田んぼを見ながら運転する真愛の皮膚感覚が
「こんなに暑くて良いのか?」
と問いかける。
「絶対に良くないです。」
我が家の周りに来るコジュケイは、初夏に来るのに今年は2月に鳴き始めていたし、ウグイスの子どもたちも早かった。
いつもならまだ囀りの練習中なのにすでに
「ホーホケキョ!
ケキョケキョケキョケキョ〜」
と結構な谷渡りまで披露してくれている。
最近のスポーツ界や将棋界のように早熟の天才なのかもしれない。
何でも早くなってしまっているのかな?
しかし、長命・現役も多く聞く。
昨日は、100歳の浪曲師を見た。
素晴らしい撥捌きと力強い声でびっくりした。
動物も長生きをしているようだ。
早熟の天才が110歳まで生きたら、どんな事を思うのだろう。
人のことなんか言っていられない。
平凡な真愛が100まで生きたらと思うとゾッとするが、
「では、明日逝ってください!」
と言われたら、ちょっと困る。
「穀雨」は、3〜4月の不安定な気候が安定してくる時期。
少しずつ日差しが強くなり、気温も上がってくる。穀雨が終わると立夏になり、暦の上では夏が始まるのだ。
しかし、すでに数回の「夏日」が観測され、スーパーには冷やし中華が麺コーナーに並んだ。
我が家は、朝晩が寒くまだストーブをつけている。
変だ!
とってもおかしい?!
と思っているうちに、3日も過ぎて「穀雨」を迎えてしまった。
なんと昨日、一昨日は六月並の陽気、いや暑さで真愛も半袖で過ごしてしまったし、車の中は真夏のように蒸し風呂状態になった。
風もなかったので、下の部屋で節電を兼ねて網戸にして、noteを書いていた。
気がつくとお昼になっていたので、よく乾いた洗濯物を畳んで2階に上がった。
締め切っていた2階の室温は37度になっていた。夏だ!
しかし、夜になると冷えてくる。
まるで砂漠地帯の寒暖差になるのではないかと思うほどだった。
地球の至る所が砂漠化して来ているという。
極端な干ばつ・日照りが続き農作物が取れなくなって来ているという。
また、人為的要因でも砂漠化は進んでいるらしい。
ヤギやヒツジの飼いすぎ、木の切りすぎ、開墾耕作のやり過ぎ、都市化が進んでらのも…。
これらによって植物が少なくなり、風で土が飛ばされたり(風食)、水雨で土が流されたり(水食)するようになり、更にまちがった水管理によって土の表面へ塩がたまり、農業ができなくなるそうだ。
塩が溜まりで思い出した。
砂漠化に対して、豪雨というのもある。
つい最近、カナダや中国で考えられないくらいの雨が一度に降った。
因果関係がはっきりしていないというが、絶対地球温暖化の影響だと思う。
地球温暖化の原因は、人類が急速に富と権力を欲して活動を始めた結果だと思う。
ヤギが草を食べるなんて可愛いもんだと思う。問題は、国と国が、権力者と権力者が欲得で戦い瓦礫にしているんだ。
ウクライナの穀倉地帯もスーダンのお国もだ。
だった一握りの人間の権力欲で、本当なら元気で家族のために仕事をしていた人たちが、殺されているんだ。
真愛は、それを「変だ!」と思っても、noteに書くことしかできない。
季節の移ろいを肌で感じ、それを喜びそれを大切にしてしていた時代には絶対に戻れない。
どちらにしろ、地球は滅びる方向に舵を切ってしまった気がする。
今日は「穀雨」である。
それまで不安定だった春の気候が安定し、種まきや田植えのシーズンになる。
そして、立夏までの間、穀物に優しい雨を注ぎ、若い木の芽はいっそう逞しく茂り、「山滴る」頃になるのだ。
数年ぶりに山藤の開花が見事である。
あんな所にも藤が絡んでいると思うように沢山の場所で見かける。
「藤の花」は魔除けなのだそうだ。
結界を作るために藤を多く植える神社もあるそうだ。
その藤が見事に咲いている。
そこら中にだ!
地球自身が何かの魔物から守らなければならない事があるので、たくさん咲かせているのかもしれない。
今日は「穀雨」だ。
穏やかな地球でありたいのだろう。
いったい私に何ができる?
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります