680日
愛しい人が亡くなってから680日。
口の開いたタバコ、飲みかけのお酒。
何を見ても、寂しくって会いたくて泣いていたあの頃から、680日も経ってしまった。
身近な方を亡くされた人は、どう過ごしているのだろう。何時になったら安定するのだろう
真愛は、未だに泣く。
ただ、何かのきっかけで「涙腺」が閉まらなくなる状態だ。
あの頃は、引金がなかった。常に思い出し、一日中泣いていた事もあった。そして、「厚洋さんの所に逝きたい。」と毎日考えた。
厚洋さんの介護をすることが生きがいになっていたこと。厚洋さんを「心より愛している自分」に気づいてしまったこと。
その対象が突然、消えてしまったのだ。
難破した(厚洋さんの病発覚)人が、荒海に投げ出され丸木(厚洋さん)にしがみついたが、その丸木を取り上げられてしまったのだ。
神も仏も運命も恨んだ。
暗い空と何処を探しても見えない陸地。
光も届かない深い海に沈んで行くのもいいと思った。
その後150日の出来事や思いは、
「白い花にそえて
愛しい人を亡くした女が生き直す26の法」として拙著に書いて出版した。
彼の命日に出版。
一周忌は、彼の好きなジャスコンを開いてお世話になった方に聞いて頂いたが、台風15号の影響で想う様にできなかった。
彼が言っていた事
「お前の白い花の絵が好きだ。
人が笑顔になる絵本を書け。」
「人は自由で平等であるべき。」
「ひとは、死ぬその日まで学べる。」
厚洋さんに育てられていたと気づいた真愛は、絵を描き、ボランティア活動をし、童話を書いた。
そして、三回忌は「満望忌」として、無料コンサートを開いて「たくさんの方に感謝したい」と思って進んで来た。
ところがこのコロナ禍で、中止を余儀なくされている。
厚洋さんの大切な方をお呼びして、クラスターでも発生したらお礼どころではない。
いくら三密を避けてと思っても、「安全」の保証はない。そんな中では、おいで頂く方々も「行ってあげたいけど、もし!」と悩むに違いない。真愛の我儘で悩みを作るなんて申し訳ないと思う。
文化ホールとの打ち合わせが有る。
金銭的な事もあるが、コロナが収束するまで、未定の延期するしか無いかな?
彼に会えなくなって680日。
彼への想いで生きて来たが、やりたい事が出来なくなっている今、思い悩む事が多く素直に泣けなくなっているのかもしれない。
今日。
noteを書き始めて6ヶ月が過ぎましたとお知らせが入った。
ジタバタしながらも生きて来たんだなと思った。noteを始めた最初は
「毎日 書く」が目標だった。
初めは、1ヶ月。
1ヶ月が終わった時に、3ヶ月。
3ヶ月が過ぎた時には、
「半年、続くかな?」
だったのが、「半年過ぎた!」のだ。
難破して丸木を奪われた真愛が、noteと言う板を手に入れた気がする。
毎日、厚洋さんの思い出話と真愛の惚気話を書けるのはnoteだ。
ただ、申し訳ないのは、これを読んでいださっているあなたに…。
maaのnoteをお読みくださっている方々に
感謝とお詫びを申し上げます。
真愛の惚気話にお付き合いくださりありがとうございます。
note blogに入ってくださったのに、知識の広がりも生き方の解決も無く、本当に申し訳ございません。
しかし、
あなたのお陰で真愛は、まだ生きていけます。
680日に厚洋さんも
「お礼を言えよ!」
と申しております。
誤 愛読 有り難う御座います。
maa❣️
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります