令和3年2月1日.3.2.1.booちゃんの不安 中止! 不安は一緒に生まれて来た。
令和3年2月1日。3210!
booちゃんの不安シリーズを書き始めたら、下書きの中のタイトルだけでも10日分出て来た。
noteの記事埋めには、面白いと思うが、書いているうちに、「不安」は、全ての希望を踏み潰していった。
厚洋さんに聞いたことだが、
「お前のように周りを気にする人間が一番操り
やすい。
思い込みが強いから尚更だ。
例えば、出勤して直ぐに、
同学年の謙二郎君に『先生。具合が悪いです
か?顔色悪いですよ。』と聞かれてみろ。
元気であっても(あれ?)と思う。
更に、職員室に行ったら隣の望さんに『先
生。痩せたでしょ?またダイエット始め
た?』って聞かれる。
(食べてはいるけど…。
昨日は食べ過ぎで気持ち悪かったかな?)
って例のごとくだ。
一度気持ち悪かったと思ったら
(なんだか今朝も気持ち悪かったかな?)
と思うのがお前だ。
『痩せてないよ。ちょっと食べ過ぎで気持ち
悪いくらい。』と笑って見せたところで、
とどめに保健の先生が
『満腹でも気持ち悪い。
空腹でも気持ち悪いだと
胃が悪いのかしら?』
なんて刺されてみろ。
お前は
『胃潰瘍?胃癌の初期?』
と思い始める。
で、俺に
『私、具合が悪いみたい。』と言う。
俺は、
『そうか。気づいちゃったか。
実は来ないだ病院から電話があって…。』
なんて嘘を言ってみろ。
お前のポリバケツのような頑丈な胃袋は
胃潰瘍になる。
人を殺すのは簡単だ。
不安な気持ちを煽り立てるだけで、
精神・心だな。心を病んでいくんだ。
「病は気から」って言うのは真実だ。
どうだ。気持ち悪いのは治ったろう?
砂糖を舐めて治る病もある。
酒を飲んで治せる病もある。」
嘘くさくって笑っちゃったし、本当に気分は爽やかになった。
だから、
このnoteに「不安だ。」「不安だ。」
と連発すると、沢山の病を発症する。
よって、このシリーズは、中止とする。
このように中止宣言を書きながら、次のような事を考えた。
⚡️人の不安なんて、
放っておいても湧いてくる。
しかし、
☀️希望は、「持とう」と考えなければ
出てこない、努力しても持てない事がある。
人間は生まれた時から不安なんだ。
「オギャー」って、泣くではないか。
泣かなければ、オケツを引っ叩かれる。
羊水の中で、肺なんか使わず、のんびり過ごしていたのに…。だ。
突然、狭くて暗い産道を、頭を潰されながら押し出され世界は、空気の世界だ。
肺が生きるために叫ぶんだ。
「オギャー!
ここは何処だ?
不安だぞ!
怖いぞ!
寒いぞ!
何なんだ!」
ってね。
その後も暫くは、何も見えない。
ぼやけた世界で蠢きながら、独りで不安と闘うんだ。
要するに、「不快」が人生のスタート。
臍の緒を切られて、
「エネルギーチャージが出来ないぞ!」
って、思ってたら、アッタカイものが口の中に入ってきて、吸ってみたら気持ちがいい!
そこで、「快」を感じるんだろうなあ。
そう考えると、順番的には、「不快」「快」
「不快」「快」・・・と来て、「快感」で死ねるんだろうなあ。
厚洋さんの「俺は、快感で死ねたぞ。」って声が聞こえそうだ。
話を戻そう。
人間は生まれてきた時から「不安」なんだ。
不安って奴は、黙っていても
いつも自分と一緒。
一緒に産まれたんだから仕方がない。
「不安」って、
生きている証なんだろうなあと思う。
しかし、毎日、生きてる証を「不安」から味わわなくてもいい。出来れば「快感」や「喜び」から「生きてる証」を感じたい。
それは、流されやすい精神不安定な真愛にとってより良い「生き方」だと思う。
ーよって、このシリーズは、中止とするー
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります