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人形に込めた想い

 雛祭りの前後には、セレモニーホールで「人形供養」を執り行うところが多くなる。
 人形には目鼻がついていて、その人形に対する思いが入り込み、無闇に捨てられないからだろう。
 厚洋さんに買ってもらった真愛のお雛様も46歳。古くなっても手放し難く、毎年飾っては、たくさんの幸せな思い出に浸っている。
 真愛の手元には、さらに古い市松人形と62歳になるキューピー人形がある。
 キューピーさんは、大丸デパートで買ってもらった記憶がある。
 お人形遊びの真愛のお相手で、母から着物の縫い方を教わり、たくさんの着せ替えを楽しんだ。 
 看護婦さんになりたかった時期には、真愛の手術練習台になってくれて、盲腸の手術や骨折の治療をした。
 母は、
「人形は形代。
 本当になってしまうからやめなさい。」
と叱った。
 お腹が痛くなると、「巣鴨の刺抜き地蔵さま」のお札を飲ませるような母だったので、人形に対する思いは「人」と同じであった。
 だから、針供養・人形供養など当然のことなのだ。
 気づかないうちに、母から教えてもらったことは真愛の身体に染み付いており、お人形さんは無闇に捨てられない。
 そんな考え方は悪くないと思っている。

盲腸の手術跡がある62歳

 市松人形は、私が買ったのか厚洋さんが買ってくれたのかよく覚えていないが、彼と付き合い始めたお正月に真愛の元にやってきたお人形である。
 47歳になるのだろうか。
 市松人形を見ると「怖い」という方がいらっしゃる。
 夏の怪談話などで、「髪が伸びるお人形」として紹介されて以来、怖いお人形になったようだ。
 厚洋さんは、真愛が市松人形の着せ替えを楽しんでいるのを見て、
「いつまで経っても、ねんねで困りますね。
 この人形は、美人さんに育つようにって
 思いが込められているんだぞ。」
と、笑っていたが、怖がることはなかった。

足袋を履く途中

 市松人形は、江戸時代の人気歌舞伎役者を模した人形だそうだ。
 市松人形の始まりは、江戸時代であるとされ、
江戸に佐野川市松(歌舞伎役者)がおり、その美しさから人気があったそうだ。
 これを模した人形が「市松人形」と名付けられ販売されて、一般庶民にも広まったそうだ。
 市松人形を贈る際にも、佐野川市松のような綺麗な子にという願いが込められていた。
(厚洋さんが言っていた通りだ。)

 それ以前にも人形の文化はあった。
「抱き人形」と呼ばれる人形は、室町時代にも存在しており、当時は公家の子どもたちのために作られたものだったようだ。
 今の小さな女の子がぬいぐるみを持つように、昔も幼い女の子は人形を肌身離さず持っていた。
 可愛いものが好きなのは、今昔変わらない。

 雛人形の原型となった文化はそれよりも古くからあったが、雛祭りに伴う「雛人形」として現在の形に確立したのは市松人形と時期の近い江戸時代。
 雛人形は一般的に母親側の実家が贈るものと考えられていたため、市松人形は父親側の実家から贈るという文化ができたと言われる。
 厚洋さんがお雛様を買ってくれる前に、市松人形を真愛が買ったのかもしれない。
 二つも買ってくれないよなあ⁈

 佐野川市松という歌舞伎役者の登場により「市松人形」が世に出回ることになったが、これはあくまで人形として、女の子のおもちゃであった。
 これが単なるおもちゃとして扱われるだけでなく、芸術品としても扱われるようになっていく。 
 もともと人形は公家の子どもたちが玩具として使っていたこと。
 江戸時代に普及した女児向けの人形に「姉様人形」がある。
 和紙と千代紙で造られた素朴な人形は、裕福な武家や商家の子女に大切にされた。
 代表的な遊び方としては、人形を擬人化して日常生活を再現する「ままごとあそび」や、時代がかなり後の近代からは布製の「文化人形」で遊ぶことが普及する。
 今はもうないが、真愛が二つ三つの頃には、母が作ってくれた布製のお人形をおぶって歩いていた記憶がある。
 その後買ってもらったキューピーさんで、おままごとを楽しんだ。
 人形の衣服を交換し組み合わせなどを楽しむ「着せ替えあそび」などは、戦後に日本全国で広まったそうだ。

お人形さんの浴衣と帯 


 また裁縫の練習台として使用されることもあったため、高価な衣装を着せた人形も出た。
(あんがい、真愛の使い方は間違いではない。)
 更に腰や膝、足の関節が曲げられるように作られるなど、人形にも高い質が求められるようなり、昭和になると、市松人形を国際的な贈答に用いることが増え、使節にふさわしい名称として「やまと人形」とも呼ばれるようになった。
 日米親善人形使節の交換などが代表である。

深川の小学校に送られた青い目のお人形 右端が母


 女児が母親の立場として育児を前提とする赤ちゃんに擬似した人形(授乳のための「ミルク飲み人形」やおむつ替えのための人形など)もあった。
 だが、目を瞑ったり、排尿をするお人形はキューピーさんと同じ青い目をして、金髪だったのを思い出す。

 大祓の人形(ひとがた)

箱根神社さんから送られて来る

 古代では、人形は他人に呪いをかけるための呪詛の道具や、人間の身代わりに厄災を引き受けてくれる対象物として使われた。
 上の写真のような紙のお人形が「大祓いの形代」として神社から送られてくる。
 この人形に名前・年齢を書き入れ、痛いところを撫でて流すのである。
 呪詛の道具としては藁人形やブードゥー教の泥人形がよく知られている。
 厄祓いとしては、和紙の流し雛などが挙げられる。
 神道の大祓等で用いられる和紙の「形代」(かたしろ)も厄祓いである。
 山車人形のように神などをかたどった人形が象徴として飾られる祭もある。

 夫婦円満や長寿を願うためにほうき(邪気を払う)と熊手(福をかき集める)を持った老夫婦の高砂人形(お前百(=掃く)まで、わしゃ九十九まで(=熊手)、共に白髪の生えるまで)など、縁起担ぎの人形もある。
(我が家も拓のお節句のお祝いに、高砂人形を頂
 いた。それでなんとか夫婦円満・亭主関白・
 かかあ天下だったのだ。)

お雛様の横

 今年は、母の鏡台の上にお雛様と市松人形を飾った。
 この覆いを揚げて、三絃の練習をする。
 厚洋さんの代わりに
「ちょっと、お調弦大丈夫?」
「変ですよ。」
「もっと一の糸絞ってください!」
なんて声が聞こえてきそうだ。
 鏡に映った真愛は、厚洋さんの願いのように市松人形と同じに変わらぬ素直さが残っているだろうか。
 年相応の美しさは残っているのだろうか。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります