子育てパニック 舞上がれ
子どもの育て方には、色々あるが、先週から始まったNHKの朝の連続ドラマ「舞上がれ!」の中の高畑淳子さん演ずる「才津祥子さん」の「舞ちゃん」に対する接し方が素晴らしい。
手本であると思う。
お話といえど、「過干渉」「放任」の問題・母と娘の関係・病と気持ちの関係をたった一週間15×10回分で見事に表現していた。
一週目は、「お母さんと舞ちゃん」がテーマであった。
病弱な娘を心配する余り、自分の心も病んでしまっていることに気づかない「過干渉のママ」であるめぐみさん。
走れば熱が出るので、運動はさせない。
ちょっとの無理が熱の素だと思うので、無理はさせない。
熱が出れば休ませる。
病院に行っても、原因がわからない。
家は「舞をちゃん」中心の生活になる。
病気を持っている子を気遣うお母さんとしては、仕方がない事と思う。
環境を変えてみては?の言葉に、実家の母親との確執もあり、現状から離れて五島に行く事ができない。
負のスパイラルが発生して、どん底に落ちていく家族だった。
しかし、意を決して舞ちゃんを五島に連れて行く。真愛のような思い込みの激しい母親なら、連れて行かないで、そこでドラマ終了。
ドラマは来年の春までだから、舞ちゃんは大人にならないとあかん。その大人になるまでの様々な人との出会いで成長していく話なのだろうからドラマは続く!
「過干渉ママ」の顔色を見ながら、「熱が出ないように全てやめてしまう孫」を見て、バンバが言う。
「舞はどう思っちゅう?」
母親を思いながら自分のやりたい事をやめてしまう孫を見ていられなくなったのだ。
「めぐみは帰れ!
舞を置いて帰れ!」
バンバの祥子さんは
「ママの気持ちを先に読み取り、それに合わせて、自分の想いは言わない」事をつかみ、母親を帰すのだ。
ポイント1
問題の原因は尋ねることではなくて、じっくり一緒に過ごして観察することだ。
祥子婆ちゃんは、自分なりに見抜いて、「母原病」の母親を帰したのだ。
そして、母を見送った後、泣きながら自分の気持ちを語る舞ちゃんに向かって
「偉か!」と褒める。
「自分の気持ちがちゃんと言えて偉い。」
ポイント2
言えたじゃないかと、本人にも「できた事」を確認させるのだ。
出来た・出来ないは自分ではなかなか分からないものだ。
真愛の様な歳を重ねてきたいい婆さんですら、「出来たね!」とお師匠さんから言われると、(今ので良かったんだ。)と確認できる。
一人でお稽古していると練習しているだけで、音があっているのかさえ分からなくなる。(例文が違うかな?)
そして、今週が「おばあちゃんと舞ちゃん」の話だった。
おっと。先週だったかな。
まず、2人になって、最初に言ったこと
「自分のことは自分でする。
食器は、流しに出す!」
朝食を食べたら、食器ぐらい片付けなさいということだ。小学4年生になっても食器洗いをした事がない孫にいう言葉だ。
大事だから、可哀想だからと全ての事を規制してしまったことにより、「出来ない子」になってしまっていたのだ。
祥子婆ちゃんは沢山お手伝いをさせる。
変な人権委員会の人は
「それは、ヤングケアラーだ。」
「子どもは遊ぶ権利がある。」なんて、手伝いを認めない方もいるが、同じ婆ちゃんとしては、手伝いをしながら覚えていく生活に必要な学習もあると思う。
最近の子は、ベッドで過ごすので,布団の敷き方が分からない。
(20年も前の教員時代に悩んだ時の話だ。
今、どうなっているのだろう。)
枇杷ジャム作りを生業としている祥子さんの手伝いで、枇杷をもぎ取る。
怖かった高いところにも登り、上手に沢山収穫するのだが、枇杷カゴを落としてしまう。
舞ちゃんにとっては、「また、失敗!」なのである。
「ごめんなさい。」
と悄気る舞ちゃんに
「よかか!
落ちたごた、拾えばよか。」
真愛ならきっと「大丈夫?心配ないわ」程度だ。「大丈夫だという理由が語れない。」
「今度は、手の届く所でよかと。」
失敗を怖がるのではなくて、やれる事をやる。
ポイント3
成長には失敗がつきものなのだから、
失敗した時の理由が分かるように伝える
事だ。
そして、安心できる理由を言う。
(瞬時にそんな言葉が出てこない。)
全て初めてのことだ。ジャムが上手く瓶に詰められず溢れてしまい、
「ごめんなさい!」
「よかね。
もう一回やってみんね?」
そして、出来た時に一緒に喜ぶのだ。
ポイント4
摺り込むのは、挑戦してできた時の喜び。
失敗して、叱られる事を刷り込まれたら、
何も挑戦しなくなる。
「舞がやってくれて助かった。
売れるといいね。
苦労ばしてできよると、嬉しかろう?」
「うん。」
ポイント5
すり込んだり、確認したりすることは、後悔ではなく、「喜びの感情」である。
そうやってすり込みながら、「出来ること」を沢山見つけていく舞ちゃん。
釣船の船長さんでもある祥子婆ちゃんが、お客さんを迎えにいく時刻に遅刻をしてしまい、大失態をする。
(バラモンダコを作っていたからだ。)
「失敗してしもうた。」
と、悄気かえる祥子さんに舞ちゃんが言う
「失敗は悪い事じゃないんやろ?」
祥子婆ちゃんが舞ちゃんに励まされるのだ。
確実に、「前向きに生きること」をすり込まれている証である。
ポイント6
子どもは見て育つ。
子どもは育てるものの鏡である。
叱る子がいるならば、それは叱る己である。
できた事を褒めて認めて、
「ありがとうね。」と
「嬉しか!」と
「焦らんで、長い目で見たほうがよかよ。」
大阪での舞ちゃんの友達も良いが、五島での一太君も良い。
さて、ドラマは金曜日に向かって上り詰める。舞ちゃんが走るんだ。
一太君のママが産気づきお婆ちゃんを呼ぶために、家族に知らせるために、舞ちゃんが走るんだ。
「誰か呼んできて。」
人のために走るのだ。
なんだか、斎藤隆介氏の書いた
「モチモチの木」を思い出してしまった。
いざという時、優しい心が体を動かしてしまう。心が強くなると身体が強くなるんだ。
「熱が出ない。」
あんなに走ったのに。
「舞が走ったけん。
みんなが助かったとよ。
頑張ったね。」
ポイント7
モチモチの木のじいちゃんも同じ事を言った。「優しさが心の強さ」となって表れる。
本当の優しい心を育みたいものだ。
この可愛い赤ちゃんのために、五島では「元気に育つように」とバラモンダコをあげるそうだ。
一太君も舞ちゃんを誘うのだが、以前、走れなくて凧を落として壊してしまった舞ちゃんは、トラウマを背負っている。
大好きな一太君に誘われても
「無理」と逃げてしまい、仲まで悪くなる。
更に凧を壊した夢までみては熱を出す。
熱を出してしまった後、お婆ちゃんに話すのだ。
「ケイタちゃんの大事な凧やから、
失敗をしたらダメだから、怖いんよ。」
「バンバも沢山失敗した。
めぐめのことも…。失敗したせいで
舞にも辛か思いをさせた。
舞は人の気持ちを考えられる子たい。
じゃから
自分の気持ちもだいじにせばぁ。
母ちゃんに舞の心の中、
ぜんぶ話してみんねぇ。」
ポイント8
舞ちゃんはお母さんに、自分のこと気持ちを
語れなかった事に立ち返るのだ。
最終的に克服しなければならないことは、
「母親にも、誰にでも自分の思いを語れる
自分にも自分の思いが語れる」ことなのだろう。ぶれない祥子さんの思いがある。
お母さんに電話をすると、全部聴き終わった母めぐみさんが言う
「舞の気持ちは?」
「赤ちゃんが元気に大きくなって欲しい。」
「なら、やってみ?
思い切って、やってみたら?
願いが叶うように一生懸命に、頑張って!」
ポイント9
子どもの成長は、同時に親の成長でもある。「過干渉」の母親ではなくなったのだ。
「子どもの気持ちを大事にして。」
なんて簡単に言っていた教員時代の自分を反省した。
子どもの気持ちを分かること、その気持ちをどう大事にする事がその子にとって良いことなのか、とても難しいことだと思う。
だから、子育てパニックなのだ。
一太君は言う。
「最初は舞がやれ!
初めて自分がやりたいって言ってくれた。
走れー!」
思いっきり引いた綱のような凧糸は、ビンと張り、凧は風を受けて唸りをあげて上がっていく。
ドラマだと分かっていてもウルウルしてしまう。
美しい映像だった。
素晴らしい子育てだった。
残念ながら、舞台は五島から大坂に変わってしまったが、「舞上がれ!」の根底に流れる
「バラモンダコ(語り=さだまさし)」からのメッセージは今後にも役立ちそうである。
おっと!
爺ちゃんのお墓の前で
「おじいちゃん、どんな人?」
と尋ねた舞ちゃんに、ばあちゃんが言う
「あんまり喋らん人だった。
でも、どんなん海が荒れても
こん人と一緒なら大丈夫と
思えた人じゃった。」
「仲良しだったんだね。」
厚洋さんも「あんまり喋らん人だった。」
そこまでは言えるが、その後の厚洋さんの素晴らしさを孫に伝える言葉を持っていない事に気がついた。
祥子さんは素晴らしい。
これからでも遅くはないので、祥子さんに負けないように「真愛と厚洋さんの人生」を表現できる言葉を探したいと思っている。
また、朝ドラにはまった真愛である。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります