子育てパニック 高学歴親
「毒親」の話を書いたが、親の出来が良すぎても困るらしい。幸いなことに我が家は夫婦揃って「学歴コンプレックス」を持っていたので、高学歴の親の困り事はないようだ。
高学歴の親御さんの困りごととは、賢くて研究熱心なため、一度迷いが生じるとその困り事はどんどん深くなり八方塞がりになるほどの悩みとなるらしい。
真愛は、大学に行くお金がなく、安くて推薦入学がもらえる短大に入った。もちろん高校の頃からお金がないために進みたい学校に行くことはできなかった。元々お頭の程度が悪いのだからお金のせいではないが、結果的に学歴コンプレックスは退職するまで持っていた。
(今は、学歴ではなく学びたい思いこそが
人生をより良くするとわかって来た。)
厚洋さんも賢い幼少期だったようだが、途中で小児結核に罹り、長期欠席。友達も少なく学力もただの人になったようだ。更に、良い高校に入ったが、麻雀とアルバイトの日々だったらしい。一度は警察学校の試験を受け入学式の「新入生総代挨拶」まで決まっていたのに、それを蹴って、一浪して大学に行きたいと言ったらしい。
だからといって受験勉強に燃えたわけではなく、アルバイト三昧だった。だから、東京の大学なんかに入れるわけもなく、住んでる所から歩いて通える北海道教育大学に入った。
英語が得意だったらしく、新聞社でアルバイトをしたり通訳をしたりしていたのだから、そこそこの大学には入れたのに、北大ではなく、北教大だったのは、ずっと学歴コンプレックスだったらしい。
真愛からしてみれば、なんだ努力しなくてそこまで行ければいいじゃないかと思ったが、コンプレックスとは、その人の基準だからその思いは計り知れない。
厚洋さんは、真愛を揶揄うことでそれらは解消していたらしい。(モラハラだよね。)
さて、大学を卒業し、理解力が高く努力家で教育にお金をかける余裕のあるそんな親ほど陥りやすい罠があるそうだ。
これまで物事が上手くやれてきた人ほど子どものという未知なるものを相手に自分自身の成功体験がまるで通用しない不可解さがストレスとなって落ち込むのだそうだ。
高学歴の親は知識があって教育熱心なので、「このままではきっと失敗する」といった近い未来に起きることがある程度見通せるため《転ばぬ先の杖》を何本も持たせちゃうのだ。
親が陥りやすい【干渉・矛盾・溺愛】が挙げられるが、その中の「溺愛」は「聡明な先回り」なのだ。
「まだやってあげなければ」と過度に先回りするのは、子どもへの「干渉」になり、「干渉」を正当化しようとすると、過去と現在の発言に「矛盾」が生じるという厄介なサイクルが回り始めてしまう。
不安だからこそ「干渉」してしまうのだ。
不安を取り除くには、「子どもへの信頼」を増やしていくことだという。
出来ないからやってあげるのではなく、子どもを信頼してやらせてみるのだ。
「お洗濯物を運んでくれる?」
折角畳んだ洗濯物はぐちゃぐちゃになるが、
この得意満面な顔を見よ!
ばあちゃんだって、笑顔満面である。
「偉いね。お手伝いしてくれるんだ。」
ちょっとだけ成長している子どもへの喜びと信頼が生まれるのだ。
良く母が言っていた《這えば立て、立てば歩めの親心》って川柳があるそうだが、まさしくその嬉しさである。
一つひとつできるようになると、「このくらいは任せられる」という子どもに対する信頼が増えていき、その分だけ心配が減るというわけなのだ。
子どもは大人に見守られながら、自由に『泳ぐ』ことで初めて自分で考えて行動できる。
その結果、時に失敗し、怖い思いもし恥もかく。そのうちに失敗をから学んで修正を加える。
try & errorを繰り返すことで成長し脳内に抑止力も作られていくという。
ところが、多くの親が子どもを「自由に泳がせること」ができず、【聡明な先回り】をしてしまう。
それは、子どもの考える力や問題解決の力・主体性を奪っていることになるのだ。
子どもに任せたら
たとえ失敗しても怒らないこと!
そして、上手くできたら、
思いっきり褒めること!
親が我慢した分だけ子どもは自由に泳ぎ、子どもの自信に繋がるのだ。
高学歴の親がしてしまいがちなこと。
プレッシャーをかければ子どもは伸びると信じて、子どもに高い目標を持たせようとストレスを与えてしまう。
それは「悪玉ストレス」を与えてしまい、自分を卑下したり叱られる事を恐れたりしてしまう。
他人から与えられたストレスではなく「あれがやってみたい!」とアドレナリンを出してやる気にさせるのが「善玉ストレス」。
この善玉ストレスをきちんと働かせるためには、心の状態が健康的であることが重要だそうで、良く眠って良い環境で思考すること。
要するに「やる気スイッチ」を本人に押させることなのだ。
もう一つやりがちな事。
「成績はいつもトップだった!」なんて自慢話をする事だ。
その点、我が家では、真愛も厚洋さんも武勇伝は悪い方。
「怒られてぶん殴られた!」
「やらないで追い出された!」
なんて自慢話?をしていた気がする。
息子が(そうか。それでいいのだ。)と思ったからの行動だとしたら、それも親の責任だと思う。
でも、息子に厚洋さんの読書家である事、文才の優れている事は真愛がたくさん話して聞かせた。(子どもは、大人になってから良く本を読むような子に育った。今はスマホばっかり見ている。)
親の武勇伝や完璧さは、子どもの意欲を削いでしまう恐れの方が大きい。
同じ歳の頃の失敗談の方が子どもの自己肯定感は上がるらしい。
親は自分の思う「普通」の子に育っていないと焦るのだ。しかし、その普通の子という基準は誰がつけたのか。
比べるのは普通の子ではなく、「その子の3年前の様子」と比べてほしいのだ。
絶対に成長している。
自分の子どもは絶対に成長していると親が確信を持ち「口出しせず・手出しをせず・意識的に我慢をする。」これができると子どもはどんどん伸びていくという。
どんどん伸びていく子どもの姿は、親にとって何よりの喜びになる。
親は、子どもが幾つになっても、子どもの成長を発見して「幸せ」を噛み締めるものである。
馬鹿親の真愛がいい例である。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります