home pageの更新
ホームページを作り始めて11年になる。
退職して、教員の時に使っていたパソコンは使わなくなった。
仕事をしているときは、毎日のように学級通信を作っていたので書く作業は何も苦ではなかった。
書くことがなくなった真愛は禁断症状が起こった。
下手だ!上手く書けないと思っていた文章を書くことが、本当は好きだったということを発見したのだ。
更に、詩を書き自分の思いを人に知らせることが好きなのだと言うことも発見した。
真愛の学級通信の1番最初は、教え子が交通事故にあって「交通戦争」について子どもにも親にも知らせたかったことから書いた。
B5版1枚だった。
その年の学級通信は3枚しか発行していない。
翌年から毎日発行したいと思うようになった。産休で4ヶ月休み身体を動かして遊ぶことができない分、子どもたち向けの話が多かった。
再び高学年を担任し毎日の学級通信が楽しくなった。
書いていた記事は、やはり子供たちの学校での様子や家庭に対して頼むことが多かった。
いつ頃からだろう子どもの素敵なことを発見して知らせることが好きになった。多分先輩の厚洋さんが
「学級通信なんて短くていいんだ。
親が学校の様子がわかって
子供の良いところが見つかって
子供との会話にちょっとヒントになって
俺の日記になる。
そんなもんでいいんじゃないかな。」
と言う言葉からだったと思う。
だから、今日良かったことの発見。
良かったことは、真愛にとって教員にとって幸せな発見なのである。
真愛の見聞きしたこと、同僚と話し合ったことの中に良いことがあれば書き留めるようになった。
だから、良いことの発見、自分の幸せのために書いていたもの。
その学級通信が書けなくなると、文章下手な真愛ですら禁断症状を起こしたのだ。
書きたい❣️
何か発信したい❣️
そんな時に思ったのが
(学校のホームページはあったけれど、
自分のホームページはなかった。
自分のホームページを作ろう。)
書いたところで我が家のお知らせ程度である。
当時息子がホームページ作りをアルバイトにしていた頃でもあった。それも影響したのだと思う。
2冊のホームページ作りと言う本を買ってきて独学でホームページを開いた。
ホームページの言語jpg.〈br〉なんて簡単なことの理解にも苦しんだ。
開くまでに何日もかかった。
理系の電気科の同級生に見てもらったこともある。
それを見ながら厚洋さんは呆れた。
「よくやるよなぁ。
面白いか?
パソコンの事なんか全くわからない。」
と言いながらも愛猫と一緒にホームページ用の写真に収まってくれた。
更に、現職中は全てにおいて厚洋さんの方が優れていた(国語人としても、物書きとしても雑学博士としても、みんな厚洋さんの方が上だった。ワープロを使っていた頃は、厚洋さんの入力はタイプライター並みに早かった。家庭科の裁縫もやり、料理もやり、何一つ勝てなかった。)ので頭が上がらなかったが、ホームページを作ってからは、彼が原稿を書くために新しいパソコンを買ってくると
「おい。
お前ならわかるだろ?」
と私にたくさんの操作をさせた。
現職中の2人とは、上下関係が逆転したのだ。
退職してからたった1つだけ「パソコンの操作がわかる」それだけが優位に立てて嬉しかった。
だから呆れられても馬鹿にされても、苦労しても長時間かかってもホームページを書くのが好きだった。
それが11年も続いている。
この間には、家の隣の土地を購入し畑にし、息子が結婚をし孫が生まれ、厚洋さんが病に倒れ、命がけの恋をして愛しい彼を見取り、彼のいない生活を鬱々と過ごし、自死まで考えた真愛。
それでも彼が亡くなって2ヶ月後からはホームページを書いた。
11年目になるとホームページを書く事は1ヵ月のうちのやらなければならないことの1つになった。
数十枚の写真を取り込み、容量を少なくして、jpgで書き込み、前の月のindexを書き直してdreamの中に保護する。
ここ数年は部分的に書き直すだけで更新する古いパソコンだ。
しかし、ホームページ更新の時だけは活躍する。厚洋さんのパソコンの方が後から買ったのでそちらの方が新しいのだが、今だに真愛の古いパソコンを使っている。
続けるという事は生きることの一部になることだ。面倒臭いと思うが作り始めれば楽しくなる。
続けてきてよかったと思う。
生きるってそんなことかなと思うようになった。
「生きるぞ!がんばるぞ!」と生きるのではなく、普通に息を吸って知らないうちに吐いてそれを無意識に続けて、ただ生きる。
11年続けてきたホームページを書きながら
「生きる!」って大上段に掲げなくてもいいんだ。
今日やらなきゃいけないこと。
今日やりたいこと。
今月やらなきゃいけないこと。
今月やっておいたほうが良いこと。
今年やらなきゃいけないこと。
今年やっといたほうが良いこと。
それを呼吸のように繰り返すそれこそが生きることなのかもしれないとhome pageを作りながら思った。