癖をつける
今日は、雨。
一日中、折り紙をしていた。
幼稚園の子か、はたまた介護ホームのおばあちゃんみたいな書き出しだが、後者に近いかもしれない。
雨が降って畑の草取りもできず、仕方がないので、国際交流協会の入口掲示板に貼る6月の花の準備をいていたのだ。
6月の花といえば、「紫陽花」。
100均で造花を買ってきて貼り付ければ良いのだが、「手作り」にこだわっている真愛は、折り紙で「紫陽花」を作る事にした。
4枚の花びらを作り中心で貼りつけ、そのパーツをたくさん集めてドーム状に貼れば、手作り感もあり簡単なのだ。
在職中に「折り紙の上手な先生」がいて「折り紙で紫陽花」を作っていたのを思い出したのだ。
4月の掲示板には、千代紙人形を飾った。
その時、袴の折り方が分からず、悪戦苦闘の末、できた時の快感を覚えているので、出来れば、ちょっと頑張って「折り紙を折ってパーツ作り」をする事にした。
当然、YouTubeで探してみた。
あるある大辞典である。
その中で最も美しく見えそうな折り方にした。
最初はいたって簡単。
三角に折って、広げて、三角に折って広げる
次に、長四角に折って広げて、
長四角に折って広げる
更に、4分の1に折って広げて
4分の1に折って広げる
中心に向かって三角に折って広げる
ことを4回繰り返す。
それを全部広げてしっかりと折山を持つと
「あーら!不思議。」
自然に「鶴を折る時の途中の形になるのだ。
だったら、最初から鶴の折り方でやれないだろうかと思ったが、出来ない。
折り癖をしっかりとつけないと、全部開いた時、自然に次の形にならないのだ。
形状記憶合金とか、形状記憶ワイシャツみたいなものだ。
これでもか!ってぐらいに「癖をつける」
癖をつけるとひっくり返しても、開いてもその癖が一役勝ってくれる。
折れないような不思議な状態を作り出す。
「癖をつける」ことの凄さを感じた。
小さい時からの癖は、なかなか戻るものではない。
「癖」というと「病ダレがついて悪いイメージ」があるが、別な言い方をすれば「生活の習慣化」であると思う。
「よい癖・生活の習慣」が身につくように、繰り返し教えたり、やらせたりすることを「躾」という。
食事の仕方・トイレの始末・挨拶・言葉遣い・立居振る舞い…。沢山あって書ききれない。
着物を縫う時に大切なのは、しつけである。
紙ではないから「癖付け」を「ぎゅっと折る」事ではできないので、糸で「しつけ」をつける。
一度つけた「癖・生活の習慣」は、なかなか元に戻せない。真愛の場合悪い癖がついて、なかなか「やらなければならない元」に戻せない。(夜更かし・食べすぎ・運動嫌い)
「癖付け」とか「しつけ」とかは、きちんとした仕上がりにするためには、とても大事であることに気がついた。
(この年では遅いかな?)
真愛のお知り合いに障害を持った方がいる。
彼は外見だけを見ていたら、かっこいい、素敵な青年であり、夫を亡くした真愛に思いやりのある優しい言葉をかけてくれた男性である。
障害があると言われなければわからない。
真愛のように喜怒哀楽の差が大きく、ヒステリックな女の方が情緒障害を持っていると言える。
健常者なんて言葉があるが、常に健やかな人間なんていないと考えると多かれ少なかれ皆んな障害を持っているのだと思う。
要するに彼は、素敵な人なのだ。
その彼の更に素晴らしいことを発見した。
コロナ禍になって、帰宅後は、「うがい・手洗い・着替え」が習慣化されて来た真愛だ。
しかし、時としてそれをせず、買い物袋から「アイス」を冷凍庫に入れながら、
(おっと!手洗い忘れた。)と思い出し、冷凍庫を開けっぱなしで手洗いに行き、
「おーい。おーい」
と冷蔵庫に呼ばれる真愛である。
ところが、彼はそういうことがないのだ。
躾をしたお母さんの努力もあるのだが、
【家に帰って来たら
まず、うがい、手洗い…。】
と彼のルーティンを必ず行う。
欠かした事はない。(それが、障害の特徴でもあるのだそうだ。)
要するに、生活に必要な事は、「癖」になるほど「躾け」られたのだ。
やってこなかった者にとっては、苦痛だが、癖のようにできるようになれば、苦ではない。
凄い能力である。
ひょっとしたら、彼の言葉の優しさも母親から、「躾けられた」ものかもしれない。
紫陽花を折りながらを「折り癖」「癖」「躾」について考えさせられた。
チャーちゃんは、小さい時に
「机に上がってはいけない。」
と躾けられていないので、真愛の作業台の上で、妨害するようにゴロンと寝る。
「あんたもあたしも手遅れだよね。」
と、
「癖つけ」の大切さを痛感する。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります