親が贈るもの
息子が初めて孫に「お年玉」を渡したらしい。LINEで嬉しそうに中身を見せる二人の孫が可愛らしかった。
孫達は幸せ者で、誕生日・Christmasなんてイベントでパパから沢山のプレゼントを貰っている。どんなものでも親からのプレゼントは嬉しいらしく、必ず真愛婆に見せてくれる。
我が息子も厚洋さん・真愛・祖母から溺愛されていたため沢山の贈り物を受け取った。
小学校に入るとクリスマスプレゼントには、リモコンのジープが欲しいとかで、ひとりでは購入できなくなったのを思い出す。
その子が、今、父親になって子どもに贈り物をしている。
親が子に贈る一番の物とはなんだろうか?
と考えてしまった。
物ではないような気がする。
お金でもない。
まして、大人になっても…。
その子が死ぬまで宝になるような物とはと考えると
やっぱり「心意気」って言うか、「親の生き様」なのではないかと思う。
ある記事に
「親が子に贈る最高の宝は、
尊い生き方であり、気高い人格である。」
と記されていた。
真愛は、父と共に過ごした記憶がない。
父がいない分、母がよく父のことを話してくれた。最近になり、兄からも父の話を聞く事ができた。
身の丈六尺の豪快な男で、なんでも器用にこなしたと言う。
父が彫ったという木彫りの仏像を見た事がある。美しい母の横顔に似ている面差しだった。
横1メートルほどの和紙に、田園風景を描き、漢詩を添えたのも父だと見せてくれた。
幼い頃、父から英文のメモをもらった事がある。父は母や兄を伴いGHQのウォールさんの家によく行って英語で話していたという。
帝大を卒業した賢い人だったともいう。
大志を抱き他国に行って行方知れずになった。
母が亡くなって、夫が亡くなって、初めて気付いたもの、それは、
「私が持っている力は、父と母がくれたもの。
父母の思いは、今の私の生き方に宿っている
のだという事。
また、最愛の夫が育ててくれた力や生き方
でもある事。
今は、
私の力は、私に繋がる全ての人から、
貰い受けている、壮大な贈り物である。」
と思ったことだ。
三絃を楽しむ能力は、母の母から…。
詩を作り絵を描く力は、父から…。
どんな事にも興味を持てる「今を楽しめる」
能力や生き方は厚洋さんから…。
文章は拙いが「書きたい」という思いは、
父母・夫からである。
息子が父親を尊敬していることは、言葉の端々から察することができる。
息子は父親の生き方を超えて更に高みを目指す頼もしい男である。
寡黙であったが、自分の意思を貫き思い通りに生きてきた厚洋さん。
沢山の書物を読み、新しい考え方も取り入れて自分がしたい教育を進めてきたし、その実績も残してきた。
父親としては、申し分のない父親であった。
まあ、好き勝手に生き過ぎたので、身体を壊して真愛をひとりにして、息子を困らせるようになったのが反面教師だろう。
反面教師と思って欲しいが、どうも父親に似て煙草が止められない。
さて、私は息子に贈れるだけの
生き方をしているだろうか。
私は気高い人格ではないし、尊い生き方をして来たとも思えない。
やりたい事をやって、息子に助けてもらって息子の嫁や孫にまで大事にされて、されっぱなしで、贈れるものなど無い。
困ったついでに考えた。
親からの贈りものとは、「死」して感じるものなのだろう。
「やりたい放題の事をやって、親父を愛して
逝ったお母んだったなぁ。」
そう思ってくれたら幸せなのだと思う。
【好きになった男を想い続けた人生】
それは、まさしく真愛が母から贈られた生き方だったと思うからだ。
しかし、死ぬ前にちょっとだけ「親からの贈りもの」について考えたのだから、残された人生を「息子が誇れる人生」にしようかななんて思った元日の夜だった。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります