手遊び 数え歌の記憶
くすぐり遊び。
一寸法師、こーちよこちよ、たたいて、さすって、つまんで終わり。
子供は触覚を刺激されるあそびが好き。
信頼されている人にすくぐられたり、
触れられたりすると、
不安な気持ちが和らぎ、
安心することがよくあるという。
手遊び歌をふと思い出し、口ずさんでしまう。
誰に教えてもらったのか覚えていないが、必ず流行があって女の子達は、休み時間になると集まってワイワイやっていた。
一掛け、二掛け、三掛けて、四掛けて
五掛けて、橋を掛け、
橋の欄干手を腰に、遥か向こうを眺むれば、
十七、八の姉さんが、
花と線香を手に持って、
もしもし姉さんどこ行くの、
私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です。
明治3年3月3日。
切腹なされた父親のお墓参りに参ります。
お墓の前で手を合わせ、
南無阿弥陀仏を唱えれば
・・・幽霊が・・・
ジャンケンポン!
長い長いジャンケンである。
更に、文脈が飛びまくり、今考えるとお馬鹿な歌を歌っていたと思うが、「UFO」と同じぐらいしっかりと振り付けも覚えている。
ちなみに、西郷隆盛は、1877年9月24日(49歳)死没である。何て出鱈目な歌を歌っていたのだろう。
しかし、小さい時に別れた私の父が西郷隆盛に似ていた顔だったため何度も歌った。
数え歌
イチジク・人参・サンショで・椎茸・ゴボウで
ムカゴ・七草・八重菜・ここの身・十よ。
一は 伊勢(いせ)の大神宮(だいじんぐう)
二は 日光の東照宮(とうしょうぐう)
三は 讃岐(さぬき)の金比羅(こんぴら)さん
四つ 信濃(しなの)の善光寺
五つ 出雲(いずも)の大社(おおやしろ)
六つ 村々鎮守様
七つ 奈良の大仏さん
八つ 八坂(やさか)の八幡(はちまん)さん
九つ 高野(こうや)の弘法(こうぼう)さん
十(とお)で 所の氏神(うじがみ)さん
助平の厚ちゃんから教わって
喜んで歌ったら怒られた数え歌。
一つ出たホイのヨサホイノホイ
一人娘とするときにゃホイ
親の許しを得にゃならぬ
二つ出たホイのヨサホイノホイ
二人娘とするときにゃホイ
姉のほうからせにゃならぬ
三つ出たホイのヨサホイノホイ
醜い娘とするときにゃホイ
御釜かぶせてせにゃならぬ
四つ出たホイのヨサホイノホイ
よその二階でするときにゃホイ
音の出ぬよに せにゃならぬ
五つ出たホイのヨサホイノホイ
いつもの娘とするときにゃホイ
四十八手でせにゃならぬ
六つ出たホイのヨサホイノホイ
昔馴染みとするときにゃホイ
涙こらえてせにゃならぬ
七つ出たホイのヨサホイノホイ
質屋の娘とするときにゃホイ
入れたり出したりせにゃならぬ
八つ出たホイのヨサホイノホイ
八百屋の娘とするときにゃホイ
ダイコン枕にせにゃならぬ
九つ出たホイのヨサホイノホイ
校長の娘とするときにゃホイ
退学覚悟でせにゃならぬ
十と出たホイのヨサホイノホイ
尊い御方とするときにゃホイ
羽織ハカマでせにゃならぬ
実は,これ数え歌ではなく「ヨサホイ節」って言う春歌だったのだ。
彼は、揶揄い半分で教えたが、私が真面目に覚えたから大変だった。
大声で人前で歌っちゃって、慌てて口を塞がれた。
「女が歌うもんじゃ無い。」
何でも真面目に覚えちゃう真愛に困ったと思う。覚えるだけでなく、本気でその知識を子どもに伝えちゃう真愛だった。
本当に世話の焼ける放っておけない「奴」だったのだ。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります