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事始め

 初荷・初夢・お書初め。みんな事始めです。
日常化してしまったダラけた生活をやり直そうっていう理由ですね。
 真愛は、お正月になると必ず着物を着る。
そして、2日の事始めには「お琴の練習」をした。
 潤子先生についてお稽古していた時は、ちゃんと練習曲を弾いたので、何の問題もなかった
 しかし、忙しくてお稽古に行かなくなってからは、別の曲も弾きたくなる。
「お正月だから、六段ね。」
なんて、弾き始めても、途中で
「ン?」
「あら!」
って止まってしまう。
「お前の《六段》聞いてると、
 階段から落ちるよな。
 正月早々、御近所迷惑だと思うなぁ。」
と言いながらも、
「ピアノのお弾き初めもやるのでしょうか?」
って巫山戯ながら笑って聞いてくれた。
 今、考えると、彼が元気なうちから「ジャズピアノ」の練習をし、彼に笑われながら
「I Fall In Love Too Easily」を弾き語れたらもっと幸せだったと思う。
 もっと、馬鹿にされていただろうけど。
 
 さて、初夢について
 初夢の風習は中国から伝わったこと。
 鎌倉時代は、その頃は節分の夜から立春にかけて見る夢を指すものだっだそうだ。
 その後、室町時代に入ると
「大晦日に見る夢」
を初夢だと考えるようになった。
 しかし、年越しの夜は寝ない習慣があったので、江戸時代後期となる1780年頃より
「元日から2日に見た夢」
を指す説も普及したと言われる。
 その後さらに、いい夢を見るために枕の下に敷く「初夢札」が2日の午後に売られたことから、
「2日の夜から3日に見た夢」
を初夢とする説もある。
 一般的には、現在は
「元日から2日に見た夢」だろう。
 真愛が小さい頃は、大晦日からお元日にかけては「眠らない」で年神様をお迎えしていた。
 母は、よく
「髪を日本髪に結ってくるので、天井から紐を 
 吊るしてそこに顎をかけて、うつらうつらし
 ていたわ。」
と、真愛が新日本髪を結って来ると必ず言った。厚洋さんは、
「お前がやると首吊りに見えるから止めろ。」
って、やる前から注意された。
 この家に越して来た頃から、着物は着るけど髪は結わなくなった。(美容院が遠くなったからかな?)
 厚洋さんは、
「初夢より姫初め」
って巫山戯てた。
 髪を結い上げるには、何某かの費用がかかる。結構なお値段である。だから、一日で壊してはもったいない。
 少なくとも、お仲人さんの所にお年賀のご挨拶に行って帰るまでは、しっかり保ちたかった。


 だが、その願いも虚しく、初夢を見る時にはシャンプー後のサラサラヘアになっていた。
 そう言えば、初夢を見た事がない。
 大晦日の夜更かしが祟って、疲れもあって爆睡が多かったのだ。
 
 なんだかんだと「初め」をつけて喜んでいた厚洋さんとの思い出が溢れてくる。
 平凡な日常を自らの考え方で、
「毎日が発見」
と楽しみながら生きられた厚洋さんに感服である。
 元日の日記に
 
 noteを書き始めて、結局は「厚洋さん大好き」の惚気日記なっている。
 厚洋さんに沢山の想い出をもらって生きている事が明確になって来た。
 コロナだろうが、癌だろうが、死ぬ時は死ぬ。
 毎朝、生きて目が覚めたら感謝しよう。
 そして、
「今日も生かしてもらっているのだから、
 生かしてもらっている間に、
 厚洋さんが真愛に
 思い出を残してくれたように、
「思い出したら笑顔になるような事」を
「優しい思いやりの行動・生き方」を
 したい。」

と書いた。
 初夢に富士山・鷹・茄子を見なくてもいい。
 元気な頃の厚洋さんの笑顔が見たい。
 
 
 
 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります