1348日 愛しい人に
木苺の実がオレンジ色にぷっくりと実った。
厚洋さんが大好きな食べ物だ。
彼は、売られているものより、自然の中で実ったものが好きだった。
当然、小さな庭にびっくりグミの木を植えて、その実を摘みながら食べるのが好きだった。
真愛も田舎育ちで貧しかったから、野山にある実は嬉しいおやつだった。
学校帰りに、グミの実をたくさん取って、ポケットに入れて帰り、スカートをシミだらけにして母に叱られた。
グミも野苺も木苺もみんなその場で摘んで食べた。
グミが実るとこんな話で盛り上がった夕食だった。大きくなり過ぎたグミの木を切ってからは、あまり身をつけなくなった。
真愛が退職してから畑を始めて気付いたことは、我が家の南側の土手にも木苺の枝があるということだった。
厚洋さんに話すと
「実ったら教えろ!俺好きなんだ❣️」
と言う。教えたからと言って、彼が摘むのではない。あのトゲトゲの中に手を突っ込んで、バラガキになりながら二、三粒の実を捧げるのは真愛であった。
しかし、嬉しそうに
「良い味だな❣️」
って言ってくれるだけで嬉しかった。
畑に移植したのは、彼が具合が悪くなり外に出られなくなった頃だ。
山野草というのは、なかなか上手く育てられない。その年は花も咲かず実も付けず枯れてしまった。その秋に厚洋さんも逝ってしまった。
畑は荒れ放題に荒れた。
3回忌があった年の春の事だ。
何時も西瓜を植えていた所から、紫陽花の土手に向かって大量の木苺の芽が筍のように林のように伸びて来ていた。
野生のものが根を張るとそれは、「蔓延る」ほどに増える。トマトを植えた方にまで侵略してきたので、可哀想だが切ってしまった。
その年は、実がつかなかった。
そして、去年。花が咲いて、数粒実った。
今年は、小さなボールの底にちょっと重なるぐらい収穫できた。
木苺は、枝が一年経たないと身をつけないらしい。芽が出て2年がかりで実がつくのだ。
厚洋さんが喜んだだろうなあと思うと、持った早く木苺を移植し、根付くまで頑張れば良かったのにと後悔している。
人は「出来なかったこと」が「出来た時」
早くやっておけば良かったと思うのだ。
「出来なかったこと」が「ずっと出来なかったら」後悔なんかしないのだろうと思った。
後悔するということは、結果的に「どっかで出来ていること」なので良いことなのかもしれない。
(最初に出来ていたのに、努力しないで出来なく
なって後悔することもあるが…。)
我が家の空豆も収穫した。
天に向かって実から「空豆」。
ウイスキー党で、歯が悪い厚洋さんは、「枝豆」ではなく「空豆」が好きだった。
小さな畑で、数十本の空豆を育てて、採りたての空豆を鞘ごと焼いて食べるのが好きだった。
真愛は、食べごろの大きさではなく、まだ1cmぐらいの可愛い空豆を茹でて皮ごと食べるのが好きだった。
木苺と空豆。
世界に一つしかない我が家産のものだ。
厚洋さんにお供えしながら
「ここまで、出来たなら、あと少し、
真愛の手づくりで…。」
と考え、カレーパンを作って、生姜の酢漬けを加えた。
更に今年は、上手に沢山咲いてくれた「矢車草」も飾った。
真愛のやりたかったこと。
厚洋さんが大好きなものを全て手づくりで、おつまみにすること。
厚洋さんに喜んでもらうこと。
厚洋さんに褒めてもらうこと。
全部、叶った。
愛する人が逝って、1348日。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります