子育てパニック 言語環境
「ドン引き〜!」
とキンキン声で言いながら、1時間騒ぎ回っていた子どもを目にした。というよりそういう子どもと親を目にした。
偏見かもしれないが、到底「ママ」には見えない女の子である。
お友達と一緒にランチに来たのだろう。
食事が来た直後は、子どもも静かに食事をしていたが、やはり5分ともたない。
食べることに飽きた子どもが騒ぎ始める。
「ダメだよ。うるさいっつーの!
まだ、食べてるでしょ!
ウザイー!」
言われた直後は数秒黙る。
しかし、子どもは動く、動物である。
ママの横から立ち上がって、歩こうとするのをママは食べながら制する。
「座んな!」
「ママ行こうよぉ〜!
行く。」
「後で行くって!言った!」
食べな!」
「もういいの?」
友達もなんとかしようと、話の途中でちょっとだけ声をかける。
「いらない!
ねぇ!行こうよぉ〜。」
でも、ママは友達と話しながら食事をする事に夢中で、聞こうとしない。
そのうち、暴れて水を溢した。
「やだー。何やってんの?」
という母親の後に
「ドン引き〜!」
と子どもが言う。
一緒にいた友達が言った。
「あんたなんて言葉教えてるの?
ドン引き〜なんて!」
と笑うと、それが嬉しかったのか、
「ドン引き〜!」
「ドン引き〜!」と言いながら、椅子の上で踊っていた。
友達は、困った顔をしながら、話を途中でやめ
「可哀想だから出ようか?」
と言ったが、
「平気だよね。
うるさくしないんだよ。」
と、子どもを抱っこしたが、
「ドン引き〜!」と友達にアピールしながら、何やら騒いでいた。
人間の聴覚なんて自分勝手なもので、聞きたくない音を雑音として扱うことができるらしい。
真愛は、カウンターでスタッフの方と話をしたり、noteを書いたりして気を紛らわすと1時間ほど経っていた。
子どもは静かになったのか、寝ていたのか見ていないからわからないが、会計の時は抱っこされて寝ていた。
若いお母さんが悪いとは言わない。
自慢話だが息子の嫁は若いが、言葉遣いも子育ても素晴らしいと思う。
真愛が誉めると
「私だって、大怒鳴りすることがありますよ。
汚い言葉で叱っちゃって反省すること
多いですよ。」
と笑う。
欲目なのかもしれないが、少なくとも人前では汚い言葉で叱らない。
あのママも汚い言葉で叱ったわけではない。
しかし、日頃はもっと違う言葉遣いなんだろうなあと思ってしまった。
「ドン引き〜」
困った事を起こしてしまったら、
「ドン引き〜」と言って自分のやった事を無視するのだ。
真愛が気になって会話を書いているうちに気づいたことは、彼ら親子の「言葉数」の少なさだった。
つい最近のnoteに言葉について書いた。
今、私達が使用している日用語は約14万語。
『大辞典』(復刻版全2巻・平凡社)は、日本語に関して一番語数の豊富な辞書だが、収容語数は、なんと72万語もあるらしい。
こんな豊富な言語数を持った民族は他に例を見ないと言われる。
言葉とは、人間の感情と生活を結び付け、人間関係を円滑にしていくための道具だから、この量が多いということは、それだけ人間関係にも注意を払ってきたという証拠であると書いた。
厚洋さんも真愛も子どもにとっての「言語環境」こそが「氏より育ち」の育ち「環境」であると思っている。
そういえば、「はまひるがおの小さな海」の著者、今西祐行さんのご家族は、それはそれは美しい日本語を使われていたと伺ったことがある。
家族同士でも丁寧語で話され、常に思いやりのある言い方だったそうだ。
国語部会でお会いしたという方から伺った。
そして、敬虔なクリスチャンだったので、本当に相手に感謝の念を忘れずにいらっしゃるのだろうとも付け加えられた。
孟母三遷ではないが、その環境に置かれればそうなるのだ。
あの親子の言語環境では、14万語なんて使われてないのだろう。更に感謝の思いで子に接し、感謝の思いで母親に接する事もなく育つのではないだろうかと思ってしまった。
あの子が大きくなった時、「それでいい!」と思ってくれていればそれもいいだろう。
しかし、「なんて母親なんだ」と母を批判し侮蔑するようになったとしたら悲しい。
子どもは真似をしながら育つのだ。
行動も言語もである。
良い親とは、贅沢をさせる事やなんでもやらせることではなく、子どもの育つ環境を整えてあげる事だと思う。
まず、一番使う一生使う「言語環境」を良いものにしてあげることではないだろうか?
これは、おばあさんの取り越し苦労で、
「そんなの関係ねぇ!」
のかもしれないが、とても心配になった出来事だった。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります