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親友

 親友。苦楽を共にしてきた同志。
 新聞の片隅に、街頭アンケートで「貴方には親友がいますか?」と尋ねられた時の話が書いてあった。
 その方は即座に「います!」と友の顔を思い出し誇らしく答えた記憶があるそうだ。
 他にも趣味や学びで繋がる友人が数多くいる。気の合う人と過ごす時間は楽しい。
 片や、「君のために・・・。」と口にし辛い事を助言してくれ、自身の内面に深い影響を与えてくれる存在もまた、かけがえのない人生の宝であると書いてあった。
「貴方には親友がいますか。」の質問に、以前の私は、「私に親友はいません。」と答えたと思う。
 保育園にも幼稚園にもお金がなくて行けなかったので、友達といえるのは小学校の時の仲間たちだ。
 いじめられっ子だったが、負けん気が強いところがあったので、友達?はいた。小学校の帰り道、グミや柿を盗んだ仲間もいた。スカートをパンツの中に入れて川で魚をとったりシジミを掘ったりした友達もいた。
 中学校に入って、一層気が強くなった私は恋もした。叶わぬ恋と分かっても一途に思う性格はその頃からだったと思う。
 自分の家の事・恋の話・差別される悲しみを語れる友達ができた。初めて「親友」と呼べる子だったと思う。賢くて、優しくて、更に美しい子だった。「Kayoko Koga」
 高校の修学旅行で撮った2人の写真が最後。私は短大に進み、彼女は郷里の九州に帰ったと聞いている。それから何度か同窓会で彼女の話を聞いたが消息不明のまま、現在に至っている。
 厚洋さんが「Takao Sawaya」をずっと探していたように、探す術があればなんでもしたい。会いたい人の1人だ。
 何十年も会っていなくても「親友」と呼びたい人だ。
 だから、「私には親友はいません。」と答えたと思っていた。ところが、よく考えたら「私の親友はもうなくなりました。」     と答える方が妥当だと思えてきた。
「私の親友は夫でもあった厚洋さんです。」 と答えたい。                
 教員として、苦楽を共にしてきた同志である。人としての生き方を共に考え、沢山の辛い話も聞いてもらい、「お前は、・・・だから…。」と誰も言ってくれない、口にし辛い事も助言してくれた厚洋さんだった。
 趣味でも学びでも繋がって事が多かった。繋がりたいと思って真愛がくっついていたのかもしれない。気が合う人であった。(合わないこともあったが)
 一番は、「自分自身の内面に深い影響を与えてくれた人」なのだ。亡くなった今も真愛の生き方に影響を与えてくれている。真愛にとってかけがえのない人生の宝である。
 だから、夫が親友である。
 また、夫は我が師でもある。
 
 やっぱり、私はどうかしている?
 親友が好きな人が出来たら「祝福」する。   しかし、厚洋さんがそんなこと言ったら許せない。ということは「親友」じゃない。「親友」みたいな関係でもあったと言いたい。
 師に恋しい人ができたら「応援」する。   しかし、厚洋さんにそんな人ができたら、泣いて駄々を捏ねる。ということは、「師」だけの関係ではない。「師」とも思い尊敬していたと言いたい。
 恋愛感情を抱いてしまうと師弟関係も友達関係も崩れてしまう。独占欲が生まれ、己の想いだけが走るからだ。

 厚洋さんは時として、師であり、友であり、兄であり、恋人であり、夫であり、真愛の一番愛しい人だったと再確認した。
 あーあ。また、惚気話で終わった。     御免なさい。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります