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子育てパニック 一歩前へ

 真愛は背中を押してくれる言葉に恵まれていると思う。
 このnoteの見出しを「エール」にするか
「応援にするか」「背中を押してくれる言葉」にするか悩んだ。
「エール」って程のカッコいい言葉ではない。
「応援」って程の重圧も感じさせない言葉なのだ。

 中学校3年生のソフトボールの校外試合の時に、ベンチからピッチャーの真愛に送られた応援の言葉
「ドンマイ!ドンマイ!」
「落ち着いて行こう。」
 この言葉が、どんなにか嫌な気分にさせるのか、応援してくれているベンチの心は真愛に届かなかった事を思い出す。

 中学校の部活は、大好きなバスケットボール部に入りたかったのだが、カッコ良くてモテた我が兄貴は言った。
「中学校の部活で、
 バスケットだけは入るなよ。」
 四つ違いの兄は、真愛が入学した時には、すでに高校のバスケット部で活躍していてインターハイにも出場するような人だった。
 関係ないように思ったのだが、高校生で後輩の指導に来る時に、真愛のような鈍臭い妹がいるのが嫌だったのだ。
 真愛もまだ痩せっぽちで、おバカ丸出しの女の子だった。

 真愛は仕方がなく廃部寸前のソフトボール部に入った。
 廃部寸前だから人気がない。
 人気がないから新入部員が少ない。
 新入部員が少ないから、1年でレギュラーになった。
 2年になればベテランであるし、3年になればキャプテンだった。
 一年生の時は、兄貴の威光もありアーちゃんという先輩が凄く可愛がってくれた。
(ハマナっていうパン屋さんでサラダパンも
 奢ってくれた。必ず、『お兄さんに宜しく
 ね❣️』と言われた。)

 真愛のビギナーズラックは、昔から凄かった。
 1年生、初めての代打の時にストライクゾーンを狭く取り、四死球を頂き塁に出た。
 その後は、駿足を生かし盗塁で三塁まで進み相手のミスに乗じてホームを踏んだ。
 からずる賢かったのだ。
 1対0 勝った!
(顧問にみんなの前で褒められた。
 監督の指示なんて全く見ていなかったのに)

 そんなだから、外野手だったのが、ファーストに入り、キャッチャーをやった。
 遊びでピッチング練習をしていたこともあったが、コントロールが悪いので使いものにならないと自分で分かっていた。
 ところがだ。
 3年、キャプテンの時の富津に行った試合の時のことだ。
 我がチームの投手の調子が悪く押し出しが続いた。
 すると、大好きなソフトボール部の顧問から
「ピッチャー交代。オオシマ!
 お前やってくれ!」
って言われても、(あたしゃノーコンピッチャーだよ!)とまる子ちゃんのようには言えず、
「はい!」
と代った。
 最初の2球はストライクを取れるが、その後が取れない。悩みながら投げるからスピードが出ない。
 打たせてアウトを取りたいが、ストライクが入らなければ相手は打ってくれない。
 結局、真愛も押し出してしまう。
 そんな時に、ベンチから掛けられた言葉が
「ドンマイ!」である。
(けっ!
 人の気持ちがわかるか?
 全くの初心者が投げてるんだぞ。
 落ち着いたからって、上手くなるわけじゃ
 ないジャン!
 ドンマイ!って言うんなら、お前投げてみろ
 この辛さがわかるから!)
 味方が敵になった瞬間である。
 押しつぶされそうな真愛の心臓は、膨大なストレスを抱えて、試合が終わった時は吐き気と下痢で大変だった。
 応援してくれた味方という敵の中に居たくないという感情で、「先に帰らせてください。」と敗戦の将はひとり汽車に乗って帰って来た。

 ここで言いたいことは、「応援される」という事は凄い重圧であるという事だ。
 素晴らしい力を持っている人ならば、その応援に応えられ、嬉しい気分になるのだろうが、力のない者への「応援・ドンマイ!」や、精一杯頑張っている者への「応援・頑張れ!」は知らないで発する言葉での虐待でしかないと思った。
(素直な人はそうではないだろうが…。
      あくまでも個人の考え方です。)

未来への道

「応援」ほど自己満足な言葉はないのだと思う。
 ちょうど桜桃の花芽が色づき始めた今日。
 いつもの喫茶店に「ミモザ」のお裾分けに行った。いつもの優しいスタッフさんが声をかけてくれる。
 ついつい、ミモザの話やお雛様の話をしてしまった。厚洋さんが逝った後、このスタッフさんが一緒に泣いてくれたから、此処を一時の自分の居場所にして、頑張って来られたと思っている。
「仲が良かったんですね。」
の言葉をきっかけに「ミモザの日」が8日であることも話した。
「男の人が女の人の健康・安全を願って
 渡すのよ。
 人枝持って帰って、旦那様からお嬢さんに
 渡してもらいなさいよ。」
「ありがとうございます。
 明日、ちょうど、娘の卒業式なんです。」
「あら!おめでとうございます。」
 なんだか急に彼女の瞳が潤み始めた。
「先生。
 今日は人が少ないので話せますが、
 是非伝えたいことがあったんです。」
と堰き切ったように話し始めた。
「以前、息子さんが引きこもり気味で、
 どうしようもなくなりお家に帰って来た時
に、先生が息子さんを抱いて、
『貴方はいつまでも私の息子だから、
 どんなことがあったって私は、
 貴方の味方なの。
 働かなくてもいい。
 結婚もしなくてもいい。
 ずっと家にいて構わない。
 苦しい時は泣いていい。
 あるだけのお金も使っていい。
 逆さに降って鼻血が出るまで
 母さんが働くから、心配しないで
 そのままでいい。
 ずっと私が守るから…。』
 って言った言葉をいつか娘にも言ってやり
 たかったのです。
 それが言えました。
 娘は、それから彼女なりに頑張ってくれまし
 た。
 私は、卒業を迎えられてとても感激です
 先生にその事を伝えたかったのです。
 伝えられて良かった。
 あは!泣いちゃった。」
と言うと、真愛のワッフルを作ってくれた。

 なんの言葉も返せなかったが、「応援」と言うのは、
「ちょっと踏み出せない一歩を一緒に支えてくれて踏み出せるようにしてくれる」ことや
「一歩前に進める安心感」を与えてくれる事なのではないかと思った。
 就職氷河期で失職を宣言された日。
 友が皆結婚していく中で、アトピーで苦しみながら結婚なんて考えられない自分。
 家に逃げ帰り、
「なんで俺はこんなんだろう?
 みんなちゃんとやっているのに…。」
と、真愛は息子の涙を見て何も出来なかった。
「応援」することも出来なかったのだ。
 ただ、ただ愛しい息子の苦しみを取りたかっただけであった。
 なす術がない人は、只々抱くしかない。
 厚洋さんが真愛にしてくれたように…。
 発した言葉は、「このままでいい。」ということである。「あるがままでいい。」ということだ。
 不思議なことに、息子は翌日、清々しい顔をしてまた東京に戻って行った。
 あれから、20年近く経った。
 大変な苦労を乗り越えて、今は母親の心配をしてくれる2人の娘の父親となり、真愛の娘のように優しいお嫁さんと幸せに暮らしている。
 ここまでになれたのは、彼の良き友人や同僚や先輩たちがいた事と彼を丸ごと受け止めてくれる良い伴侶がいたからである。
 母親の真愛としては、世間様への感謝しか無い。
 息子への一言をスタッフの彼女に話したことさえ忘れていた。
 だが、真愛の言った一言がそのお嬢さんにも「ちょっと踏み出せない時の支え」となった事が嬉しかった。

お師匠さんと

「マガジン・子育てパニック」には入れられない内容かもしれないが、3学期末に一番多く使われるのが「応援してるよ。」の言葉かもしれないと思ったからだ。
 そして、なんとも日本中がWBC開催に興奮し、オオタニさんやたっちゃんへの期待で盛り上がっている。
 球場5階席に打ち込んだ大谷翔平さん。
 球場の観客もテレビ画面の解説者もプールの中のおばさんまでもが興奮して応援する。
 しかし、和かな表情で凄いことをやっている。平常心でいられる大谷さんの心理状態とか心の有り様を知ることができたらと思った。
 力のある人は「応援されても平気なのだ。」荷重期待ととるか、素直に応援と取るかは、応援される人間の器量なのだとも思った。
 子育てだけではない。 
 自分育てということからも同じような事が言える。
 明日は、三絃のお稽古日である。
 お師匠さんからの「応援・支える言葉」は
「一緒に弾くから…。」
だった。
 14億人もいるのだから、その応援の言葉は14億通りあるのだと思う。
 簡単に「頑張れ!」だの「ドンマイ!」なんて言葉を使いたくないとこの歳になって痛感している。
 もういいお婆さんだ。
「頑張れ!
     真愛!」

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります