夏の夜 線香花火
浴衣を着て、蚊除けの為に団扇でパタパタと足元を叩きながら、線香花火をやってる真愛を見ていてくれた厚洋さん。
国語の教科書に「中谷宇吉郎氏の線香花火」という説明文が載っていた。
中谷宇吉郎氏は、「雪は天からの手紙」を書いた物理学者であるが、その文体は美しく文学作品・詩のように切なさすら感じられる説明文だった。
2人とも国語が好きだったので、家庭でも教材について話し合った。彼の繊細な考え方や深い読み取り方が好きでもあった。
彼も真愛の詩的な感性を好んでくれて、「お前はどう思う?」と聞いてもくれた。
教師として同じ方向を向いて進めていたことが嬉しいことでもあった。
また、2人とも6年生を担任することが多く、中谷宇吉郎氏の「線香花火」を使って指導することが多かった。
結婚して最初の夏の夜にも、「線香花火」を2人でやった。側から見ていると、「新婚さんが何をイチャイチャ楽しんでるの。」って言う感じだったのだろう。
中谷宇吉郎氏の「線香花火」は、教科書用に書き下ろされていたが、その美しい文体と物理学者の眼差しを通したものの見方の素晴らしさは、二人を魅了した。
「線香花火」
まず線香花火を一本取り出して火を点けてその燃え方を観察してみる。
(教科書が手元にないので、うる覚えだったのでKindleで原文を探した。コピペが出来ず、書き写すのが大変。なのでいろいろ省略。)
初め硝石と硫黄との燃焼する特有の香がして、盛んに小さい炎を出しながら燃え上がり、しばらくして火薬の部分が赤熱された鎔融状態の小さい火球となる。
その火球はジリジリ小さい音を立てて盛んに沸騰しながら、間歇的に松葉を放射し始める。
そして、華麗で幻惑的な花火の顕示(ディスプレイ)の短い期間を経ると松葉はだんだん短くなり、そのかわりに数が増してきて、
やがて散り菊の章に、移って静かに消失するのである。たくさんの花火についていちいちそれらの時間を測定してその平均をとって、
まず、標準的の線香花火の火花の過程を記録する。
直ぐわかったことは、この火花は非常に細か い炭素粒の塊が或る種の塩らしい透明物質に包まれたものであるということであっ た。
それで火花の松葉形の分裂はこの透明な高温の鎔融物質中に包まれている炭素 粒が途中で爆発的の燃焼を起して、この塊を四散させるためだろう。
ところがこの赤味がかった光の弱い火花の 写真を撮るということが、この頃のように速いパンクロマチックの乾板の得られな かった当時ではなかなか容易な業ではなかった。
到頭夏休み中かかって微かな火花 の痕跡の写真が撮れるというところで満足するより仕方なかった。
次の年の夏が来て、また線香花火の時期となった。
狭い暗室の中に閉じ籠って、硫黄の 香に咽せながら何枚も何枚も写真を撮って見る。
その上乾板の感度を高めるために アンモニアを使うので、換気の悪い暗室の中は直ぐ鼻をつく瓦斯に充満されてしま う。
そのような感覚的の記憶は年を経ると共に苦痛の方面がだんだん薄らいで、懐 しさの思い出に変って行くのも面白いことである。
もっともそれには単に感覚的の 記憶という以外に、その頃のひたむきな気持と肉体的の健康さとに対する愛惜に近 い気持が手伝っていることもあるのであろう。
松葉の火花の美しさは、単に爆発の際に非常に沢山の数に分裂するという以外に、この時
四散した小火花がさらに第二段、第三段の爆発をすることによるという点も納得出来た。
火球が飛び出してから最初の大爆発までの時間は十分の一秒程度 のものである。
これ等の数値は線香花火の火花の化学変化を調べる時に大切な値となるであろう。
速度が案外小さいことは夏の夜の縁側で、僅かばかりの涼風にもこの火花がかなり吹き流されることからも見当の付くことである。
次に調べることは、火花の射出及び爆発の際のエネルギーの源、即ちその化学変化である。
線香花火は硝石、硫黄、炭素の粉をよく混じて磨り合わせたもので、これをこよる。
日本紙の紙の先端に包み込んだものである。
この日本紙の紙撚というのも重要な意味があるのであって、沸騰して いる火球を宙釣りにして保つには紙がなかなか大切なのである。
薄い西洋紙で線香 花火を作ってみたが、火球が出来ると同時に紙が焼け切れてどうしても駄目であっ た。
このことなどもこの花火が西洋に無い理由の一つかも知れない。
火球の中での 化学変化を見るには、沸騰している火球をその各段階で急に水の中に落してその溶 液の定性分析をすることと、硝子板に受けた火花を洗い取ってその液を調べることを試みた。
化学者の眼にはいったら、とんだお笑い草になるのかもしれないが、こ れで硝石が分解して酸素を供給し、硫黄と炭素粉の燃焼を助け、その際急激に発生 する瓦斯で火花を射出する階程を見たつもりなのであった。
火球が酸化のためにどれくらいの温度になった時に火花が出始めるかを見るのは一寸厄介である。
これにはやはり器械が要るので、熔鉱炉の中の温度などを測る光学的高温計を用いると理 由 なく測ることが出来る。
それは火球の明るさを電流を通 じて赤熱した針金の明るさと比較して、その時の電流の値から温度を知るという方 法である。
大学の工学部にこの器械があったので、線香花火を一把持って行ってそ の器械を使わせてもらったら、半日で片が付いてしまった。
その結果によると、火 球は出来初め860◦C くらいでその間はまだ火花が出ない。
それが内部での硝石 の分解による酸化と表面での酸化とのために、しばらくすると 940◦C くらいまで 温度が上がる。
そうすると松葉火花が盛んに出始めるのであるが、やがてまた温度が漸次下がって行って 850◦C くらいになると、火花が出なくなって間もなく消失 するのである。
アークで照らしながらよく見ると、丁度煙草を輪に吹いた時 のような煙の輪の非常に小さいもの、まず南京玉くらいの煙の輪が盛んに火球の表 面から放出されているのが見えた。これは火花としては眼に見えないくらいの極微の熔融滴が盛んに射出されるためと思われる。
その状態が進んで、化学変化がもっつフラクチュエーションと激しくなると、温度の 微変動 ももっと大きくなり、或る一部で相当の大きさの 塊を射出し得るくらいの瓦斯発生を伴う変化が起り、その時射出された小滴が火花 として眼に見えるのである。
この頃電気花火という名前で販売されている西洋ふうな花火は、アルミニウムの 粉を主としてこれに光を増すためにマグネシウムを少量加え、硝石その他の燃焼を 助ける物質を混じて糊で針金に固めつけたものである。
この花火では火球は出来ず、 点火と同時に多数の火花を連続的に放出し続けて消えてしまう。
この花火では松葉のような複雑で美しい火花は勿論見られないし、火球がジリジリ沸騰している間の 絢爛の前の静寂も味わわれない。
松葉の美しさは単に炭素の粉が赤熱されて放出されるだけでは起らないのであって、空気中を或る距離だけ走って急激な爆発的の燃焼が起るまでは他の物質で包まれている必要があるのである。
線香花火の場合には 最も簡単な薬品の組合わせで最も有効にその条件が満されているのである。
この年の夏休みがすんで、線香花火もまず一段落というところまで進んで一休み となった。
その後私は急に外国へ行くことになった。
そのロンドンに寺田先生から手紙が届く
「線香花火の紹介がベリヒテに出ていますね。
“Tirigiku” Funken が欧羅巴迄も通用することと相成り、曙町の狸爺、一人でニヤニヤしている姿を御想像被下度候 」
真愛も厚洋さんも松葉火花より「散り菊」が好きだった。
息子が生まれても、3人で楽しんだ。
小さな息子に
「綺麗だね。火の玉はグツグツ。松葉火花。
頂点に到達すると…散り菊。はらはらと
美しいね。
そして、火球が落ちて。
美しい闇だね。
静かだね。」
と語り続けた。(ちび助はアチッの初体験も)
心配そうな厚洋さんの眼差しが優しかった。
若い可愛いパパちゃまだった。
息子が巣立ち、母が亡くなり2人きりになっても、夏になると「線香花火」をやった。
「この匂いを嗅がないと夏が来ないな。
この線香花火は、日本製だから、
ちゃんと、火の玉。落ちるよ。
硝煙の匂いは香取にもなるかな?」
毎年、同じことを言ったが、二人でやる「線香花火」は、静かで幸せな時間だった。
夏の夜。
お祭りも無い。
花火大会も無い。
コロナ禍の中「線香花火」一本。
日本独特の美しさを味わうのも良い。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります