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子育てパニック 五月鬱

 3月が終われば4月。4月が終われば5月。
 ところが、この5月が恐ろしい。厚洋さんに言わせれば「5月病」と言うらしいが、真愛には「皐月鬱・5月鬱」に感じられた。
 今年の小学校の入学式は、だいたい7日の木曜日か8日の金曜日だったのだろう。
 コロナ禍で式典らしいものは簡素化され、昔のように派手では無い。
 真愛が勤務していた頃は、それはそれは賑やかだった。
 昔の桜の花は、咲く時を知っていて、校庭で写真撮影をする学校の桜は、頑張って4月8日ぐらいまで咲いていた。
 桜吹雪の中を体に比べて大きなランドセルを背負った可愛い一年生と両親が手を繋いで正門で写真を撮っていた。
 素晴らしい青空と同じぐらい清々しく、温かい風景だった。

桜は咲く時を知り散る時も知っている

 それから1ヶ月が過ぎようとしている。
 新入生は元気でいるのだろうか。

 我が家の上の孫は、去年、保育園に入園したが、コロナ禍でもあって色々大変だったらしく、2週間後に熱を出した。
 小さいながら頑張ろうとしたための知恵熱(ストレス)だったのだ。気の弱いおばあちゃんに良く似ている。

 小学校も同じである。
 真愛が勤務している頃は、一年生の最初の一週間は半日で帰った。
 2週間目に入って、給食も掃除も自分たちでするようになる。
 とは言っても6年生が姉妹学級としても補助に入るのだ。
 1年生の1学期は、宇宙人である。
 真愛は高学年担当が多かったので、その苦労は担任していた6年生から聞くこととなった。

 だいたい6年生は、担任にがっちり言われる。
「あなたたちは、最高学年です。
 学校でのお手本です。
 特に、一年生の前では、お手本であって欲しい
 学校に来ることが不安な時期なのです。
 来なくならないように。
 くれぐれも優しく接してください。」
「おい。K君。
 変なこと教えんでくれよね。」
と釘を刺す。
 3月まで、好き放題をやって楽しんでいた担任が、6年戦担任になったら、こんなことを言うのだから、人間不信に陥るのは無理もない。
 6年生ではなくても、真愛に初めて受け持たれた子どもたちは、必ずパニックになる。今までのちゃんとした先生とは違い、「変な先生」だから、ストレスが溜まるのだ。そのうち、その毒になれ、その毒を好んで食らうようになる。
 慣れとは恐ろしいものだ。
で、特に持ち上がりの6年生は大変である。
 5年生の時のストレスに「6年生の責任」なんてものも背負わされる。
 真愛の学級は、6年生になると「S」の文字のつく言葉を言われると鉛筆がもらえる仕組みを作ったから,大変だった。
(結構喜んで取り組むうちに、本当に立派な頼も
 しい六年生になってくれた。)
 S…流石六年生(基本この言葉を貰うと鉛筆)
 S…素晴らしいね。
 S…凄いな。
 S…積極的だね。
 帰りの会で、自己申告させるのだ。
 そのうち、「丸君の…行為は流石だと思います。」なんて、お互いに褒め合う。鉛筆ももらえる。お互いを褒めあえるのは上辺だけであっても気持ちの良いものだ。
 学級の雰囲気が、6年生になる。

給食 暫く食べてない

 さて、給食当番の手伝いに最初に行く6年生はドキドキ物だったらしい。
 日頃は「マスク忘れたあ。」なんて言ってた奴が、マスクは鼻までしっかり覆ったし、エプロンの前ボタンは全部しっかり止めていた。
 4時間目の授業5分前あたりから、
「先生、時間です。
 準備させてください。」
なんて、短縮させる。当然、自分達の給食も早くなるし、遊び時間だって増える。(賢い奴らが多かった。)
 給食準備の手際が良いのは、真愛のクラスの定評だったが、一年生の担任も早めに手洗いを済ませ、ランチマットを敷いて、きちんと手を膝に置いて待たせている。
 6年生が緊張するのも無理はない。
 コンテナから、バットを出す時だって静かに、かっこよく動いた。
 配膳台の消毒の仕方も、並べ方も素晴らしい。
 養護の先生が泣いて喜びそうな6年生だった。
 最初は、1年生の子どもは待っているだけ、6年生が
「用意ができました。では並んでください。」
と声をかけた後、6年生がセルフサービスの様子も見せるのだ。
 美しい姿勢で並び、文句も言わずにトレーに配膳される物を貰う。そして、1年生の机の上に
「どうぞ。」と置く。
「順番を守るんだよ。」とか、
「押さないのね。
 かかったら火傷するでしょう?」
なんぞと宣う。
 更に、全ての子に献立通りの配膳が出来ているかをチェックし終わると、
「今日は、ほうれん草のソテーです。
 緑の濃いお野菜を食べて強くなりましょう。」
なんて言うもんだから、1年の担任がびっくりして、
「流石6年生!いいこと言うわね。」
と「S」を下さるのだ。
 教室では、
「俺、これ嫌い。交換しようぜ。
 人参なんか食えるかよ。
        俺はうさぎじゃねぇ〜」
なんて抜かした事を言っているのに
「好き嫌いなく食べようね。」なんて、ご立派な事を言ってくるから、ストレスが溜まるのだ。
 6年の教室に帰って来て、
「先生。俺疲れたよ。一年生大変!」
と言う。
(お前が良い子を装っていることが
            疲れるんだよ!)
と言ってやりたかったが、
「その装うことも、立場によっては大切なことなんだ。」とも知らせたかったし、
「装ううちに本当になる事」も教えたかった。

フルールのNew version うさぎ


 そんな6年生の苦労をよそに、1年生はだんだんと本性を現す。
 給食当番で仲良くなったお兄ちゃんやお姉ちゃんとお昼休みに遊びたいのだ。
 6年生は、同級生とは違い手加減をしてくれて、必ず楽しく遊んでくれる。
 やりたいサッカーを横目で見ながら、鬼ごっこをしていた彼等は健気だった。
 酷い時には、
「ケイドロで、脇腹蹴られた。」
「砂遊びをしていて砂かけられた。」
と手荒い一年生もいた。
 こう言う1年生は、ストレスを溜めないから、
「学校大好きである。」
 ところが、全てのことを我慢してしまう一年生もいるのだ。
 優しいお姉ちゃんは、ひとりぽっちでいる子を見逃さない。
「みんなと一緒に、遊ぼう?」
ちゃんと誘って、そのうちお姉ちゃんの取り合いになる。
 しかし、自分が出せず、一生懸命に周りに合わせようとする「本当に良い子」が、切ない5月鬱にかかる。

リヤドロの鎧武者

 4月の最後の週の土曜日に授業参観があり、その代休がゴールデンウィークの中に入って
29日昭和の日
30日土曜日
1日 日曜日
2日 代休←ここにはいる。
3日 憲法記念日
4日 みどりの日
5日 こどもの日
 疲れた心に1週間の休みが来るのだ。
 どうしたって、5月6日も休みたくなる。

 5月6日は金曜日。
 この1日が、重要だ。
 ここで休んでしまうと、土曜日・日曜日と休みになる。真愛なんかは、もう
《みんなに会いたくなくなる。》
 1週間の休みは、みんなと同じなのだが、追加の3日間は、『お前、ズルだろう。』と聞こえない声がする。
 小さいながら「自己嫌悪」に陥るのだ。
 真愛も中学校・高校でズル休みをしたことがある。生理痛が酷くて、動きたくなかったのだ。
 休みが続くと
「みんなになんと思われているのだろう。
 サボったって、嘘つきだって…。
 きっと思っているだろう。」
こんな小さな積み重ねが、更に積み重なって、不登校になる。
 学校嫌いになる。
 さて、「皐月鬱」、小学校一年生だけではない。
 真愛の教えた6年生でも、
 その6年生が中学校になって担任してくれた新人の先生でも、
 その初任者を指導した校長先生だって、
 誰だって「五月鬱」「休みたい病」「面倒臭い心」「辞めたい気持ち」なんだかモヤモヤした気持ちが起こるのだ。
 困ったものだ。
 それを起こらせないためには、頑張って過ごして来た後の「ちょっと長い連休・ゴールデンウィーク」を上手に過ごす事だと思う。
 小学校の一年生だけではなく、世の中の
「今年度初めから頑張って来ていた方々
       頑張って来なかったと思う方々も
 心の病気に罹らないように…。」

 すでに、連休に入ってしまったあなた!
     生活習慣を乱さないようにね。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります