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公開順

 noteの公開順に困っている。
 記事が書けないときには下書きが零になる。 
 自転車総業で、何を書いたらいいのか、車の中で余分なことを考え、泳ぎながらも考える。 
 ところが、急にいろいろなことを書きたくなり、言葉も何かが解けるようにスルスルと出でくる。
 どんなリズムかわからないけれど、そういうサイクルが来る。
 その時には題名だけでもつけて書きたいことは音声入力しておく。

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 三日月の夕方に「芋名月」「中秋の名月」について月の話を書いた。
 満月の話だから、できれば「中秋の名月」の前に公開したい記事だった。
 書きたい事は重なり、9月16日は厚洋さんの祥月命日。
 既に7回忌法要は、息子たちと済ませているので心配はないが、やはり9月16日には厚洋さんの思い出をしっかり書いておきたい。
 NHKの光る君への中で愛しい人を亡くした女人に紫式部が言う
「その方のことを書いて残しておきましょう。 
 生き方を書いて残しておきましょう。
 その方の素晴らしかったことを
 書いて残しておきましょう。」
 本当にそう思う。
 映像に撮ろうが、写真に撮ろうが、やはり書いて残しておくことが私にとってはとても素敵なことだと思うし、誰にも見られなくてもそれを書いている時こそが私の至福の時なのだ。
 更に、数人の方が読んでくださり、《彼の良さ》や《彼の素晴らしさ》《真愛のことを大切に思ってくれていたこと》をちょっとわかって頂ければ最高である。
 それを書きたいといつも思う。
 中学校の頃、かわいい恋をした。
 その時に思った事は、(この素敵な思いを知らせたい。話したい。)と言うことだ。
 恋をして、ひっそりと思い続ける人もいるだろうが、真愛のような跳ねっ返り娘は誰かにその幸せを伝えたいと思った。
「私って幸せな人間よ!」と自慢をしたいのだ。
 恋する女はおしゃべりになる。
 それも本人の前ではなく誰かにだ。
 それはとんでもなく幸せなことだと言うことだから、人には言ってはいけないのに、穴を掘って、大声で叫びたくなる。
 あれと同じだ!
「王様の耳はロバの耳‼️」
「◯◯君がが好きです‼️」
 当然厚洋さんの時もそうだった。
 ただ、不思議なことに厚洋さんが周りから悪く思われていたので、【好き】と言うと
「結婚してはならない!」と反対されたので、 
なかなか叫べず、本人の前で叫んだし、日記に書いている。
 山ほど書いている。
 大好きだったことを書いている。
 結婚したら、幸せすぎて日記には多くは書かれていない。
 大好きだと言うことを本人にきちっと伝え、本人からしっかり受け止めてもらうと、すっきりしてしまうんだろう。
《幸せ》って不思議だ。
 幸せを伝える人がいないと誰かに伝えたくなる。
 それは猫でも犬でもぬいぐるみでもいいんだ。
 そんなわけで彼が亡くなってからこのスマホに変わり、noteを始め、必ず正月命日には彼の記事を書く。
 そんな時、たくさんのことがこのnoteの下書きに残っているんだ。
 それも次は私よ。
   次は俺だよ。と同時に公開しなければならないほど残っている。
 9月16日、本当ならば、彼のことを公開したかったのに、今年の春からファンになった大の里関が中日8日で全勝で勝ち越した。
 全勝で勝ち越すまでnoteは公開しないと決めていた。
 全勝で勝ち越した日にはその前の記事を公開しているので、16日にそれを公開しないと困るのだ。
 なんだかnoteの記事って生もののような気がする。
 賞味期限を過ぎたら美味しくない。
 仕方がなく、17日に厚洋さんのことを公開しようと思った。
 いや17日は芋名月についても既に書いてある。
 お月様は待ってはくれず、17日に中秋の名月がやってくる。
 少なくとも17日の昼ぐらいには、芋名月について公開したい。
 困った。
 厚洋さんの事は一体いつ公開すればいいのか  
 無計画なnoteの下書きに後悔する。
 16日祥月命日のお稲荷さんを作って、料理の手順まだ忘れないから認知症じゃないやと思いながら、公開順と言う順番もあるのだと思った。
 めったやたらに書いた順に出すわけにはいかない。
 出してもいいのだろうけれども、賞味期限の過ぎたものを出したくはない。
 ならば、1日に2つの記事を公開すれば良いではないかと言われると思うが、今日で500日目の連続公開だ。
 一つ一つ公開して、下書きを残しておいて連続を続けたいと言う。
 真愛のケチな根性もある。
 そういえば真愛がフォローしている「やひろ」さんの公開は6年間続けて連続公開らしい。
 まだ2年にもなっていない真愛からするとなんと素晴らしいと思う。
 ない時はない。
 書くことがない。
 あるときは、溜まりすぎて食べ切れないほどある。
 人生ってそんなものかもしれない。
 幸せで嬉しい事があるときには山ほどある。 
 だからついている(幸運な人だ)
 人の動きをよく見ると、「ツキ」は月が回るように明るく動いている。
 鬱に嵌る時はどうしようもなく動かない。
 月を失った人は、どうしようもなく動かない
 ため息をつきながらに後悔するする。

 実はこれだって下書きである。
 これもできれば9月16日に公開したい。
と書いておきながら、後悔しているのは
ー 9月24日 ー
「お前のいうこと聞いてたら、
 認知症に罹ったと思っちゃう!
 読んでらんねぇな。」
って、厚洋さんが言った。
 このnoteお読みの方々、
 貴方様は認知症ではございませんですだ!

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります