秋桜や 只管生きる 三回忌
今日は、厚洋さんの三回忌。コロナ禍で誰も呼べない。一周忌は、台風15号で停電した中。
家での法要だった。やっぱり一人だった。
厚洋さんは真愛とは話すが、外では人見知りの寡黙な人だった。だから、「一人でいい。
お前だけでいい。」って言ってるのかもしれない。
まさか厚洋さんが…。
まさか台風が…。
まさか感染症が…。
3年続けて、とんでもない9月の幕開けである。コロナ禍の中、更に熱中症警戒アラートが発令された。
不謹慎かもしれないが、
「厚洋さんは、良い時を過ごして逝った。」
と思う。
戦後に生まれ、学生運動もし、恋愛も結婚も子ども授かった。更に天職を全うし、更に沢山の書物も書き残せた。毎日酒を飲み、毎日二箱の煙草も吸った。パチンコも好きなだけ、絵画骨董も好きなだけ、給料入れず好きに使った。
演りたいだけの事をして、真愛に「大好き、愛してる」って言って真愛を抱いて逝った。
戦争も大きな災害も経験する事なく逝った。
改めて思うことは、
「厚洋さんは幸せな人生だったのですね。
真愛と一緒になって良かったですね。」と。
真愛も幸せです。
「あなたの三回忌に、泣きながら『まだ、愛してる。あなたに会いたい。』と思えてます。」
それは、とても幸せな事。
今から着替えて出かけます。
貴方の好きな我が家の青い蜜柑を持って、貴方の好きな紫の竜胆と白い花を持って…。
お供物籠と花束は、真愛が作りました。
お寺では、御前様とお大黒様と真愛しかいないのですから、手作りが一番だと思いました。
(節約したに過ぎない?)
途中で大日如来様に鼻薬として「ひるだ農園のピオーネ」を購入していきました。
「厚洋さんが其方で幸せであります様に、
何も言わない人ですがよろしくお願いしま
す。」と。
熱中症警戒アラートが発令されていた10時。
三回忌の法要が始まると音を立てて雨が降って来た。
このお寺は江戸時代から続いている素敵なお寺だ。雨音と読経の声とが伽藍に染み込むようだった。お香の煙がたなびき真愛の体を取り巻いた。
目を瞑っていると200年前にも、この場所で真愛と同じ思い出度胸を聞いていた女が隣に座った気がした。
何も言わずに頭を垂れ、涙していた。
「ああ。貴方も大好きな方を逝かせてしまった
のですね。今でも、その方が好きなのです
ね。」
真愛は、印を結んでいるご住職を見ながら言った。
「私もです。でも人を愛せた幸せを感じていま
す。私達はとても幸せだったのです。
命をかけて愛せる。
逝かせてもなお、愛し続けられる
思いの強さが似てますね。」
その時初めて、ご住職が私の隣にもう一つ席を用意した意味がわかった。
「大好きな人のために法要を頼める真愛は、幸
せ。法要も頼めずに自分もこの世にいない人
が沢山いるんだ。その人たちのための一席。
盆棚に不特定多数の魂が帰ってこられるよう
な場所も作ったと聞いた事がある。日本人の
差別のない優しさだと思った。」
読経が終わると雨は上がった。
コロナ禍の日本で、今日何人の人が三回忌をやったのだろう。
毎日、ひたすらに生きているが、過去の人たちも含めて、自分以外の「只管に生きる」人たちの事を思い描かなければならない。その名もない人達がいてこその今。
雨後の蒸せ返る参道を歩きながら
ーひたすらに生きるー
その行為が未来を創ることを思った。
ひとりぼっちではなかった。
秋桜や ひたすら生きる 三回忌
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります