福来蜜柑込められた意味 名前
小さい可愛い蜜柑をもらった。厚洋さんは「小香の蜜柑」と、地域の名前で呼んでいたが、今日持って来てくださった方は「子蜜柑」と呼んでいた。
「検索」が好きな真愛は、「子蜜柑・小さい・可愛い」なんて言葉で探してみた。
なんと「福来蜜柑」と言うそうだ。
可愛い蜜柑の中にもっと小さな袋がキュッと詰まっている。や小指の爪ぐらいの可愛さだ。
袋がツルツルしていて、ぷっくりしていて、口に入れる前に笑ってしまう。
「笑かん」である。
このみかんの名は「福来(ふくれ)みかん」と言い、地域によっては「ふくみかん」「ふくらいみかん」「ふくれいみかん」等いろいろな呼び方をされているそうだ。
名前の由来は、鮮やかな黄色い皮がぷくっとふくれている様子から「ふくれているみかん」になったと言う。納得である。
しだいに「ふくれみかん」になり、やがて縁起をかついで「福が来るみかん」で「福来みかん」となったそうだ。
この「福来みかん」は、柑橘類のなかでも日本固有のみかん科の植物「橘」の一種といわれ、柑橘類の「柑」の代表的な存在の温州みかんとは少々違う仲間と言う。
大昔から日本の里山や家の庭先に植えられおり、当時「みかん」といえばこの「福来みかん」を指し、「福が来る」という意味を込めてお正月飾りにも利用していた。
ぷくっとしたうすい皮をむいた瞬間さわやかな香りがたち、その香りの高さはあたりを包み込んでしまうという。
その通りだった。可愛いのに高貴な香りがする。きっと花の時も素晴らしい香りを放っていたに違いない。
果実の甘さは少なく大きな種もあるが、昔は今のような甘いみかんは無く、このみかんを食べるのが当たり前だったそうだ。
皮は乾燥させて七味唐辛子の原料として利用された。近頃はピールにしたりマーマレードを作ったりする。
筑波山麓では「福来蜜柑ラーメン」があるそうだ。蜜柑を練り込んだ麺が独特で爽やかだと言う。検索結果から別な方向に向かいそうだった。
「小蜜柑」が「福来蜜柑」と分かり沢山の幸せを頂いたのだと思った。
「呼び名」の力って凄いと思う。
真愛の好きな「勿忘草」「二輪車」「姫椿」。
「ゆずり葉」「有りの実」「あたりめ」。
切ない恋の物語、幸運を引き寄せられるように、縁起を担いでつけた「呼び名」なのだろう。
その名に込められた想いが愛しい。
今年生まれの子のお名前ランキングが発表された。
男の子
1位 蒼(あおい)
2位 樹(いつき)
3位 蓮(れん)
4位 陽翔(はると)
5位 律(りつ)
女の子
1位 陽葵(ひまり)
2位 凛(りん)
3位 詩(うた)
4位 結菜(ゆな)
5位 結愛(ゆあ)
2020年生まれの赤ちゃんの名前
明治安田生命調べだ。
驚いたのは、一文字の名前が多かった事だ。このコロナ禍の中で自然の雄大さを感じさせるものが多い。しかし、どう読んで良いかわからない名前ということは、近年変わらない事だ。
全て、親の願いが込められているのだ。
見えない未来の幸いを願いつける「呼び名」
もっと「呼び名」の重要性を感じなければならないのではないだろうか。
私の本名は、「正子」。
幼い頃生き別れた父がつけてくれた名前だ。
兄は「西郷隆盛のような男になれ」と隆太郎。2人目の男の子には「正義を愛する子に」と正義。しかし、女の子だったので「正子」。
それを知らなかった私は、自分の名前が嫌いだった。母が「簡単に書ける字がいいから」とつけたと言ったことや小学校で何かを決める時に「正・正・正」と黒板に書かれ「15人ね。」なんて言われると安っぽい名前だなあと思った。
短大の頃だったろうか、「あんたはお父さんがつけた名前の通りになったわね。」と母に言われた。
「貧しい暮らしをしていても、正直で正義を愛し、人のために勇気を持って闘える人にって、
弱い子のために何かしたいなんて、遠いどこかで、お父さんが生きていたら喜んでるわね。」
なんで、もっと早く教えてくれなかったのかと思った。もっと早く知ってたら、自分に誇りを持てただろうにとも思った。
そんな話を厚洋さんにした時、彼は
「いいなあ。俺なんか簡単だぜ。
厚岸ってところで生まれたんだ。
前は太平洋だよ。だから、厚洋。
妹は洋子だぜ。」
といつも笑った。
しかし、お父さんは、
「海が大好きで、大きな男になれ。陸の上で小ちゃな諍いを繰り返す人ではなく。深く広い海の心をもて」と言いたかったのだと思う。
まさに、厚い心で広い洋のような人だった。
厚洋さんは、子供ができる前から名前を決めていた。第一子は男で「拓時・時を拓く男」に第二子も男で「耕時・時を耕す男」に。
なんでも革命家の名前だとか言っていた。自分自身、学生運動をして、クロヘルをかぶっていたからだろう。
そして、第三子は女で「未来(みく)」兄達が切り拓き、耕した世界こそが未来だと。
壮大な産児計画だったが、1人で頓挫した。
この話は、子どもの誕生日になると必ず出た話題であり、笑いのネタでもあった。
名前を付けると言うことは、たくさんの願いを込めていると言うことは間違いない。
ついでに「真愛」と言うペンネームは、厚洋さんが私の事を「maa」と呼んだし、メモ日記に「マー・maa・まあ」と書いてあったからだ。新婚時代も「maa」。子供が生まれてママになっても「maa」。年をとって2人になっても、亡くなる日も「maa」だった。
だから、真実の愛で「真愛」「maa」にした。厚洋さんの戒名の中に「真」が入っていた事も「厚洋さんのやりたかった事をやる」と言う願いも入れられたので、好きな名前だ。
実は占い師さんが褒めてくれた名前なのだ。
努力すればいつかきっと「・・・の日」が来るはずだと思えるのもいい。
このnoteを最後までお読みのあなた。
あなたの名前の由来を語り、誇りに思ってください。
デブ蜜柑ではなく。
ふくれみかんではなく。
福来蜜柑なのです。
福が来るよ!
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります