嫁・娘
世の中には、嫁と姑の性格が合わず苦労している方がいるらしい。だから、我が家の嫁さんの話をするのは、自慢しているようなのでなかなか書けない。
一人息子と一緒になってくれた子がいるので、嫁と姑の関係なのだが、「娘」がいたらこんな感じなのかなと思わせるように良くしてくれる嫁である。
コロナ禍で一年近く会えなかったが、息子家族4人がPCR検査をし、全員陰性という事で安全をきてして来てくれた。
婆ちゃんは、
「あら!私もやれば良かったわね。」
程度のいい加減さで申し訳ない。
「お義母さんにうつしてしまうのが、
一番心配だったので…。」
と、笑いながら言ってくれた。
何がそんなに可愛いのかというと、
「ただいま!」
と帰って来てくれる。
即、ハグしてくれるのだ。
ハグされるのが大好きな真愛の壺にハマる。
昨日は、玄関に出られず、料理をしながらの
「お帰りー!」
だったにも関わらず、後ろからハグしてくれた。
確かに、孫は可愛い。
息子の元気な姿を見るだけで嬉しい。
ところが、真愛はこの嫁さんが可愛い。
息子には悪いが、4人に順番をつけられないのだ。
厚洋さんが元気なうちに結婚してくれた。
その頃の真愛は、一番はなんでも厚洋さんだった。
真愛の母親は一人で真愛と兄を育ててくれた。だからだと思うが、(兄)の事が一番可愛かったようだ。兄がお嫁さんをもらって、孫が産まれても、(一番可愛いのは兄)だった。
真愛は、結婚するまでは、「お兄ちゃんばっかり可愛がって…。」と不貞腐れたこともあった。
しかし、自分が愛情を注ぐ対象が出来ると、そんな不満はどこへやら、「厚洋さん大好き」だったし、夫のいない母は、愛情の対象を兄にしても仕方がなかったと思うようになった。
娘と息子の違いがあると思っていた。
真愛も兄を父親とも思っていたので、義姉に「兄を取られた!」という気がした。
ところが自分に好きな人ができると、「兄」なんてどこへやら…。
「厚洋さん、大好き」であり、子どもが生まれても「厚洋さん大好きは変わらなかった。
勿論、可愛い息子は二人で取り合いだったが、息子が小4になると厚洋さんに
「親子喧嘩なんていうのはない。
お前は、子どものレベルに落ちているから、
喧嘩するんだ。
立場を意識した物言いをお前がするべきだ」
と叱られた。
猫っ可愛いがりをする事が、子供への愛情と思ったり、子どもを自分の所有物のように思い見栄を張ったり、他者と比べたりする良くない母親だったのだ。
しかし、これらの全てが息子(男の子の子育て)の経験であって、娘の経験が無い。
真愛は、第一子を産む時、
「男の子が欲しい。
女の子だったら厚洋さんを取られちゃう。」
なんて馬鹿なことを言った馬鹿母親だったのだ。
息子であっても、厚洋さんは取られてしまった。(我が子にやきもちを焼いてアホである。)
厚洋さんは、
「俺はガキは嫌いだ。」
なんて言っていたのが、大嘘のように息子を溺愛した。
そんな真愛に娘ができた。
拓のお嫁さんである。
拓のお嫁さんは、厚洋さんの誕生日の翌日に2番目の孫を産んでくれた。
だから、厚洋さんの誕生日だったが、1日早く孫の誕生日も我が家で祝う事ができた。
料理も手伝ってくれるし、息子の面倒も子どもたちの世話もクルクルと良く動く、気働きのできる良い嫁である。
息子も孫も8時に就寝されるので、それまでは、食事の片付け、子どもたちの入浴、息子の肌が良いので薬塗りと、またまたクルクルと良く動いてくれる。
その合間を縫って、孫はピアノのお稽古をしていた。
真愛が三絃を始めた事を知っているkaoちゃんは、
「三絃を始めたでしょう。
弾いて聞かせてください。」
と来た時から言っていてので、
「三絃よりお琴の方がすぐ弾けるように
なるので、お琴ひかない?」
と誘った。
部屋の中は、大変な騒ぎだった。
上の孫はピアノ!
下の孫はお絵描き!
お嫁さんはお琴!
息子は、真愛のパソコンを直していた。
真愛は、4方向へウロウロ。
独居老人にはうれしい悲鳴であった。
バタバタと8時までを過ごし、3人を寝室に押し込めて2人の時間をとった。
この時間が、最高の時間なのだ。
厚洋さんのように真愛が作ったおつまみで、kaoちゃんが飲んでくれるのだ。
愛しい人におつまみを作れなくなった真愛は、代償行為のようなストレス解消である。
そんな姑に付き合ってくれる。
昨夜は、「なんでこんなに話せるんだろう?」という話になった。
そう言えば、具合が悪くなったがまだ元気な厚洋さんと一緒に出迎えた日の事だ。
一番最初に彼女が我が家に来た日。
彼女達が帰ってすぐに、
「アイツ一生懸命だったな。
可哀想だろう?
お前、もう少し考えろよ!」
と、厚洋さんに言われた。
「えっ?
なんの事?」
「ほら、食べろ。
さあ、どうぞじゃ。
気持ち悪くなる。可哀想に!」
とkaoちゃんの心配をした。
「あら?
若い女の子の方を思いやるのね!」
と文句を言いながら、お嫁さんにやきもちを焼いたお姑さんである事を告白する事がスタートとなった。
彼女は大笑いをしていた。
「そこですか?
私は、拓君が一人息子なので、
お義母さんと仲良くしなくちゃって思ってて
でも、あの日のフレンチトーストは凄く
美味しくて、無理じゃなくて!
バクバク食べちゃって。
お義父さん。
そう思っていていたのですね。
私はバンバン食べて、色々もらって帰って
なんだか、変な女と思われたのかと
思ってたの。」
嫁に息子を取られたのではなく、可愛い嫁に旦那を取られるのではと考えた大馬鹿姑なのだ。
今まで考えたこともなかった「何故、良い関係を作れているのか。」ということ。
しばし悩んだが、答えは
「嫁さんがよく話を聞いてくれてる娘」だからである。
よく話をするようになったのは、第二子出産の手伝いに彼らの家に行くようになってからだ。
「愛しい人が逝ってしまい、その悲しみや愛しい人との思い出を誰かに聞いて欲しかった」時に全霊をかけて聞いてくれたからである。
彼女は早くにお父さんを亡くしていて、厚洋さんの逝く2年前にお母さんを亡くしていた。
仲の良い夫婦・仲の良い親子だった。
だから、真愛の思いを我が事のように聞いてくれたのだ。
不思議な事に、真愛も彼女になら全て話せた。一生のうち真愛の事を素直に言えたのは厚洋さんだけだと思っていたのに、2番目に息子ではなく「息子のお嫁さん」だったのだ。
彼女に聞いてもらって、たくさん癒されたのを覚えている。
(娘がいたら、こんな風に話せるのかな。)と思った最初だ。
上の孫の世話をしながら、
「娘を持った母親なら、どうするだろう。」と考えて行動してみた。すでに「嫁」ではなく「娘」であった。
同じぐらいの年の嫁姑の関係を聞くと、あまり真愛のような感覚は持たないという。
「きっと、匂いがあったのよ。」
猫みたいな犬のような回答をした。
要するに分からないのだ。
全ての時の流れが嫁姑の関係にならず、
母娘での流れに乗ったのだろう。
たわいの無い話を脱線したり、元に戻ったりしながら、なんと24時のchimeを聞いて、お開きにした。
「あーあ!厚ちゃん。
日にち跨いじゃった。
でも、この良い関係を作ってくれてのは、
貴方のお陰よね。
厚ちゃん大好きを馬鹿にしないで
聞いてくれる。
息子にも話せない事を
聞いてくれる娘だからよね。
貴方が元気でいたら、まだヤキモチ焼きの
お馬鹿姑だったかもね。」
帰り際に真っ赤な紅葉と静かに散った落ち葉の赤を大喜びして、写真に撮っていた。
「あゝ!一緒だ!」
kaoちゃんと真愛の感性がどっかで似ているのだ。
自分を偽らないで話せる間柄は、どんな関係でも良好なのかもしれない。
厚洋さんが、
「もし、俺が離婚をするとしたら、
拓時とお義母さんは、俺がもらっていく。
お前は、一人だ。」
と言ったことがある。
母と義理の息子は、趣味や話が合い良好な関係であり、この家を自分で設計した厚洋さんは、真愛の母親の事を考えて、家の中で一番良い場所を母の部屋にしてくれた。
それは、真愛にとって最高に幸せな思いやりだってのだ。
それを今になって、痛感するなんて、なんと愚かな嫁だったのだろう。
厚洋さんの誕生日の夜。
可愛い娘のような嫁と話して、本当に厚洋さんに愛されていた「幸せ」も強く感じさせてもらった。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります