鹿の聲
久々に夜遅く帰って来たら、大きな角を持った鹿と遭遇した。
相手もびっくりしていたが、私もびっくり❗️急ブレーキを踏んで、寸での所で止まったからよかったものの、そのままっこんで居たら、今日、10000円も掛けて「点検整備」をした車を壊すところだった。
家に帰ってニュースを見たら、なんと
「北海道では、
蝦夷鹿とぶつかった車が、
更に対向車とぶつかり、
重傷者が出ている。」
とか。
最近、夜になると鹿の鳴き声が聞こえるようになったので、
「あゝ。声聞く時ぞ 秋は悲しき だね。」
と厚洋さんと話したのを思い出す。
ここにこして来た頃には、鹿はいなかった。
鹿が出るようになったのはここ10年ぐらいのことだ。
このnoteををお読みの方は、都会の方が多そうなので、鹿の鳴き声なんぞ聞いたことがあるまい。
鹿の声は、それはなんとも悲しい笛の様な声で鳴く。
宮沢賢治さんの「雪渡り」のお話の中で、雪を踏みしめながら
「キックキックトントン。
キックキックトン。
鹿の子ぁーい。よめぇーほしいほしい。」
と森に向かって叫ぶと、森の奥から、
ピーピーとしかの声が聞こえるというシーンがある。
本当に「ピーーィーー…。」と悲しい声なのだ。
秋が深まり、寒くなって来るので聞く人の気持ちまで切なくしてしまう。
だから、思い当たる言葉が、百人一首五番歌「奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の
声聞くときぞ秋は悲しき」
ー 猿丸大夫 ー
になるのは仕方が無いと思っていた。
厚洋さんが逝って独りになった真愛は、更に切ない。
あの鹿の鳴き声は、ほとんどが雄だそうだ。
この晩秋が、鹿の繁殖期になるので盛んに鳴くのだそうだ。
つがいではなく、「独りぽっち」の鹿だと思うと、雌雄関係なく(同じだね。寂しいよね。
独りぽっちは寒いよね。)
と共感してしまう。
彼らは繁殖だから、まだまだ若々しいのに「悲しい」なんて思われるのは、鹿にとっては「失礼だぞ!」なのかな?
勝手な思い込みである。
ライオンが「勇ましくて・強い」なんていうのも勝手な思い込み、ぞうのお尻に噛み付いたけど振り落とされてしょぼくれていたライオンをテレビで見たことがある。
今も、鹿の声が聞こえるが、「か細くて悲しく」聞こえる。
厚洋さんが逝った頃から、鹿の足跡が畑の中まで着き始めた。
食べ物がないのだろうか。
自然環境が違って来て、追い詰められているのだろうか。
何を考えても「切ない」方に向かってしまう。
いにしえの人も秋の鹿を歌っている。
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は
今夜は鳴かず 寐ねにけらしも
ー 斉明天皇 ー
山彦の相響むまで 妻恋ひに
鹿鳴く山辺に 独りのみして
ー 大伴家持 ー
夕月夜 小倉の山に 鳴く鹿の
声のうちにや 秋は暮るらむ
ー 紀貫之 ー
下紅葉 かつ散る山の 夕時雨
濡れてやひとり 鹿の鳴くらん
ー 藤原家隆 ー
寂しさを 何にたとへん 牡鹿鳴く
み山の里の 明け方の空
ー 詠み人知らず ー
真愛の気持ちとしては、
寂しさを 何にたとへむ牡鹿鳴く
深山の里の 明け方の空
ー 詠み人知らず ー
「明け方の空」ではなく、
「臥待ちの月」の感じである。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります