子育てパニック 統一美
孫の動画が送られてきた。
ちょっと太めのバトンを持って、ダンスの練習をしている姿だった。
途中で飽きると
「じゃ、ちょっと別のところをやろうか?」
なんて、五歳児が四歳児を励ましながらやっているのをみると、
(偉いよなぁ。
昔の教え子たちも、真愛に叱られないように
家で一生懸命やっていたのだろうな。
分かってやらないで、怒鳴っていた自分を
今になって、恥ずかしいと思う。
申し訳ない方が大きいな。)
と思う。
運動会の担当は、初任からずっと「表現ダンス」や「鼓笛隊」を担当させてもらった。
自分自身が「表現ダンス」が好きで、太鼓ひとつで「火山の噴火」とか「線香花火」「ポップコーン」「納豆」なんてよく表現させていた。
体育の時間の「表現ダンス」は感情や思いを自由に表現できるし、どんな事をしても褒められるから、子どもたちは大好きな学習時間だった。
しかし、運動会の「ダンス・組体操」なんていうのは、途中まで自由な表現で作り上げるから楽しいが、ベースが決まったら、それをみんなで表現する。
すると「統一美」を目標に子どもたちに集団行動を強いてしまう事になる。
日大の集団行動が素晴らしいのは、強いられなくても「統一美」を目指している事だ。
真愛の担当する子どもたちは、そんな事を目標に運動会をやろうとは考えていない。
・かっこよく走りたい。
・ひょっとしたら一番がとれるかも?
・運動するって気持ちいいな。
・みんなと力を合わせるのって楽しいな!
って感じてくれればいいのだ。
にも関わらず、
「縦と横がバラバラ。
風車は、外側がもっと大股で歩く。
内側横見で歩け!
顔動かさずに見ろ!」
真愛が子どもだったら、
「じゃあやって見ろよ!
前向いて、横見ろなんて出来るか?」
とけつを捲ると思う。
本当に子どもたちはよくやってくれたと思う。出来上がって、ビデオで撮影しだものを見せると
「おっ凄え!
結構綺麗じゃん❣️」
と喜んでくれるが、練習は暑い中でやっていたので、地獄だったと思う。
さて、幼稚園のダンスはどうなのだろう?
きっと楽しいのだと思う。園の先生が上手に楽しめるようにしているのだと思う。
2人の孫は、新型コロナ感染症の第8波BA5の拡大のため夏休み中は登園しなかった。
暫く行かなかった孫たちには、園から
「運動会のために練習しておいてください。」
と保護者宛に連絡が入ったらしい。
その時は、不安もあったのだろう、嫌がって母親の言う事を聞かなかったようだ。
きっと、真愛に担任された子どもたちも,同じように嫌がったんだろうなぁと思うと申し訳ない。
もう閉校してしまった小さな山の学校に赴任した時は、「統一美」なんて考えなかった。
13人しかいないのだ。
男の子には、フラッグを女の子はピンクの衣装を着てダンスを踊って表現をした。
小さな学校だって,いろいろな子どもたちがいる。
・学習障害
・自閉的傾向
・いじめっ子
・いじめられっ子
・不登校
どこの学校のどの学級でも、みんな違うのだ。40人学級で、普通とか平均的な子が40人いたら異常だと思う。
また、何が平均なのかと問われたら、誰も言えないだろう。子ども「人間」の基準を決定しない限り平均という数値化は出来ない。
運動会で活躍する子もいれば、図工の学習でその才能を見せる子もいる。
それを「統一美」で括れなくなった時に厚洋さんに言われた。
「運動会は比べる時じゃないんだよ。
一人一人の子どもが頑張っている姿を
見せることが大事なんだ。
その思いで考え直して見ろ。
子どもが大切にされていることが分かって
文句を言う親なんかいないぞ。」
と。
そこで、考えたのが、
【その子に1人の先生がつけば良い。
その足りなくなった分は、真愛も踊れば
良い。」
表現ダンスはみんなで考えた。
AちゃんとH先生は、ずっと同じ場所で花の花心を表現した。
どの子も一人一人が活躍ができる場だったのだ。
H先生は美人さんでスタイルも良かったので、素敵だった。真愛はと言うと
「きゃー!先生ポニョみたい❣️
可愛いじゃない!」
と言われた。これは、褒め言葉ではない。
大笑いの保護者席。Aちゃんの頑張りを褒めてくれる保護者たち。
この学校の素晴らしいところでもあった。
統一美なんて小学校低学年には必要ないのかもしれない。
「統一」と「自由」と考えたら、後者の方が人間らしいと思う。
そう言うゆとりある教育ができた頃が懐かしい。
そして、いつも厚洋さんの助言があった事を思い出した。
そうだ、真愛の運動会には必ず、「ロンシャンのケーキ」を差し入れてくれた厚洋さんだった。
きっと、
「ちゃんと考えてやったんだな!」と安心して見ていたのだろうか?
「太い足を晒して、恥ずかしいではないか!」
とバラバラして見ていたのだろうか?
聞いて見たいものだ。
と書いてきたら、おりしも、
イギリスの女王陛下の葬列が放映された。
美しかった。
素晴らしい方の葬列に相応しい「統一美」だった。
我が国の国葬は、反対の意見が出される中でどのように行われるのだろうか。
「統一美」が表現されたとしても、きっと感動しないだろうなぁ。
どんなことでも、考える元は「人間性」が美しかったり、荘厳だったり、感動する事になるのだろうと思った。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります