三日見ぬ間の桜
「あはは!」って、笑ってしまうほど、桜がどっと咲いた。
土曜の夜は、大嵐で全ての雨戸を閉めて、街頭の明かりも入らないようにして寝た。
深夜番組を見たので、風の音と雨の叩きつける音を聴きながらの「生さだ」となった。
全部見たら、起きられず日曜日にやる予定ができなくなるのは分かっていたが、投稿ハガキを出すと(読まれるのではないか。)嫌らしい根性が寝ないで見てしまわせる。
うつらうつらしながら、最後まで見て…。
結局起きたのは、9時近くになってしまった。
室温20度。
外は花曇り。
枝垂れ桜が咲き始めてしまった。
「枝垂れ桜が咲いたら、お花見しましょうね。」
とご近所さんに言っていたのに、今日はびっしり予定が入って、お花見どころではない。
そんな日に限って、気温は高くなる。
青空ではないが、春の曇り・花曇りである。
やりたかった「お花見茶屋」を開設した。
我が家の前のM奥さんと健康のために歩いていた同じ地区のAちゃんの旦那様。
Mさんは、暖かくなったのでお庭の草取りをしていた。
「お天気が良くなったので、
お花見しませんか?」
無理やり手を休めさせて、呼んでしまう。
我が家の周りのご近所さんはみんな良い人で、真愛の我儘に付き合ってくれる。
Mさんが庭で待ってくれているところにAさんの旦那様。
「Sさーん。お花見するの。
お茶飲んでってー。」
Sさんはウォーキングの帰り道。
せっかく大汗かいてエネルギー消費したのに、
「真愛の作った夏みかんの寒天。
お抹茶の前にお腹に入れて!」
奥様のAちゃんとはよく話すお友達だが、旦那様は優しくて物静かな方。
真愛に呼び止められてドギマギなさっていた。
何しろ、咲いた桜をみんなに見てほしいのだ。
厚洋さんがいれば、
「桜が咲いた。」
「山吹が咲いた。」
「片栗が咲いた。」
「クリスマスローズも…。」
「都忘れも…。」って、彼の方が先に言ってくれる。
一緒に、咲いた花を、黙って見続けるのが好きだった。(“美を求める心”の一文が頭の片隅にある二人はひたすらに見ることが好きだった。)
何も話さなくても、同じ花を「いいね。」って思って見るのが好きだったのだ。
黙って見ていると、沈黙を破るのは寡黙な厚洋さんの方だった。
雑学博士の彼が蘊蓄を言う。
それも聴くのも好きだった。
「春の女神、桜の精は木花之佐久夜毘売。
火の中で出産したという強さをもつ女神様。
無事に出産したことから安産の神。
また、火の神として、
富士山に祀られたのがこの神様。
コノハナノサクヤビメだ。
桜の美しさを体現している神様。
コノハナノサクヤビメを祀る富士山本宮浅間
大社は、現在桜の名所にもなってるってさ。
浅間神社ってさ、全て富士山が見えるんだよ。
行って見るか?」
そう言えば、最初にこの蘊蓄を言った後、地域の浅間神社を沢山巡った記憶がある。
よく晴れた日に尋ねた。
本当に、浅間神社からは「富士山」が見えた。
浅間神社に「梅の花」が咲いていて、
「ここは、菅原神社かね⁈」
と笑ったこともあった。
毎年、桜が咲くと「木花之佐久夜毘売」が、真愛に春を連れて来てくれた。
(厚洋さんとのデートである。)
真愛の頭の隅っこには、【桜の精は、若い男性】と聞いたことがこびりついている。
百年近く経つ↓このソメイヨシノが30年前に切られそうになった5月の事だ。
垂れ下がった葉桜の枝を握りしめて
「助けてあげたいけど、私には何もできない。
ごめんなさい。」
と泣いていると、桜の幹の上に青白い着流姿の若い男の人が見えた気がする。
妄想の激しい真愛なので、厚洋さんに話しても取り合ってもらえなかった。
「はい。はい。若い男性ね。
埋まってるかもしれないな!」
なんて、しらーと言われた。
70歳の古木に若い男性はないよね。
今出てきてくれたら、100歳のおじいちゃんなんだろうな。
厚洋さんに言わせれば、木花之佐久夜毘売。
毘売も歳を取れば、おばあさんになるのかな?
どちらにせよ、白髪の翁と媼。
ひょっとしたら、二人で一緒にいるのかも?
2階のベランダからはソメイヨシノの枝を触ることもできる。
(花冷え」の日が多ければ、開花してもそのまま咲き続けてくれるのだが、どうもお天気がお天気屋さんだ。
焦って見たり、焦らされたり恋をしてるみたいだ。
「焦らされる」で思い出した事がある。
歌舞伎が好きだった母が教えてくれた「鳴神」という演目だ。
團十郎の「睨み」が凄いのだが、強い強い「雷様」が綺麗なお姉さんに「焦らされてメロメロになる」ところが可愛くて、面白い。
真愛の記憶の中には、そのお姉さん「雲絶間姫」と「木花之佐久夜毘売」がぐちゃぐちゃになっている。
2人とも美しいので、同一視してしまったのだろう。
折角なので、「鳴神」のお話を…。
朝廷に恨みを持つ鳴神上人が、竜神を滝壷に封じ込めたことにより干ばつが起こってしまう。
困った朝廷は雲の絶間姫という美女に上人を堕落させていまい。竜神を解き放つように仕向けろと命ずる。
言葉を変えれば、「色仕掛けで、呪文を解かせろ!」って事。
雲絶間姫は上人を誘惑して酒で酔いつぶすのだ。真愛は、そのシーンが大好きだ。
けっこう嫌らしいことを言っているのに、クスリと笑ってしまう。
厚洋さんが真似をするのでもっと笑ってしまったのを覚えている。
歌舞伎の真似事をする夫婦なんて、本当に変わった夫婦だったのだ。
たらし込まれた鳴神は、酔い潰れてしまい、絶間の姫は、竜神を解き放って雨を降らせることができる。
ここまでなら、成田屋がやらなくても良いのだが、ここからが「成田屋」である。
やがて目を覚ました上人は、姫に欺かれたことを知り、怒りの形相で姫を追いかけるのだ。
ここが「荒事」になるので、カッコいい。
しかし、よく考えると、女に騙されて
「この〜!」
と追いかける男なんてかっこいいとは言えないのだが好きだった。
『雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)』という長い作品の一部。
演目から、間違えて覚えていたのかもしれない。何しろ春になると思い出す厚洋さんと鳴神である。
桜の咲く頃になると沢山のお話のモチーフを見つけるのだが、ウキウキ、フワフワと遊んでいてものになったことがない。
構想だけで終わってしまう。
桜のせいにしてはいけないが、桜は気がついた時にしっかり楽しまないと…。
しっかり写真を撮っておかないと…。
もう一度撮りたい時には
「えっ!」
すでに葉桜になっていることが多い。
三日見ぬ間の桜哉である。
桜だけではなく、何事も「やるべき時」があるのだ。
今がチャンス。
そのチャンスは、2度と来ない。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります