最後の一口
行きつけの喫茶店では「コンビプレート」という大人用のお子様ランチをやってくれている。
変な日本語だが、ワンプレートの中に好きな料理をチョイスできるのだ。
ナポリタンとオムライスのハーフにサラダがついている。
「ご飯少なめ!」
と注文する真愛にとっては最高な注文の仕方だ。
さて、楽しい盛り合わせにニタニタしながら食べ始めて思った。
(最後の晩餐という言葉があって、「何が食べたいか」考えた事もあるが、その料理の【最期の一口】を何にするかは考えた事がない。)
死を前に、口の中に残しておきたい味はなんなのだろうか。
厚洋さんの最後の晩餐は、「病院食と真愛の手作りご飯」だった。
食が細くなりたくさんの量は食べられなかったが、真愛が作って持って行った「ほうれん草の胡麻和え」「海苔の佃煮とバター」「玉ねぎと卵のお味噌汁」「イクラの醤油漬け」「秋刀魚の塩焼き」「甘い卵焼き」全てすり潰していた。
おかゆに混ぜて食べるのだが、何が最期の一口になっていたかは覚えていない。
食べ終わった後に、歯磨きをして口を濯いで、水を飲んだのだから、口の中に残ったのは歯磨き粉のミントの味だったのだろうか。
【最期の一口】って、ほとんど考えない。
しかし、亡くなる前の味覚のある時に感じられる味ならば、一番好きなものを口の中に残しておきたい。
ほとんど考えないから、病院や具合が悪くなってなくなる人、夜中に亡くなる人なんて、みんな「歯磨き粉」の味が最期の味覚なんだろうか。
ちょっと悲しい。
厚洋さんが元気だった頃の真愛の最期の一口は「西瓜」だった。
「死ぬ前に食べたいものは何?」と聞かれて
「🍉スイカ!」と即答した。
小さい頃から西瓜は大好きだった。
4月29日の結婚式の時に
『お嫁さんは何も食べられないよね』
と友達が大好きな西瓜を控え室に持って来てくれたのに、お色直しをしている間に厚洋さんに食べられた事件があった。
それからは嫌味ったらしく
「あの食べられてしまった🍉一口!」
と言った。
その後、結婚記念日になると、出始めのお高い西瓜をプレゼントしてくれるようになった。
最期の一口は西瓜が良かった。
厚洋さんは最期に口にしたかったのは、
「酒!煙草!」だったのだが、入院してしまって、禁酒・禁煙で無理だった。
内緒の話だが、一時帰宅後再度入院し、
「酒が飲みてぇ!」
と駄々をこねた厚洋さんに、仕方がなくウヰスキーをスプーンに少々のせて舐めさせた。
ところが、
「何だこりゃ?!」
と、ひどい怒り方をした。
不味かったらしい。
当然だ。
病院でスプーンにのったアルコールは、消毒用アルコールに感じてしまったのだ。
従って、最期の一口に「酒」はよくない。
酒は元気なうちにしっかりほどほどに楽しんで欲しいと思う。
さて、真愛の「最期の晩餐」「最期の一口」は、厚洋さんが逝ってしまってから変わった。
「西瓜ではない。」
「厚洋さんの作ってくれた炒飯、
玉ねぎ丼、ココア、ミルクティー、
塩バターラーメン、卵粥…。」
厚洋さんが作ってくれた料理ならみんな好きだ。
だから、真愛の最期の一口は、もう既に無い。
日常、美味しいと思うものも沢山あるが、これといって「高級料理が食べたい!」と思わなくなった。
味覚が衰えたのか、食に魅力を感じなくなったのか、自分でも分からない。
かと言って食べないわけでもなく、結構スナック菓子を食べるので太っている。
旨味の素グルタミン酸ナトリウムに侵されているのかもしれない。
と言うことは、「最期の一口」は【味の素】ですかね!
貴方は、死ぬ前に口の中にどんな味を残したいのですか?
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります